読んで、感じて! 古典みゅーじあむ・全5冊紹介特設サイト

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【シリーズ特色】

古典の面白いエピソードを
やさしく、わかりやすく紹介するよ!
過去にタイムスリップして昔の世界を楽しもう!

「くらし編」「たべもの編」「どうぶつ編」「ことば編」「もののけ編」という
全5冊シリーズ! 全240話!

❶古典のエピソードを全12章(各4話)で紹介。どこから読んでもOK!
❷学校で習う作品から、少しマイナーな作品まで、幅広い古典作品を収録!
❸各エピソードにある 「声に出して読んでみよう」で原文の音読に挑戦!
❹収録作品の読書案内&年表つき!
❺全文ふりがなつき(小学校高学年〜)

【パンフレットPDF公開】

文学通信

【書店さま用注文書】
取次店にお渡しください

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【シリーズ全5冊構成】

[各巻 四六判・並製・カバー装・136頁・定価:本体1,500円(税別)]
第1巻 くらし  ISBN978-4-86766-061-4
第2巻 たべもの ISBN978-4-86766-062-1
第3巻 どうぶつ ISBN978-4-86766-063-8
第4巻 ことば  ISBN978-4-86766-064-5
第5巻 もののけ ISBN978-4-86766-065-2

文学通信
根来麻子[編著]
読んで、感じて! 古典みゅーじあむ 第1巻 くらし
ISBN978-4-86766-061-4 C0095
四六判・並製・136頁
定価:本体1,500円(税別)

文学通信
根来麻子[編著]上鶴わかな[執筆]
読んで、感じて! 古典みゅーじあむ 第2巻 たべもの
ISBN978-4-86766-062-1 C0095
四六判・並製・136頁
定価:本体1,500円(税別)

文学通信
根来麻子[編著]
読んで、感じて! 古典みゅーじあむ 第3巻 どうぶつ
ISBN978-4-86766-063-8 C0095
四六判・並製・136頁
定価:本体1,500円(税別)

文学通信
根来麻子[編著]
読んで、感じて! 古典みゅーじあむ 第4巻 ことば
ISBN978-4-86766-064-5 C0095
四六判・並製・136頁
定価:本体1,500円(税別)

文学通信
根来麻子[編著]上鶴わかな[執筆]
読んで、感じて! 古典みゅーじあむ 第5巻 もののけ
ISBN978-4-86766-065-2 C0095
四六判・並製・136頁
定価:本体1,500円(税別)

【推薦】

渡部泰明
[国文学研究資料館館長]

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探してごらん。
古典は、いつも、
君のそばにあるよ。

【古典みゅーじあむシリーズ 全五冊のご案内】


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根来麻子
[甲南女子大学文学部准教授]

ねごろ・あさこ 和歌山県生まれ。大阪市立大学(現・大阪公立大学)大学院文学研究科後期博士課程修了。現在は、甲南女子大学文学部准教授。専門分野は、奈良時代の文学、ことば・文字。幼少時から、昔話や民話、落語などの「おもしろいお話」に親しむ。中学・高校時代に古典や歴史の授業を受ける中で、昔の人々のくらしや文化に興味を持ち、大学では国文学を専攻。好きな古典作品は『古事記』。

古典文学を、
もっと身近に、
もっと気軽に楽しんでほしい―

 そんな想いから、本シリーズは生まれました。「くらし編」「たべもの編」「どうぶつ編」「ことば編」「もののけ編」という五冊シリーズです。それぞれのテーマにそったエピソードを集めていますので、どこから読んでもOKです。もくじを見て、気になるタイトルのページを、まずは開いてみてください。もちろん、前から順番に読み進めても楽しめます。

 本シリーズでは、学校で習う有名な作品だけでなく、ちょっとマイナーだけれど、面白いエピソードがたくさん収録されている作品も取り上げました。また、狂言・人形浄瑠璃・歌舞伎・落語など、伝統芸能の演目として有名な作品も取り上げています。ひとくちに「古典」といっても、作られた時代やジャンルは、本当にさまざまです。みやびやかな物語もあれば、いさましい戦いのエピソードもあり、笑い話やこわい話もあります。本シリーズを読んで、ぜひ、自分の好きな作品を見つけてください。

