加島正浩『終わっていない、逃れられない 〈当事者たち〉の震災俳句と短歌を読む』(文学通信)

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10月上旬刊行予定です。

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加島正浩『終わっていない、逃れられない 〈当事者たち〉の震災俳句と短歌を読む』(文学通信)
ISBN978-4-86766-060-7 C0095
四六判・並製・224頁・
定価:本体1,900円(税別)

凄惨な出来事の「以後」を生きざるを得なくなった歌人や俳人たち――。その歌をささえるものはなにか?
平時に研鑽された〈よい歌〉を生み出す技法や基準が、災害時に機能しなくなったとき、俳人/歌人はどのように句や歌を詠むのか。
平時とは異なる状況におかれながらも、なぜ、句や歌を詠もうとするのか。句や歌を詠むことでどう〈被災〉を乗り越えようとしているのか。
どのような言葉が生み出され、どのような思考が可能になったのか。〈被災〉時に歌を詠むことで何を訴えようとしたのか。
定型の表現を用いて俳人・歌人がどのように東日本大震災に対峙したのかを探る。付・震災歌集リスト/句集リスト。装画:金原寿浩「浪江の枝垂れ紅梅」。

忘れてしまったことすら忘れてしまう、私たちのための書。

【本書は、凄惨な出来事の「以後」を生きざるをえなくなった歌人や俳人に言及する。彼ら・彼女らは失った/失われつつある〈なにか〉と対峙しつづけている。彼ら・彼女らの「以後」の句や歌を支える〈なにか〉に関する本書の分析を通じて、この一三年間でなにが失われたのかを考察してもらえれば、幸いである。そこでの考察を基に、新たな震災「以後」の俳句や短歌が生まれれば、それに勝る喜びはない。】......「序章 東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか」より

●著者インタビュー公開

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https://amzn.to/3Trd8jb

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https://books.rakuten.co.jp/rb/17999670/

●序章「東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか」を公開
https://bungaku-report.com/blog/2024/09/post-1522.html





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【著者紹介】

加島正浩(かしま・まさひろ)

富山高等専門学校一般教養科助教。
専門は日本の現代文学。研究対象は、東日本大震災以後の小説・戯曲・詩歌など。
名古屋大学大学院修了。博士(文学)。主要な論文として、「『非当事者』にできること―東日本大震災以後の文学にみる被災地と東京の関係」(『JunCture』8号、2017年3月)、「東日本大震災直後、俳句は何を問題にしたか ―『当事者性』とパラテクスト、そして御中虫『関揺れる』」(『原爆文学研究』19号、2020年12月)、「区域外避難者の〈孤独〉を詠む―原発『事故』以後の大口玲子の短歌に着眼して」(『名古屋大学国語国文学』114号、2021年11月)など。
https://researchmap.jp/kashima_masahiro

【目次】

序 章 東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか
本書の目的/なぜ東日本大震災の特殊性に着眼するのか/東日本大震災は「当事者」だけが直面した問題か/失った感覚すら失ってしまう日常の前で

第一章 原発「事故」以後の問題とは何か
――東海正史『原発稼働の陰に』・佐藤祐禎『青白き光』

原発「事故」以後の問題とは/「以後」を生きさせられるということ/それでも原発と住む理由

第二章 「事故」以後の福島をどう捉えるか
――齋藤芳生『湖水の南』・市野ヒロ子『天気図』・駒田晶子『光のひび』

福島は「フクシマ」か?/見せたくないものばかりでも目に入る「以後」/福島の歴史のうえに「事故」があった/福島はいま福島に住んでいる人たちだけのものではない

第三章 警戒区域となったふるさとにどう関わるか
――三原由起子『ふるさとは赤』『土地に呼ばれる』

原発によって分断される〈ふるさと〉を詠む/誰かの傷をみながら、傷つき、詠うこと/型にはめられない多様さを詠う/あえて韻律をはずし、自分自身の「形」を作っていく

第四章 「事故」以後の福島に住むということ
――五十嵐進『雪を耕す』・澤正宏『終わりなきオブセッション』

『駱駝の瘤:通信』という文芸同人誌/曾根毅『花修』との比較から考える/「業界」を越境して考える/「土地の叫び」を聞いてきたのか/短歌が「歌集」になることの可能性

第五章 福島をどう語るか
――夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』・本田一弘『磐梯』『あらがね』

「フクシマ」は蔑称か?/「見えない」ものを詠まざるを得ない原発「事故」以後/〈被災地〉を語る言葉はどこから来ているか/言葉を鍛える必要性

第六章 「文学」は隠蔽する
――永瀬十悟『三日月湖』・小野智美編『女川一中生の句 あの日から』

誰が「事故」を引き起こしたのか?/絶望を「希望」で覆い隠す/「文学」にとって書く必要のないこと

第七章 東日本大震災は終わっていない
――逢坂みずき『まぶしい海』・梶原さい子『リアス/椿』・近江瞬『飛び散れ、水たち』・照井翠『龍宮』

「震災以後」を生きるということ/被災者にしか、住む者にしか、わからないこと/その鈍感さが〈忘れてもいい〉という言葉を呼び込む/死者が〈普通〉ではいさせない/震災に「関わってしまう」こと

終 章 忘れたふりをする人たちのために
「当事者」だけが死者に脅かされているのではないか?/選び取られた理由を探る―「原発忌」と「福島忌」について―/俳誌『浜通り』と〈フクシマ忌〉/〈フクシマ〉の表現を更新するために

あとがきに代えて

■資料
震災歌集リスト
震災句集リスト