荒井真理亜・副田賢二・富永真樹・中村健編『戦前期週刊誌の文学と視覚表象 『サンデー毎日』の表現戦略』(文学通信)
11月上旬刊行予定です。
荒井真理亜・副田賢二・富永真樹・中村健編
『戦前期週刊誌の文学と視覚表象 『サンデー毎日』の表現戦略』(文学通信)
ISBN978-4-86766-068-3 C0095
A5判・上製・640頁・一部カラー
定価:本体4,500円(税別)
「中途半端」で読み捨てられた媒体としての週刊誌。
その特質を明らかにしていくことで何がわかるのか。
1922年創刊の週刊誌『サンデー毎日』の、創刊から被占領期までの誌面における表現戦略に、様々な角度から考察を加え、戦前期週刊誌の「文学」の発信/受容の実態を明らかにする。
「文学」や「作家」のあり方のみならず、その誌面に展開された視覚表象とレイアウトを考察し、雑多な表象と言説の場としてのメディア空間の様相を捉える。『サンデー毎日』だけではなく、同時期の『週刊朝日』への考察も加え、歴史的意義とメディア史的特質をも明らかにする。
『サンデー毎日』を中心にした膨大な量の戦前期週刊誌の調査と、そこで作成した様々なデータベースという量的な研究成果を基盤とし、戦前期週刊誌メディアの多角的な解明を目指す書。
全体を、第1部「週刊誌メディアの誕生とその展開」、第2部「週刊誌における「文学」の生成/消費と作家たち」、第3部の「「見ること」の場としての『サンデー毎日』」、第4部「戦後週刊誌の展開とその表象」、データベース、で構成。
交錯する言説とイメージから、戦前期週刊誌は何をどう表現してきたのかを、明らかにできるのか。今後の文学・メディア研究必携書!
編著者、荒井真理亜/副田賢二/富永真樹/中村 健。執筆者、青木康晋/天野 知幸/尹 芷汐/小澤 純/五島慶一/西山 康一/原 卓史/松村 良/三浦 卓/渡邊 英理。
【文化構造とその消費が世界的に多様化し、分散しつつある現代の社会のなかで、今後の文学・メディア研究は、研究対象を区画化/特権化し、その内部に閉じこもるような姿勢のままでは、もはや有効な視座を提示することはできないだろう。貪欲な大衆の大量消費メディアとして、同時代の言説空間の内部で浮遊していた戦前期週刊誌への研究史的欠落を意識した上で、本書では、創刊一〇〇周年を超えて、その歴史的意義と評価を問われている一九二二年創刊の週刊誌『サンデー毎日』の、創刊から被占領期までの誌面における表現戦略に、様々な角度から考察を加えた。そこでの「文学」や「作家」のあり方のみならず、その誌面に展開された視覚表象とレイアウトの考察を中心に、雑多な表象と言説の場としての『サンデー毎日』のメディア空間の様相を、同時期の『週刊朝日』への考察も加えつつ、様々な角度から検証し、その同時代的意義とメディア史的特質を明らかにする】......「はじめに」より
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【編者紹介】
荒井 真理亜(あらい まりあ)
相愛大学人文学部教授
『上司小剣文学研究』(和泉書院、二〇〇五年)、浦西和彦・増田周子・荒井真理亜 編『大阪文藝雑誌総覧』(和泉書院、二〇一三年)、倉敷市・薄田泣菫文庫調査研究プロジェクトチーム 編『薄田泣菫読本』(翰林書房、二〇一九年)
副田 賢二(そえだ けんじ)
防衛大学校人間文化学科教授
『〈獄中〉の文学史 夢想する近代日本文学』(笠間書院、二〇一六年)、茂木謙之介・小松史生子・副田賢二・松下浩幸編著『〈怪異〉とナショナリズム』(青弓社、二〇二一年)、「差異を架橋する「メロドラマ的想像力」 ― 大庭さち子の戦時下テクストにおける〈情動〉の機能」(『日本近代文学』、二〇二三年一一月)
富永 真樹(とみなが まき)