 エピソードの最後には、 〈声に出して読んでみよう〉として、古典の原文を載せています。古典の文章は、目で読むだけでなく、実際に声に出して読んでみることで、独特のリズムやことばの雰囲気を味わうことができますので、ぜひ、チャレンジしてみてくださいね。

 各編の章末には、「読書案内」として、主に原文・現代語訳・注釈が載っている書籍を載せました。各章で紹介したエピソードをもっとじっくり読みたいという方は、こちらを参照してください。また、巻末には「年表」を付け、本シリーズで取り上げた全作品が、それぞれどの時代のものなのか、時系列で分かるようにしました。「読書案内」と「年表」は、学校の授業などにもお役立ていただけると思います。

 本文の小学校高学年以上で習う漢字には、ふりがなを付けています。小・中学生から、古典が好きな高校生・大学生、また、「もう一度、古典を読んでみたい」という社会人の皆さんまで、幅広く多くの方に手に取っていただけることを願っています。

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[2・5巻執筆]上鶴わかな(かみづる・わかな)/いちごんいっく舎。鹿児島県生まれ。大阪市立大学(現・大阪公立大学)文学部国語国文学コース出身。現在は、フリーの編集者として活動。主に小中学生向け教材の原稿執筆・編集・校正に携わっている。Webサイト「古典作品登場人物名鑑(https://koten-meikan.com/)」も運営。古典に本格的に興味を持ったきっかけは、小学生のころに親戚から百人一首かるたとその解説マンガをもらったこと。好きな古典作品は『宇治拾遺物語』。

【イラスト】

かみとすみ(@kami_to_sumi)
https://twitter.com/kami_to_sumi

【シリーズ全5冊・まえがき一覧】

文学通信

①「くらし編」

はじめに

古典みゅーじあむへ、ようこそ。この「くらし編」では、さまざまな古典の作品を読み進めながら、昔の人々が何を考え、どんな生活をしていたのか、どんな一生を送っていたのかを、のぞいてみたいと思います。今とは違っているところを中心にピックアップしていますので、ぜひ、タイムリップしたつもりで、昔の人の「くらし」を体感してみましょう。

朝起きると、ごはんを食べて、学校や仕事へ行く。休みの日にはスポーツをしたり、家でゆっくり音楽を聴いたり、遠くへ旅行に出かけたり。皆さんにそんな日々の「くらし」があるように、古典の中の人々にも、毎日の「くらし」がありました。ごはんも食べますし仕事にも行きます。旅行もしますし、お正月もお祝いします。でも、今と昔とでは、一日の過ごし方や仕事のしかた、季節ごとのイベントの内容は、大きく違っていました。

たとえば、今は十八歳で成人ですが、平安時代は十二・三歳になると成人式をして大人の仲間入りをしました(第2章②)。洗濯機が無い時代には、着物はぜんぶ糸をほどいて手洗いしていましたし(第5章②)、貴族の男性が頭にかぶる「烏帽子」は、服と同じくらい、人前で脱ぐのは恥ずかしいものでした(第6章③)。昔の旅行は船や徒歩がメインなので、今の何倍も時間がかかり(第4章・第11章・第12章)、江戸時代の買いものの支払いは、一年の終わりにまとめて後払いするのが普通でした(第10章①)。

このように、古典に出てくる昔の人々の生活習慣や社会のルール、ものごとに対する価値観は、今とは大きく違っています。でも、「春が来るのが待ち遠しい」「好きな人に振り向いてほしい!」「お正月のごちそうが楽しみ」など、生活の中で感じるさまざまな「気持ち」には、今とちっとも変わらないところがあります。千年以上昔の人々も、今の私たちと同じように、笑ったり泣いたり、時には怒ったりしながら、日々のくらしを楽しんでいたのです。

