【連載】ゆらめく勧善懲悪 二代目松林伯円の講談世界(目時美穂)

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幕末から明治、そして日露戦争までを生き、
講談の全盛時代を築いたひとり、二代目松林伯円(しょうりんはくえん)
本連載では、『たたかう講談師 二代目松林伯円の幕末・明治』の刊行を記念し、著者である目時美穂氏が、伯円の講談世界を紹介していきます。

講談は決して単調な勧善懲悪ものばかりではない。
そこで描かれる人々もまた、完全な善人でも完全な悪人と割り切ることはできない。伯円の講談にはいかなる人間運命の悲喜こもごもが描かれていたのか。ぜひ耳を傾けてみてください。

───────  目次  ───────
第1回 金を恵む悪党――勧善懲悪という口実『天保怪鼠伝』
第2回 作られた悪女――原田絹「仇嵐嶋物語」
第3回 勧善懲悪を越えた残虐性――豊臣秀次『関白秀次公』
第4回 立身出世は正義か悪か――山城屋和助『萩の露山城日記』
第5回 成功を誇ってはいけないか?――松林伯円


─────── 書いた人 ───────
目時美穂(めとき・みほ)
1978年静岡県生まれ。2003年明治大学文学部フランス文学専攻修士取得、2009年同博士後期課程単位取得満期退学。専攻研究のかたわら明治時代の文化風習、文学等に興味を持つ。在学中、古書情報誌『彷書月刊』へ。2010年の休刊号まで編集に携わる。著書に『油うる日々─明治の文人戸川残花の生き方』(芸術新聞社、2015年)。


───────本連載について[目時美穂]───────
 知人に講談が嫌いだという人がいた。どこが嫌いかと問うと、「どうも単調な勧善懲悪が苦手だ」という。確かに、明治以降、講談は民衆の道徳涵養をその任とした。最終的には勧善懲悪を謳っているのかもしれないが、知る限り、また聞く限り、読む限り、講談の物語は単調な勧善懲悪ばかりではない。つまり、食わず嫌いなのだ。

 勧善懲悪のよさは、うさばらしになることだ。権力者等の力のある悪が懲らしめられ、弱き善人が救われる。現実にはほとんど起こりえないハッピーエンドには胸がすく。

 しかし、だいたい実人生では、完全な悪にもまったき善にも出合うことはない。悪人、善人の境界はあいまいで、犯罪者のような悪人が気まぐれに善を行うこともある。また、ごく普通の善良といえる人間が、不幸な運命の巡り合わせによって悪に手をそめてしまったりする。そこに人間存在のおかしさと、かなしみがある。

 いまは忘れられて知る人も少ないが、幕末から明治30年代に入る頃まで、40年近くにわたる長き歳月、巷間の熱狂的人気をさらっていた講談師がいた。2代目松林伯円(1834~1905年)である。彼は名人といわれた演者であるとともに、有能で多産な創作者であった。彼が生涯に手がけた新作講談は70を越える。結果的な勧善懲悪を目指し(あるいは衒(てら)い)ながらも、人間の運命の悲喜こもごもを描き、演じ、幕末・明治の大衆は、彼が創り出した人間に笑わせられ、憤らされ、あるいは涙させられた。人の心を揺さぶる天才であったともいえるだろう。

 そんな善悪ゆらめく、伯円の「勧善懲悪」の世界にご招待する。