青山学院大学等非常勤講師
「書物という世界―小村雪岱の装幀から泉鏡花『日本橋』を見る―」(『日本近代文学』、二〇一六年)、泉鏡花研究会編『論集泉鏡花 第七集』(和泉書院、二〇二二年)、『鏡花文学の信仰と図像―物語ることへの意志―』(花鳥社、二〇二三年)
中村 健(なかむら たけし)
大阪公立大学学術情報課(図書館)職員
「白井喬二「新撰組」と『サンデー毎日』の関係性の検証と意義」(『出版研究』、二〇一二年)、「一九三〇年代の大佛次郎の新聞小説と編集者―『ポケット』(博文館)と「由比正雪」「雪崩」をつなぐ課題―」(『おさらぎ選書』、二〇一九年)、「新聞記者・雑誌記者としての子母澤寛」(『出版研究』、二〇二一年)
【目次】
戦前期『サンデー毎日』のアウトライン
・1922〜1945
はじめに―戦前期週刊誌をめぐる研究史と問題の所在[副田賢二]
【1】「中途半端」で読み捨てられた媒体としての週刊誌
【2】週刊誌をめぐる研究史
【3】週刊誌の表現戦略と視覚表象という視座
【4】本書の構成と各章の概要
序章 『サンデー毎日』の読書環境と文学に関する編集方針について[中村 健]
【1】『サンデー毎日』の流通
【2】『サンデー毎日』の読まれ方
2―1 読書の風景
2―2 作家・芸能人の読み方
2―3 戦場の『サンデー毎日』
【3】文学の編集方針について
3―1 連載小説
3―2 特別号における文学と読み物
3―2―1 大衆文学に対する意識
3―2―2 演芸
3―2―3 漫画
3―2―4 映画
3―3 新人作家と「大衆文芸」
【4】まとめ
第1部 週刊誌メディアの誕生とその展開
第1章 『サンデー毎日』の起源・創刊時の大阪毎日新聞社の雑誌戦略[荒井真理亜]
【1】はじめに
【2】『サンデー毎日』の成立
2―1 日曜付録から週刊誌へ
2―2 新聞紙と週刊誌の連続性
2―3 新聞紙と週刊誌の相互補完
【3】『サンデー毎日』前史
3―1『サンデー毎日』の起源
3―2 週刊誌の原型
3―3『サンデー』
3―4『週』
3―5『サンデー毎日』の文芸
【4】『サンデー毎日』の視覚表象
4―1 視覚表象の多義性
4―2「小説と講談号」の目次
4―3「小説と講談号」の〈絵画〉
【5】おわりに
第2章 芥川龍之介と『サンデー毎日』― 菊池寛を補助線に[五島慶一]
【1】初めに
【2】芥川・菊池と毎日新聞社
2―1 入社まで
2―2 芥川の身分変更
2―3 中国旅行記連載(途絶)を巡る背景と菊池寛の働き
【3】芥川(・菊池)と『サンデー毎日』
3―1 芥川寄稿その一―流用作であった「仙人」「長崎小品」
3―2 芥川寄稿その二―「一夕話」「書斎」及び菊池・芥川による〈小町物〉競作
3―3 菊池「法律(小説)」「写真」―大阪への眼差し
3―4 芥川「鸚鵡」と菊池「石本検校」
【4】終熄―菊池退社・泣菫退任とそれ以降の芥川
第3章 第四次『新思潮』の〈物語〉をリロードする
― 久米正雄『風と月と』と週刊誌メディア[小澤 純]
【1】はじめに
【2】「ヒューマン・インタレスト」の寵児
【3】「小説のふるさと」という自負
【4】週刊誌読者と「風と月と」
【5】「心境小説」をリロードする
【6】「父の死」の敗戦
第4章 一九二〇年代の『サンデー毎日』文壇ゴシップ欄と「作家」像
―『文芸時代』同人を例に[三浦 卓]
【1】はじめに
【2】初期『サンデー毎日』文壇ゴシップ欄の変遷
【3】ゴシップとしての『文芸時代』/ゴシップ誌としての『不同調』
【4】『サンデー毎日』文壇ゴシップ欄での『文芸時代』同人
【5】文壇ゴシップとしての随筆と作家像―川端康成を例に
【6】まとめにかえて
第5章 薄田泣菫と『サンデー毎日』― 文学場における編集者の位置[西山康一]
【1】薄田泣菫文庫の調査から