古典を読む楽しみのひとつは、今と昔の「違い」と「共通点」を見つけるところにあります。現在でも、日本と外国とでは文化や習慣が大きく異なりますが、お互いの国の文化や習慣を知り、「ここは同じだ」「ここは違うね」と話をすると、ぐんと距離が縮まります。外国のことは、テレビやインターネットを通じて知ることができますし、実際にその国を訪れることもできます。それに対して、昔のことはもちろん映像には残っていませんし、タイムマシンが発明されない限り、千年前の世界に行くこともできません。でも、古典文学を読めば、昔の人々のくらしの様子を知ることができるのです。残念ながら、昔の人々と直接話をすることはできませんが、そこはぜひ、皆さんの頭の中で、「昔の人が、もし令和の現代のくらしを見たら、なんて言うだろう?」と想像しながら読んでみてください。

文学通信

②「たべもの編」

はじめに


古典みゅーじあむへ、ようこそ。この「たべもの編」では、昔の人々の食事風景をのぞいてみることにしましょう。毎日のごはんやおやつは、私たちにとって大きな楽しみのひとつです。「今日の晩ごはんのメニューは何かな?」とわくわくしたり、大好きなおやつが待っていると分かれば、寄り道せずにまっすぐ家に帰ったりすることもありますよね?また、誕生日などの特別な日に食べるケーキや、お正月の特別なごちそうも、楽しみのひとつになっています。

古典の中の人々も、私たちと同じように、毎日ごはんを食べ、時にはスイーツも味わい、特別な日にしか食べられないメニューを楽しみにしていました。もちろん、奈良時代から江戸時代までの長い期間の中で、食べものの種類や食事の習慣は大きく変わりましたが、いつの時代も、「食べる」ことは人々の大きな活力になっていたのです。

現代では、手に入る食材も豊富で、料理にも多くのバリエーションがあります。日本にいながらにして、イタリア料理やフランス料理、エスニック料理など、世界各国の料理を食べることができますね。だからこそ、日本ならではの「日本食」に、ふたたび注目が集まっているわけですが、日本食のルーツとなる料理やその材料などが、古典の中にはたくさん出てきます。たとえば、「うなぎ」。奈良時代にはすでに食べられており(第1章①)、江戸時代にはかば焼きもできました(第12章②)。また、日本食の代表に挙げられる「お寿司」は、現代では少々高級なイメージもある料理ですが、では、江戸時代はどうだったのでしょうか?第10章(③)を読んでみてください。

普段の食事だけでなく、スイーツ事情も気になります。サトウキビから作る砂糖が一般に普及したのは、実は、江戸時代になってからのこと。それまでは、甘いものといえば、もっぱら果物でした。そんな中でも、貴族たちのおやつには、植物の樹液を煮詰めて作ったシロップ(甘葛)を使った甘いお菓子が登場します。中には現代の和菓子のルーツになったものもありますが、当時はもちろん、一握りの人々だけが楽しめる、最高級スイーツでした(第4章②・第5章①)。

また、古典の中の食べ物・食事に注目してみると、昔の人がどんなものを食べていたかだけでなく、「食べ物や料理にどのような思いを込めていたか」ということもみえてきます。第2章で紹介する桃やみかん(橘)には、特別な不思議な力が宿っていると考えられていましたし、第4章①に出てくる「若菜」は、現代にも残る「七草がゆ」のルーツです。昔の人々にとって食べ物は、健康や長寿などの願いを託す、大事な存在でもあったのです。

どのページをめくっても、とにかくおいしそうなエピソードばかりですので、おなかが空いているときに読むのは危険かもしれません。手元にお気に入りのおやつを用意して、くつろぎながらゆっくり読んでください。


文学通信

③「どうぶつ編」

はじめに


古典みゅーじあむへ、ようこそ。これからご案内するのは、古典の中に暮らす、動物たちの世界です。

古典文学の中には、たくさんの動物たちが登場します。犬や猫はもちろん、イノシシやウサギ、鳥や魚や虫まで、その種類も実にさまざまです。しかも、ただ登場するだけでなく、物語の主人公になったり、和歌の表現に使われたりすることもあります。今では、野生動物を見かけることは本当に少なくなってしまいましたが、昔の人々にとって、動物はとても身近な存在だったのでしょう。

