新潟歴史資料救済ネットワーク(新潟史料ネット)【中部】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開
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新潟歴史資料救済ネットワーク
(新潟史料ネット)
【団体情報】
設立年●2004年
事務局所在地●〒950-2181 新潟市西区五十嵐2の町8050 新潟大学人文学部 原直史研究室気付
電話番号●025-262-6445(原直史研究室)
メールアドレス●hara@human.niigata-u.ac.jp(原直史研究室)
HP●http://nrescue.s1006.xrea.com/
【活動地域】
新潟県
【参加方法】
入会●会員制をとっていません。ML配信希望の方は上記メールアドレスまでご連絡ください。
寄付●ゆうちょ銀行振替口座 00570 6 57529 新潟歴史資料救済ネットワーク
❶崩れた土蔵内で文化財の救出作業(2011年6月18日)
❷古老の指導で雪上の材木運搬技術を体験(2017年3月6日)
【設立の経緯】
文●原 直史
新潟県中越地震の発生により結成
2004年(平成16)10月23日の夕刻、最大震度7の大地震が新潟県の中越地域を襲いました。新潟県中越地震です(中越大震災とも呼ばれています)。建物の崩壊や、山間地での山崩れが顕著で、当時の山古志村(後に長岡市に合併)での全村避難などが話題になりました。この地震に際して結成されたのが、新潟歴史資料救済ネットワーク(以下、新潟史料ネット)です。
新潟史料ネットが誕生するには、いくつかの前提がありました。そしてそれらはいまでも史料ネットの性格を特徴付けています。
まず第一に行政の積極的な動きです。新潟県文化行政課では、すでに1995年(平成7)の新潟県北部地震で、文化財建造物の崩壊に際してレスキュー活動を経験していました。また新潟県立文書館では、現地保存の理念のもと、長年にわたり文書史料の現地調査を行っていました。こうしたことをふまえて、11月2日には文化行政課長と文書館長の連名で、各市町村の教育委員会文化財主管課長宛に、「被災「文書等」の取り扱いについて(お願い)」という公文書が出され、未指定文化財への行政の関与の後押しとなりました。
新潟県立歴史博物館では、館の条例や設置目的などに、県民の学術および文化の発展に寄与することや、資料の収集・保管を行うことが明記されており、これらを根拠に公務として被災資料レスキューに参加できるよう調整を行いました。
二つ目にあげられるのが、ボランティアの史料調査団体「越佐歴史資料調査会」の存在です。県内の博物館学芸員・教員などの有志が集まってできあがった会で、定期的に史料調査を重ね、すでに数年活動を続けていました。特にこの2004年の7月に起こった県内の水害にあたっては、不十分ながら事後の被災資料調査も試みていました。
三つ目にあげられるのは、神戸の歴史資料ネットワークをはじめとする各地での資料ネットの経験の蓄積でした。とりわけ直近の宮城県北部地震を体験した宮城歴史資料保全ネットワークのWeb上での情報は、新潟史料ネットを立ち上げ運営していく上で、大変参考になりました。
こうした中で各個人、組織が情報交換をし合う場として新潟史料ネットが立ち上がりました。当初事務局をどこに置くかが課題となりましたが、何かと縛りの大きい役所よりはということで、新潟大学に事務局を置くことにしました。当初の活動は情報交換、また歴史資料保全のお願い等の情報発信等で、Webを立ち上げ、関係者はMLで連絡を取り合いながらの活動でした。
新潟史料ネットとして最初の活動
各地で史料保全が実質的に開始されていきました。新潟史料ネットとして最初の活動は、小千谷市の旧縮問屋の被災した土蔵から歴史資料を搬出する作業で[❸]、のべ50名以上のボランティアを募集し、ボランティア保険や昼食は募金でまかない、仮保管所の新潟県立博物館までトラック4台で搬送しました。その後またボランティアを募集しながら、クリーニング、目録作成の作業が続けられました。このお宅の歴史資料は、お宅で新設した倉庫にその後返却されました。
❸こらっせのくつろぎ空間で自炊昼食(2018年4月29日)
一方で各地の図書館、博物館でもまた、独自に資料保全の取り組みがすすめられていました。これらのすべてを新潟史料ネットが把握しているわけではありません。すなわち史料ネットは、個々の機関等では対応できない大規模な保全活動を、ボランティアを募集し、各機関と作業分担を調整し、実施する場として、機能していたわけです。この性格は現在でも変わっていません。