【2】編集者としての泣菫と初期『サンデー毎日』
◆『サンデー毎日』表象史 1922〜1927
【家庭/生活】
『大阪毎日新聞』の日曜附録を原型として創刊された『サンデー毎日』は、創刊当初は「家庭雑誌」としての色彩が強く、その誌面には家族や子どもの「家庭」像、その理想的「生活」イメージが頻繁に表象されている。
【文壇/文学者】
「大衆文学」の拠点として語られがちな『サンデー毎日』だが、その誌面には「純文学」系の文学者も多く執筆しており、そこで文壇の構造や文学者像が、活字の記事のみならず、写真や漫画で視覚的にトピックス化されることも多かった。
【震災/復興】
一九二三年九月一日の関東大震災は、東京・南関東に甚大な被害を与えた。大阪が拠点の『サンデー毎日』もこの未曾有の大災害を大きく報道するが、その「復興」も、被災直後から表象される。そこでは、「復興」が、被災後の現実とは乖離して記号として流通、消費される様相が窺えるが、その後、震災のことが継続的に報道されることはほとんどなかった。また、一九二五年五月二三日に兵庫県富岡市、城崎市を襲った北但大震災も、関西圏の大災害として報道、表象されている。災害報道のみならず、雑誌メディアにおける都市空間表象という面からも、それらの記事は興味深い。
【怪奇/狂気】
関東大震災以後、『サンデー毎日』は同時代に流通する様々なトピックスを雑多に収集し、誌面を多様にレイアウトする傾向を強める。そこでは、「怪奇」や「狂気」をめぐる「猟奇」的なものを懸賞小説や特集記事で広く収集する志向が拡大し、そこに犯罪、医学、科学に関する記号が雑多に融合されることになる。
第2部 週刊誌における「文学」の生成/消費と作家たち
第1章 耽綺社のメディア戦略/メディアの耽綺社戦略 ―『サンデー毎日』を中心に[原 卓史]
【1】はじめに
【2】「残されたる一人」
【3】「飛機睥睨」
【4】「ジャズ結婚曲」と「南方の秘宝」
【5】小説の作者名を当てる懸賞
【6】「白頭の巨人」と「意外な告白」
【7】まとめ
第2章 子母澤寛の股旅物におけるテクスト・挿絵の関係と洗練のプロセス
―週刊誌における文学と表象表現の一定型[中村 健]
【1】先行研究と研究の目的、考察の方法について
【2】研究方法
【3】影響/差別化→スタイルの洗練化への考察
3―1 【分類一】「紋三郎の秀」「弥太郎笠」「さいころの政」の考察
3―2【分類二】「新蔵兄弟」―「松五郎鴉」と「国定忠治」の考察
【4】股旅物のリアリティとコモディティ化
4―1 週刊誌的なコンテンツと内包するリアリティ
4―2 影響/差別化からコモディティ化へ
【5】まとめと課題
第3章 『サンデー毎日』と新感覚派 ―『文芸時代』同人たちの週刊誌との関わり[松村 良]
【1】はじめに
【2】『文芸時代』同人の週刊誌への執筆状況
【3】新感覚派の活躍期における『サンデー毎日』への同人執筆状況
【4】横光利一と『サンデー毎日』
◆『サンデー毎日』表象史 1927〜1931
【天皇/皇族】
大正天皇の即位のみならず、皇族の結婚や出産、行幸や軍事演習視察などの姿が『サンデー毎日』誌上でも頻繁に表象される。特に、表紙やグラフ記事における視覚表象として、女性皇族や婚姻予定の女性たちを含めた天皇/皇族像は、戦前期週刊誌のレイアウトに不可欠の存在であった。
【表象としての「女性」】
一九二〇年代中期から「女性」を表紙や誌面のレイアウトで戦略的に活用していた『サンデー毎日』は、二〇年代後期から、「女性」の視覚的・ゴシップ的訴求力を最大限に活かした多様なコンテンツを多面的、複合的に展開することになる。
【「猟奇」と「性」】