まず注目したいのは、人間と暮らしを共にしてきた動物たちのお話です。たとえば馬は、奈良時代以前に朝鮮半島からやってきて以来、荷物を運んだり、人を乗せたりするのに大活躍していました。戦いにおいてもなくてはならない存在で、武士たちは馬をよき相棒としてかわいがっていました(第1章④・第6章②)。また犬も、縄文時代から、狩りのお伴として人間と一緒に暮らしてきました。縄文人は、今の私たちと同じように犬をかわいがり、死んだあとはお墓を作って弔っていたことも分かっています。第11章では、ある武将に仕えた犬がきっかけとなって起こる、壮大な物語を紹介しています。猫もまた、平安時代から長らく人間と共に暮らしてきた動物ですが、どうやらこちらは、ただかわいいだけではなかったようです(第12章③)。

人に恩返しをしたり、反対に人をだましたりする動物も、古典の中にはよく登場します。恩返しといえば「ツルの恩返し」が有名ですが、カニやスズメの恩返しの話もあります(第2章②、第7章④)。人をだます動物の代表であるキツネとタヌキは、もちろん悪さをして人間を困らせるのですが(第7章③、第8章②)、中には、人間と恋をして夫婦になったキツネもいました(第2章①)。

現代の私たちにはなじみがあるものの、昔の人にとっては珍しかった動物もいます。そのひとつが「トラ」です。朝鮮半島でトラに出くわし、命からがら逃げた人々の話からは、その驚き・恐怖がよく伝わってきます(第7章①)。また、第12章④では、初めてみるラクダに大熱狂する、江戸の人々の様子が描かれています。

古典文学に登場するのは、実在の動物ばかりではありません。人間は、その豊かな想像力によって、たくさんの「伝説上の動物」を作り上げてきました。代表的なのは、「竜」です。竜は、中国の書物や絵画を通じて日本に伝わった、伝説上の動物です。巨大なヘビのような姿で四本足があり、角とヒゲを持つ姿で描かれます。雨を降らす神様として知られ、竜神様とも呼ばれました。そんな竜にまつわる話は、第3章②、第5章①④で取り上げています。

動物が主人公となって活躍する話も、たくさんあります。第9章①で取り上げる話では、奥さんにおいしいものを食べさせるために大冒険をする、白ネズミの「弥兵衛さん」が主人公です。また第10章で取り上げる『伊曽保物語』では、収録されるお話のほとんどが、キツネやアリなどの動物を主人公としています。ぜひ、動物たちの会話に、耳を傾けてみてください。

文学通信

④「ことば編」

はじめに


古典みゅーじあむへ、ようこそ。今から皆さんをご案内するのは、古典の「ことば」の世界です。

もしも、「今日から言葉を使ってはいけません」なんていうことになったら、どうしますか?「お水が飲みたい」という希望も伝えられませんし、「ありがとう」という気持ちも伝えられませんね。もちろん、ある程度は、身ぶり手ぶりで伝えられますが、長い文章や複雑な内容は、なかなか正確には伝えられません。私たちにとって言葉は、起こった出来事や自分の気持ちを伝えるために、なくてはならないものです。

人間は、何千年もの昔から、言葉を使ってお互いにコミュニケーションを取ってきました。もっとも、昔の人が使っていた言葉と、現代の私たちが使っている言葉とでは、言葉のかたちや発音・意味が、大きく変化しています。古典の言葉は、いわば、今私たちが使っている言葉のご先祖さま。この「ことば編」では、「言葉」「表現」「文字」を中心に、古典の「ことば」の世界を楽しめるエピソードを集めました。

まず注目したいのは、「今と昔とでは意味が違っている言葉」です。たとえば、「おもしろい」という言葉は、今だと「おもしろいコント」のように、思わず笑いたくなるような出来事や様子を指して使うことが多いですね。ですが古典の中では、「月のおもしろういでたる」(月が美しく出ている)というように、風流ですてきな様子を表す時にも使われます。「おもしろし」はもともと、目の前がぱっと明るくなるような、すばらしいものごとに出会った時の気持ちを表す言葉です。昔は、景色の美しさや芸術のすばらしさなどに対して使うことが多かったのですが、しだいに、ユーモアのある様子まで表すようになっていきました。言葉の意味は、長い時間の中で少しずつ変化したり、幅を広げたりしながら、現代まで受け継がれているのです。第3・4・5章では、こうした「現代語とは異なる意味を持つ言葉」を、主に取り上げています。

