小嶋洋輔・高橋孝次・西田一豊・牧野悠編著『中間小説とは何だったのか 戦後の小説雑誌と読者から問う』(文学通信)

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5月下旬刊行予定です。

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小嶋洋輔・高橋孝次・西田一豊・牧野悠『中間小説とは何だったのか 戦後の小説雑誌と読者から問う』(文学通信)
ISBN978-4-86766-051-5 C0095
A5判・並製・368頁
定価:本体3,200円(税別)


それは、戦後から高度経済成長期の日本社会そのものを映しだす――
戦後の日本、人々は雑誌で小説を読み、小説とともに人生を味わい、数多くのベストセラーが生まれた。本書がテーマとする小説は、昭和二〇年代から四〇年代にかけて隆盛した、純文学と大衆小説の「中間」的な小説という意味で「中間小説」と呼ばれるものである。

はたして、かつて多くの読者を引きつけ、多様なジャンルを呑み込んだ中間小説とは何だったのか。中間小説の生まれる場となった雑誌とはどのようなものだったのか。その誕生から読者層が形成され、市場が確立、拡大するまでを追う。

第一部「昭和二〇年代の中間小説誌」、第二部「昭和三〇年代の中間小説誌」、第三部「昭和四〇年代の中間小説誌」の3部構成より成り、各部、各論の間に代表的な中間小説誌に関するコラムを付す。巻末の関連年表には、関連雑誌の創廃刊、文学賞の設定時期などをまとめ、変わりゆく中間小説誌の全体を理解できるものを作成。加えて、具体的な小説作品からも中間小説の輪郭に触れ、より深く味わってもらうため、編者らの選んだブックガイド八編を収録。

取り上げる雑誌は『日本小説』『小説と読物』『苦楽』『小説界』『小説朝日』『小説新潮』『別冊文藝春秋』『オール讀物』『別冊モダン日本』『小説セブン』『小説現代』『野性時代』等。登場する作家たちは、五木寛之・遠藤周作・大佛次郎・菊池寛・柴田錬三郎・丹羽文雄・舟橋聖一・松本清張・山田風太郎・吉行淳之介等。

ほとんど論じられることはなく、曖昧なままにやりすごされてきた「中間小説」にさまざまな角度から光を照射することで、それぞれの雑誌や出版、作家や作品、あるいは編集者、読者が相互に干渉し合い、それぞれの時代に段階を経て、大きなうねりの一部となっていく過程をたどる。

【戦後日本には、多くの小説読者が生まれた。活字への飢えや新たな時代の自由な空気から、文学青年や一部のエリートのためではない、大人も味わい楽しめる面白さが小説には求められた。しかしその面白さは、戦後すぐの混乱のさなか、雨後の筍のごとくあらわれたカストリ雑誌の類いとはちがう。瞬間風速的に消費されるキワドイ娯楽の面白さではない、ときに人生の指南書となり、伴走者となるような面白さであるべきだった。人々は雑誌で小説を読み、小説とともに人生を味わい、数多くのベストセラーが生まれた。昭和二〇年代から四〇年代にかけて隆盛したこれらの小説は、純文学と大衆小説の「中間」的な小説、という意味で「中間小説」と呼ばれた。】......「中間小説とは何だったのか 「はじめに」に代えて」より

装画 宮崎優「風鈴」。

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【編著者】

小嶋洋輔(こじま・ようすけ)

一九七六年生。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在名桜大学国際学部教授。主な著書に、『遠藤周作論―「救い」の位置』(双文社出版、平成二四年)、編著書に『琉球諸語と文化の未来』(岩波書店、令和三年)、論文に「吉行淳之介の「私」―昭和三〇年代の吉行淳之介」(『昭和文学研究』第七二集、平成二八年)などがある。

高橋孝次(たかはし・こうじ)

一九七八年生。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在帝京平成大学人文社会学部准教授。主な編著書に『水上勉の時代』(田畑書店、令和元年)などがある。

西田一豊(にしだ・かずとよ)

一九七六年生。千葉大学大学院社会文化科学研究科博士課程修了。博士(文学)。現在鹿児島純心女子短期大学生活学科生活学専攻准教授。中間小説を扱った他の論文に「福永武彦「鬼」論―雑誌メディアと福永武彦―」(『福永武彦研究』第九号、平成二五年)がある。

牧野悠(まきの・ゆう)

一九八一年生 。千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在帝京大学宇都宮キャンパスリベラルアーツセンター准教授。主な著書に、『昭和史講義【戦前文化人篇】』(共著、ちくま新書、令和元年)、『昭和史講義【戦後文化篇】(上)』(共著、ちくま新書、令和四年)、論文に「歴史をあざむく陰のわざ―柴田錬三郎と山田風太郎の忍法小説」(『昭和文学研究』第七六集、平成三〇年)などがある。