「猟奇」的志向を以前から拡大していた『サンデー毎日』だが、そこで捕捉された「奇」なる表象群は、あくまで表層的なデザインとしての消費物であった。その表象は、活字コンテンツとしての物語、写真、絵画、挿絵、カット画と、多彩な形態で展開される。
第3部 「見ること」の場としての『サンデー毎日』
第1章 戦前期『サンデー毎日』表紙論―「週刊誌的レイアウト」の構築と表象の消費[副田賢二]
【1】はじめに―問題の所在と本論の視座
【2】視覚空間としての『サンデー毎日』―「窓」としての表紙
【3】読者が関与する場/インターフェイスとしての表紙
【4】「絵画/写真」の表紙画と「女性」表象の消費
【5】表紙レイアウトにおける「美人画」と「戦争画」の接合
【6】往還するファンタジー・固有名性からの「解放」と空白としての表象
第2章 『サンデー毎日』と「雪岱調」―小村雪岱美人画に見出されたもの[富永真樹]
【1】『サンデー毎日』と小村雪岱
【2】『サンデー毎日』「大衆文芸」と「雪岱調」
【3】表情のない「雪岱式美人」
【4】「雪岱式美人」に見出されたもの
コラム① 植村俊と『サンデー毎日』の視覚空間[副田賢二]
◆『サンデー毎日』表象史 1932〜1940
【女優/美人画】
『サンデー毎日』表紙は一九三〇年代以降「女優」像が主流となり、鮮やかなカラー印刷とともに、〈モノ〉としての同誌の強力な訴求力となってゆく。その表紙と記事の中で、映画や宝塚少女歌劇団の「女優」たち、あるいは架空の「女性」たちは、固有名/非固有名の間を揺れ動く記号的視覚表象として、絶えず生成、消費され続ける。
【モードとしてのモダニズム的デザイン】
『サンデー毎日』的モダニズムは、多くの挿絵や目次絵、扉絵、グラフ記事の視覚表象において、特定の〈意味〉を指示しないまま、雑多に花開く。
【「戦争」と〈前線/銃後〉】
満洲事変勃発以降戦争関連の記事は増加するが、『サンデー毎日』では、報道性よりも、「戦争」を表象としてどのように加工し、趣向化し、大衆的コンテンツに仕立て上げるか、それこそが重視された。そこでの〈前線/銃後〉の二元的構図は、恰好の表象の舞台であった。そこではメロドラマ的想像力が発動し、〈前線/銃後〉をめぐる融合と交感、超越の物語が、〈銃後〉の「女性」の身体において表象される。
第4部 戦後週刊誌の展開とその表象
第1章 GHQ占領期における『サンデー毎日』
―ヒューマン・インタレストと親和的「アメリカ」[天野知幸]
【1】はじめに
【2】敗戦の表象と政治・歴史の欠落
【3】ヒューマン・インタレストと身体性
【4】ヒューマン・インタレストとアメリカナイゼーション
【5】親米意識と週刊誌
第2章 週刊誌メディアと中上健次―『朝日ジャーナル』と『週刊朝日』を中心に[渡邊英理]
【1】「シリーズ『差別』対談」から『紀州―木の国・根の国物語』へ
【2】司馬遼太郎と中上健次―『街道をゆく』と『紀州』
【3】「アメリカ村」と日本―『週刊朝日』「日本拝見」が描く熊野・新宮
【4】ツーリズムのまなざし
【5】「商品化できる熊野」と「商品化できない熊野」
【6】『紀州』から『熊野集』『地の果て 至上の時』、そして『異族』へ
コラム② 「旅」物語の消費―『週刊朝日』の連載旅行記「新日本名所案内」[尹 芷汐]
「旅」の消費
旅ルポと「地方」イメージ
消費/忘却のための「物語」
空間的想像と同時代文学
◆『サンデー毎日』表象史 1941〜1951
【記憶の反転/断絶と「アメリカ」】
一九四〇年代後半の簡素化した『サンデー毎日』誌面には、アメリカの最新鋭兵器が、奇妙なほど多く記事化されている。「アメリカ」は、現実の敵国であるに留まらず、放恣な想像力の源泉でもあった。その戦争の巨大な破壊の後、『サンデー毎日』でも、記憶とイメージの大規模な綴り変えが始まる。