また、ものごとを生き生きと伝えるために工夫された、さまざまな表現にも注目したいところです。第1・2章では、和歌や物語によく使われる比喩表現(「鈴のような声」のように、何かを何かにたとえる表現)を取り上げています。古典独特の比喩表現をみてみると、「えっ、そんなものにたとえるの?」と驚くことうけあいです。

さらに、擬音語・擬態語も外せません。「トントンと戸をたたく」のように音を表す表現を「擬音語」、「すらすら本を読む」のように様子を表す表現を「擬態語」といいますが、古典を読んでいると、現代語とはひと味違った擬音語・擬態語をたくさん見つけることができます(第6章・第9章)。たとえば、ネコの鳴き声は現代語では「にゃー」ですが、古典ではなんと表現されているでしょうか?(答えは第6章③をごらんください)。

その他にも、室町時代の会話劇である狂言のせりふや、言葉遊び・なぞなぞも取り上げました。「タイムスリップして、昔の人々の会話を聞いてみたい!」―、本書を読みながら、そんなふうに感じてもらえるならうれしいです。

文学通信

⑤「もののけ編」

はじめに


古典みゅーじあむへ、ようこそ。これからご案内するのは、「もののけ」たちの世界です。

いつの時代も、私たちの心をつかんで離さない「こわい話」や「ふしぎな話」。ぞくっとするはずなのに、なぜか聞きたくなってしまいませんか?また、鬼や妖怪は、マンガやアニメのキャラクターになることも多く、時代を超えて人気のある存在です。

この「もののけ編」では、古典の中に登場する妖怪や化け物のエピソードを中心に、不思議な力を持った神さまや仙人の話、江戸時代に人気を呼んだ怪談などを取り上げます。

昔の人々は、ふしぎな出来事が起こると、「神さまのしわざかもしれない」と考え、病気になったり不幸なことが起こったりすると、「もののけに取りつかれた」と考えました。「もののけ」は、漢字で書くと「物の怪」。つまり、亡くなった人の幽霊(時には生きている人の〝生き霊〟も!)が、人に取りついて悪さをしている、と考えたのです。そこから、人にとりついたり、悪さをしたりする存在全般―幽霊だけでなく、妖怪や化け物など―も、広い意味で「もののけ」と呼ばれるようになりました。

古典の中に一番よく出てくる「もののけ」といえば、やはり「鬼」ではないでしょうか。現代では、鬼といえば、体の色が赤色や青色で、角が生えていて、トラの毛皮のパンツをはいている......というイメージが定着していますが、このイメージは鎌倉時代あたりから出来上がってきたもの。古典の中に出てくる鬼のエピソードを読むと、その姿は実にさまざまです。ひとつ目の鬼もいれば(第1章①)、人間の子どものような身なりをした鬼もいます(第5章①)。幽霊のことを「鬼」といっている場合もあります(第2章④)。

また、人がうらみや怒り、強い無念などを抱いたとき、その思いを晴らすために、さまざまな「もののけ」に変化しました。この本では、天狗になってうらみをはらそうとした上皇の話(第6章④)、恋に執着するあまり、生きたまま鬼になってしまったお坊さんの話(第9章③)、幽霊になって、自分を殺した夫にたたる女性の話(第10章)などを取り上げています。

ちなみに、「もののけ」になるのは、何も人間だけではありません。長く生きた動物が、化け物になることもよくありました。猫の化け物(第5章③、第11章③)やムササビの化け物(第4章③)、クモの化け物(第7章①)にガマガエルの化け物(第11章①)まで、続々と登場しますよ。動物は、人間の身近な存在である半面、その習性や行動が独特なものも多いので、不気味なイメージを持たれやすかったのかもしれません。さらには、人でも動物でもない、「古道具の化け物」なんてものもいます(第7章③)。これなどは、怖いというよりも、どこかちょっとユーモラスです。

昔の人の想像力が生み出した、さまざまな「もののけ」たち。今も、皆さんのすぐそばにいるかもしれません。