【活動の特徴】
文●原 直史
山古志地区の「全点避難」活動
上述したような大規模な活動として最も大きなものが、全戸避難を実施した山古志地区での、「全点避難」ともいえる活動でした[❹]。当時山古志地区には、3,500点とも5,000点ともいわれる資料を収蔵する民俗資料館が建っていましたが、木造の旧小学校を用いたその建物は全体が傾き、いつ倒壊するかわからない状況でした。また、山古志村史編纂で整理されたものを中心に、旧種苧原村の庄屋坂牧家文書をはじめ、多くの文書史料が旧中学校寄宿舎に保管されていましたが、キャビネットが倒れ、文書が部屋に散乱する状況でした。これらの歴史資料を全点保全して、安全な場所に一時避難させる、というのが活動の目的でした。
❹みんなで古文書整理(2019年4月30日)
この活動は新潟史料ネットとともに、「中越地域被災文化財救済委員会」が結成されて実施されました。これは新潟県立歴史博物館を核として、新潟県教育庁文化行政課・山古志村民俗資料館(山古志村教育委員会、合併後は長岡市教育委員会山古志分室)・柏崎市立博物館・長岡市立科学博物館・長岡市立中央図書館文書資料室といった文化財関連施設6機関によって組織されたものです。
当初作業は12月23日に予定されていましたが、大雪のために中止になり、そのまま翌年の雪解けを待つこととなりました。実際に作業が行われたのは、震災の翌年、2005年(平成17)の5月21・22の両日でした。
全体の作業は民俗資料館と旧中学校寄宿舎に分かれて行われました。民俗資料搬出作業の参加者は、「救済委員会」構成機関職員とボランティアをあわせ、21日が65名、22日は42名でした。梱包された民具類は、2tトラックと4tトラックのべ9台を動員して、県内3カ所に設定された仮収蔵施設に運ばれていきました。一方文書資料等は、長岡市立中央図書館文書資料室の職員を中心として、新潟県立歴史博物館・新潟県立文書館の職員に、かつて山古志村史編纂に加わったメンバーのボランティア参加も含めて、計12名が携わり、段ボール箱で272箱が仮収蔵施設に納められました。
こうして安全な場所に一時避難させた大量の歴史民俗資料ですが、その目録作成は長い道のりでした。民俗資料の目録作成は、新潟大学の夏期実習に組み込まれ、15年懸けて全点の目録が完成しました。文書史料の目録作成は長岡市立中央図書館文書資料室が中心に行いましたが、新潟史料ネットのボランティアもこれに携わりました。
これら山古志の資料群について特筆されることは、民具類は旧虫亀小学校、文書類は旧種苧原小学校に、という形で保管施設が整備され、全点が山古志地区に返却されたことです。これは特に地元の関係者の方々の大きな熱意によるものでしょう。
県内の博物館・図書館と共に歩む
その他2007年(平成19)7月16日には新潟県中越沖地震が発生し、史料ネットはここでも刈羽村民俗資料収納庫からの収蔵品移転保全に携わりました。
その後の新潟史料ネットの活動の特徴は、長岡市立中央図書館文書資料室および新潟県立歴史博物館が主体となったレスキュー活動に長く関わってきたことです。長岡市立中央図書館文書資料室では、中越地震の避難所資料、2011年の東日本大震災時の避難所資料など、精力的に災害関連資料の収集をすすめておられますが、その整理には新潟史料ネットも携わりました。また、山古志地区に戻った文書史料についても、新潟史料ネットのボランティアも参加して、防虫剤の交換などメンテナンスがすすめられています[❶]。
一方、2011年(平成23)の新潟・福島豪雨により浸水被害を受けた新潟県南魚沼市の名刹雲洞庵の文書史料が、新潟県立歴史博物館に搬入され、新潟史料ネット等の手で、クリーニングや目録作成の作業が続けられています[❷]。
こうした息の長い史料ネットの活動には、多くのボランティア、特に新潟大学の学生が携わってきました。そうした意味では教育的な側面もまた活動の性格の中に入れられるでしょう。
このように新潟史料ネットは、県内の博物館・図書館と共に歩んできたという特徴をもっています。2021年(令和3)5月には、雪害に遭った旧家の蔵から久しぶりの搬出作業を行いましたが、これもまた博物館と連携した作業でした。もちろんそうした機関との連携そのものがネットワークなのだといえるでしょう。
【連携団体】
越佐歴史資料調査会、新潟県立歴史博物館、長岡市立中央図書館文書資料室
【活動がわかる主な文献リスト】
1●矢田俊文編『新潟県中越地震 文化遺産を救え』高志書院、2005年