齋藤樹里『見立てと女語りの日本近代文学 斎藤緑雨と太宰治を読む』(文学通信)
3月上旬の刊行予定です。
齋藤樹里『見立てと女語りの日本近代文学 斎藤緑雨と太宰治を読む』(文学通信)
ISBN978-4-86766-077-5 C0095
A5判・上製・336頁
定価:本体3,800円(税別)
日本の近代文学テクストを「芝居」と「女性」という2つのキーワードを中心に据えて論じる。
主として斎藤緑雨と太宰治という二人の近代文学者に焦点を当て、同時代の言説や同時代の社会文化状況、当時既に成立していた文学や芝居のような先行テクストを足掛かりに、小説テクストの分析を行う。
1つ目のキーワードは「芝居」。その大衆性ゆえに、題材として、引用として、描写の一部として、近代文学のなかで重要な役割を占め続けた。その知識を研究の俎上に載せることで、テクストを今一度読み替える。特に「見立て」という「芝居」的な観点から近代文学を捉えると何がわかるのか?「芝居」と〈近代批評〉を接続する。
2つ目のキーワードは「女性」である。太宰治の「女語り」、いわゆる〈女性独白体〉における「女性」とは何かを考える。性別を二分することの必然性が突き崩されているいま、近代文学のテクストはどう読んでいくとよいのか。
第一章「近代とは何か―明治二十年代と「芝居」―」、第二章「太宰治の「女語り」①―構築される「女性」―」第三章「太宰治の「女語り」②―「芝居」の中の「女性」―」及び附章「コリア語からの視点―翻訳と物語―」の合計14節より成る本書は、解釈を何よりも重視し、物語と向き合った、日本近代文学「芝居」「女性」論である。
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【著者紹介】
齋藤 樹里(さいとう・じゅり)
1994年福島県いわき市生まれ。國學院大學文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、國學院大學兼任講師・早稲田大学非常勤講師ほか。日本近現代文学専攻。
【目次】
凡例
序章 近代文学の「芝居」と「女性」―「見立て」と「女語り」の観点から―
一、本研究の二つのキーワードについて
二、本研究の構成について
第一章 近代とは何か―明治二十年代と「芝居」―
第一節 斎藤緑雨「かくれんぼ」論―「芝居」という装置―
一、はじめに―「かくれんぼ」の近代性
二、同時代評/先行研究
三、「かくれんぼ」の時代性
四、「芝居」の引用(=「記臆」)
五、俊雄が準える/準えられる「芝居」
六、「芝居」としての「かくれんぼ」
七、おわりに―「芝居」という装置
第二節 斎藤緑雨「油地獄」論―「女殺」を欠く〈地獄〉―
一、はじめに―「油地獄」の評価
二、『女殺油地獄』の活字化と近松研究会
三、近松研究会の『女殺油地獄』評
四、「引用」される『女殺油地獄』
五、おわりに―欠如する「女殺」
第三節 斎藤緑雨「門三味線」論―常磐津の物語―
一、はじめに―常磐津の物語
二、同時代評/先行研究
三、常磐津という流派
四、常磐津と「門三味線」―章題について
五、常磐津と「門三味線」―稽古曲について
六、おわりに―「門三味線」という音曲
第四節 坪内逍遙「梓神子」論―近代への接続―
一、はじめに―「新文字」としての「梓神子」
二、先行研究
三、接続される前近代と近代
四、曲亭馬琴の怨霊が捉える同時代の批評状況
五、井原西鶴の怨霊が捉える同時代の批評状況
六、近松門左衛門の怨霊らが捉える同時代の批評状況
七、前近代文学と近代文学の接続
八、おわりに―多重化される批評
第二章 太宰治の「女語り」①―構築される「女性」―
第一節 太宰治「燈籠」論―〈記録〉される言葉と〈記憶〉による語り―
一、はじめに―掲載誌「若草」について
二、同時代評/先行研究
三、「女性」は「独白」しているのか
四、「眼帯の魔法」
五、「さき子」の弁明
六、〈記録〉される言葉と〈記憶〉される語り
七、おわりに―「女性」を「独白」する語り
第二節 太宰治「きりぎりす」論―〈剝奪〉の先の希求―
一、はじめに―「反俗」か「女のエゴチズム」か
二、〈剝奪〉される言葉
三、「私」の希求
四、おわりに―「私」のエゴチズム
第三節 太宰治「千代女」論―「わからな」い少女―
一、はじめに―自信作としての「千代女」
二、同時代評/先行研究
三、揺れる「私」
四、「和子」の才能
五、「千代女」と「和子」
六、おわりに―「千代女」という「女」
第四節 太宰治「皮膚と心」論―「女」化する「私」―
一、はじめに―「女心」「女の心理」をめぐって
二、「女」化する「私」
三、「私」が語る「女」
四、おわりに―「女心」「女の心理」という陥穽
第五節 太宰治「待つ」論―待つてゐる「私」の〈姿勢〉―
一、はじめに―「待つ」の掲載経緯
二、先行研究
三、〈コント〉としての「待つ」
四、「私」は何を「待つてゐる」のか
五、「私」の〈姿勢〉
六、おわりに―〈待つ〉行為と個の力
第六節 太宰治「饗応夫人」論―「饗応夫人」になる「私」―
一、はじめに―モデルについて
二、同時代評/先行研究
三、「饗応」する「奥さま」
四、「饗応夫人」になる「私」
五、おわりに―「私」の物語
第三章 太宰治の「女語り」②―「芝居」の中の「女性」―
第一節 太宰治「おさん」論―小春の欠如と見立てられた「おさん」―
一、はじめに―「おさん」と『心中天網島』
二、『心中天網島』の評価
三、「私」による同一化
四、語りの恣意性
五、小春の欠如
六、「見立て」の構造
七、おわりに―近代の〈世話物〉
第二節 太宰治「ヴィヨンの妻」論―『仮名手本忠臣蔵』への接近と離脱―
一、はじめに―「ヴィヨンの妻」を読み替える
二、『仮名手本忠臣蔵』と「おかる・勘平」の物語
三、「私」の「おかる」化と「大谷」の「勘平」化
四、「人非人」物語の否定と「おかる」からの脱却
五、おわりに―〈虚構〉から〈架空〉へ
附章 コリア語からの視点―翻訳と物語―
第一節 翻訳の〈境界〉―森敦「天上の眺め」と「天上에서」―
一、はじめに―「天上の眺め」と「天上에서」
二、同時代評/先行研究
三、題名から開示されるもの
四、朝鮮人土工の造形の差異
五、音で書かれる言葉
六、おわりに―往復の物語から往の物語へ
第二節 李良枝「由煕」論―「우리」(われわれ)という「우리」(cage)―
一、はじめに―二つの国、二つの文化、二つの言語を越えて
二、韓国(語)/日本(語)という見せかけの対立作品名
三、正しい韓国語という幻想
四、「우리」(われわれ)という「우리」(cage)
五、おわりに―開かれた〈우리〉の可能性
終章 「芝居」と「女性」、その接点について―「見立て」られる「女語り」―
一、本研究のまとめ
二、「女形」としての「女語り」
あとがき
初出一覧
索引(人名・事項名・作品名)