戦局が絶望的となる一九四五年四月以降、表紙は単色刷となりページ数もさらに減少する。同年八月一五日前後の極端に簡素化された誌面では、表紙も、活字コンテンツを掲載する場として活用されるが、八月一五日を挟んだその一連の表紙には、農作業に励む無表情の子供の姿が隔週で描かれていることは象徴的だ。敗戦以降「子供」は、〈戦前/戦後〉を接続する表象としても活用される。
敗戦直後の『週刊毎日』誌面では、〈戦後〉への綴り変えが、様々な形で展開される。戦時下の「決戦川柳」は「明朗川柳」と名を変え、一九四三年一一月の「キスカ忘れじ」(表象史【「戦争」と〈前線/銃後〉】の【図Z】)で用いられていた「記憶の風景」のスケッチと文章のレイアウトは、四九年七月の「ソ連抑留記」において再活用され、〈戦前〉と〈戦後〉が接続される。
【「成長」する「戦後日本」】
「戦後日本」という表象は、幾重にも重なるねじれと矛盾を孕む。敗戦後の『サンデー毎日』誌面では、歴史的記憶の隠蔽、改変とともに、「成長」する「戦後日本」の自己像が、イノセントな表象において捏造される。
一方、『週刊朝日』で一九五三年から五五年にかけて連載された「日本拝見」シリーズは、「講和」以降の「新生日本」を、戦時下の記憶の残滓と猥雑な「戦後」的エネルギーとともに、多様なグラフィックの視覚表象と大宅壮一らのルポルタージュによって描き出す。この時期の『週刊朝日』には、「戦後日本」の曖昧で錯綜した「国土」の揺らぎが絶えず映し出されることになる。
週刊誌メディアの現場から
元『週刊朝日』編集長・青木康晋氏 講演・インタビュー
○講演「週刊誌メディアの歴史と現在」
101年3ヶ月の「大往生」
創刊号の表紙から見えるもの
『週刊朝日』と私の人生が交わる
「さりげない正義感とヒューマニズム」
差別記事で前社長辞任、編集長も更迭
ついに迎えた100周年と休刊
○インタビュー
『週刊朝日』創刊時の読者層について
『週刊朝日』における文学コンテンツについて
第5部 データベース篇
『サンデー毎日』の表象空間・その視覚表象データベース
【1】データベースの目的とオープンデータ
1 戦前期『サンデー毎日』特別号の視覚表象データベース(1922~1926)/
2 『サンデー毎日』表紙の視覚表象データベース(1922~1926)
【2】戦前期『サンデー毎日』特別号視覚表象データベースの特徴 [中村 健]
2―1 概要
2―2 活用例
【3】戦前期・被占領期『サンデー毎日』表紙絵データベース[副田賢二]
3―1 概要
3―2 活用例
おわりに
執筆者プロフィール
索引(人名・作品/書籍名)
【著者紹介】
天野 知幸(あまの ちさ)
京都教育大学教育学部教授
共著『占領期雑誌資料大系 文学編Ⅳ 「戦後」的問題系と文学 1948・8‐1949・12』(山本武利・川崎賢子・十重田裕一・宗像和重編、岩波書店、二〇一〇年)、共著『敗戦と占領 戦後日本を読みかえる1』(坪井秀人編、臨川書店、二〇一八年)、「〈肉体〉の増殖、欲望の門:田村泰次郎「肉体の門」の受容と消費 」(『日本近代文学』、二〇〇六年一一月)
尹 芷汐(いん しせき)
椙山女学園大学講師
佐々木亜紀子・光石亜由美・米村みゆき編『ケアを描く:育児と介護の現代小説』(七月社、二〇一九年)、『社会派ミステリー・ブーム』(花鳥社、二〇二三年)、「Representing the Silk Road: Literature and Images between China and Japan during the Cold War」(『Humanities』、二〇二三年)
小澤 純(おざわ じゅん)
慶應義塾志木高等学校教諭・日本女子大学学術研究員