【目次】

中間小説とは何だったのか―「はじめに」に代えて [高橋孝次]
 一 中間小説とは何だったのか 
 二 中間小説誌と呼ばれた雑誌 
 三 本書の構成 

第一部 昭和二〇年代の中間小説誌

第1章 「中間小説誌」の誕生―和田芳恵と『日本小説』 [高橋孝次]
 一  はじめに― 「中間小説」とはなにか、という問い
 二 『日本小説』― 中間小説誌の誕生
 三 丸炭・丸木の新興出版・大地書房
 四 編集者としての和田芳恵
 五 『日本小説』という越境性

コラム 『小説と読物』― 「筋の面白さ」を追求した先駆け [小嶋洋輔]
    『苦楽』― 大佛次郎の再始動 [牧野悠]
    『小説界』― 堅実な中間小説誌を目指して [西田一豊]
    『小説朝日』― 自覚的な中間小説誌 [西田一豊]

第2章 「チャンバラ中間小説」の徴候―戦前期大衆文学論からの要請 [牧野悠]
 一 潜在していた「中間小説化」への要望
 二 「大衆文芸」と「時代小説」
 三 知識人のためのチャンバラ
 四 「宮本武蔵論争」と〝剣の反知性主義〟
 五 触発された「教養」
 六 戦後の読者獲得戦略

第3章 舟橋聖一『雪夫人絵図』と中間小説誌 [西田一豊]
 一  『雪夫人絵図』について 
 二 『雪夫人絵図』まで― 舟橋聖一と「世評」 
 三 『小説新潮』と『雪夫人絵図』―戦略とその技法 
 四 窃視と二人の読者 

コラム 昭和二〇年代の『小説新潮』―「御三家」の筆頭 [小嶋洋輔]

第4章 大衆雑誌懇話会賞から小説新潮賞へ―「中間小説」の三段階変容説 [高橋孝次]
 一 はじめに―「純粋小説論」との分節化
 二 「夏目漱石賞」と「女流文学賞」の〈民主的な方法〉
 三 「大衆雑誌懇話会賞」の〈編集者銓衡〉と林房雄
 四 「大衆文芸賞」の〈読者代表〉
 五 「小説新潮賞」の失敗―丹羽文雄のマス・プロダクション

コラム 昭和二〇年代の『別冊文藝春秋』―芸術の香りただよう「小説好きの大人の雑誌」 [高橋孝次]

第二部 昭和三〇年代の中間小説誌

第1章 中間小説の「真実なもの」―「地方紙を買う女」と「野盗伝奇」 [高橋孝次]
 一 松本清張と中間小説誌―中間小説作家の一面
 二 「小説本来の面白さ」と松本清張
 三 「地方紙を買う女」と「野盗伝奇」―テクストの過剰と空隙
 四 中間小説の「真実なもの」

第2章 清張の〝ポスト銭形〟戦略―『オール讀物』のなかの「無宿人別帳」 [牧野悠]
 一 平次終焉
 二 『オール讀物』の巻末
 三 捕物帳から罪囚小説へ
 四 つくられたディストピア

コラム 昭和三〇年代の『オール讀物』―戦前・戦後を生き抜いた「檜舞台」 [牧野悠]

第3章 中間小説誌における「読者の声」欄の位置―『小説新潮』の試み(昭和二八年〜昭和三九年) [小嶋洋輔]
 一 「読者の声」欄を研究するということ
 二 読者層について
 三 時代を写す「声」たち
 四 「読者の声」欄から見えること

第4章 『日本の黒い霧』と小説群―松本清張の小説方法をめぐって [西田一豊]
 一 『日本の黒い霧』と小説の方法
 二 小説への敷衍
 三 結論にかえて―「上申書」から「証言の森」へ

第三部 昭和四〇年代の中間小説誌

第1章 吉行淳之介『男と女の子』と『別冊モダン日本』―〈戦後〉の違和をいかに描くか [小嶋洋輔]
 一 黙殺された初の長篇小説
 二 〈戦後〉を描く小説
 三 「金のために」書く作家
 四 〈戦後〉に適応できるか/適応できないか
 五 時代への違和を描く

第2章 笑いのリベンジ―山田風太郎「忍法相伝73」から「笑い陰陽師」へ [牧野悠]
 一 Pの忍法帖
 二 他動的な現代
 三 奇行と怪現象
 四 ナンセンスとしての純度
 五 量的論理の忍法
 
第3章 遠藤周作と中間小説誌の時代―『小説セブン』と人気作家の戦略 [小嶋洋輔]
 一 「書き分け」た作家
 二 中間小説誌と遠藤周作
 三 後発の中間小説誌『小説セブン』
 四 『小説セブン』と遠藤周作
 五 『小説セブン』に掲載された小説
 六 他メディアへ

第4章 表皮としてのエンターテインメント―五木寛之「さらばモスクワ愚連隊」論 [西田一豊]
 一 変化への胎動
 二 韜晦するエンターテインメント
 三 中間小説誌のそれから

コラム 創刊から昭和四〇年代前半までの『小説現代』―最後の「御三家」 [小嶋洋輔]

おわりに―中間小説誌研究展望 [小嶋洋輔]

中間小説誌 関連年表
中間小説ブックガイド
参考文献リスト

初出一覧