共編著『太宰治と戦争』(内海紀子・小澤純・平浩一編、ひつじ書房、二〇一九年)、論文「「フアース」を"LA MORT"に感染させる―葛巻義敏「一人」と坂口安吾「風博士」の論争的布置―」(『坂口安吾研究』、二〇二三年三月)、「芥川龍之介「羅生門」における〈情調〉と〈心理〉―森鷗外から志賀直哉の文学へ―」(『国語と国文学』、二〇二三年七月)
五島慶一(ごとう けいいち)
熊本県立大学文学部准教授
「講談社的〈作家権〉ビジネスの一様相―野間文芸奨励賞とその周辺―」(『近代文学合同研究会論集』、二〇〇四年一〇月)、「「あの頃の自分の事」論」(『藝文研究』、二〇一五年一二月)、「芥川龍之介の「創作」」(『日本近代文学』、二〇二二年一一月)
西山 康一(にしやま こういち)
岡山大学学術研究院社会文化科学学域准教授
倉敷市・薄田泣菫文庫調査研究プロジェクトチーム編『薄田泣菫読本』(翰林書房、二〇一九年)、「芥川龍之介の二つのシナリオについて:芥川にとっての表現主義(前・後篇)」(『岡大国文論稿』、 二〇二〇年・二〇二二年)、西山康一・掛野剛史・竹本寛秋・荒井真理亜・庄司達也『『小天地』復刻版』(琥珀書房、二〇二二年)
原 卓史(はら たかし)
尾道市立大学芸術文化学部日本文学科教授
『坂口安吾 歴史を探偵すること』(双文社出版、二〇一三年)、『田中英光事典』(三弥井書店、二〇一四年)、『坂口安吾大事典』(勉誠出版、二〇二二年)
松村 良(まつむら りょう)
駒沢女子大学特任教授
共著『戦間期東アジアの日本語文学』(石田仁志・掛野剛史・渋谷香織・田口律男・中沢弥・松村良編、勉誠出版、二〇一三年)、共著『改造社のメディア戦略』(庄司達也・中沢弥・山岸郁子編、双文社出版、二〇一三年)、論文「横光利一「笑はれた子」論」(『駒沢女子大学 研究紀要』、二〇二三年一二月)
三浦 卓(みうら たく)
志學館大学人間関係学部教授
共著『〈転生〉する川端康成 Ⅰ』(仁平政人・原善編 文学通信、二〇二二年)、論文「『少女の友』のコミュニティーと川端康成「美しい旅」―〈障害者〉から〈満洲〉へ―」(『日本近代文学』、二〇〇九年五月)、「文壇ゴシップとしての『文芸時代』/文壇ゴシップ誌としての『不同調』―一九二五年の文壇言説空間の中で」(『横光利一研究』、二〇二四年三月)
渡邊 英理(わたなべ えり)
大阪大学大学院人文学研究科教授
単著『中上健次論』(インスクリプト、二〇二二年、第14回表象文化論学会賞受賞)、共編著『クリティカル・ワード 文学理論』(三原芳秋・鵜戸聡との共編、フィルムアート社、二〇二〇年)、論文「戦争と女たち―鈴木忠志の演劇における「現代世界」と「戦後日本」」(『思想』、岩波書店、二〇二四年八月)
青木康晋(あおき やすゆき)氏
元『週刊朝日』編集長
一九五九年(昭和三四年)、愛知県生まれ。早大政経学部卒業後、八一年朝日新聞社入社。社会部、政治部などの記者のあと、九三〜九四年『週刊朝日』記者。二〇〇四年四月〜〇五年一〇月、『週刊朝日』編集長。一二年一二月、同誌の橋下徹大阪市長(当時)にかかわる差別記事の問題で、前任の社長が引責辞任したあとを受け、株式会社朝日新聞出版代表取締役社長に就任。二一年六月まで社長を8年半務め、取締役会長に。二二年六月会長退任。社長、会長の9年半、日本出版クラブ理事、日本雑誌協会監事、司馬遼太郎記念財団理事。
現在、Gakken常勤顧問、東日本国際大学副学長・特任教授、日本大学理事長サポートスタッフ、朝日カルチャーセンター講師、BS朝日放送番組審議会委員。『週刊朝日』は、〇八年三月まで、株式会社朝日新聞社が発行していた。担当部門は、出版本部(かつては出版局)の週刊朝日編集部。〇八年四月に朝日新聞社出版本部が分社化し、株式会社朝日新聞出版が発足。それ以来、『週刊朝日』は朝日新聞出版の週刊朝日編集部が編集し、発行している。青木氏は、朝日新聞出版の3代目の社長。