特定非営利活動法人 宮城歴史資料保全ネットワーク(宮城資料ネット)【東北】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

pres-network_b.jpg

トップへ戻る

■本論のPDFはこちら。

■本書全体のepub/PDFはこちら。


特定非営利活動法人 宮城歴史資料保全ネットワーク(宮城資料ネット)

【団体情報】
設立年●2003年(2007年NPO法人化)
事務局所在地●〒980-8572 宮城県仙台市青葉区荒巻字青葉468-1 東北大学災害科学国際研究所歴史文化遺産保全学分野内
電話番号●022-752-2142(代表)
メールアドレス●office@miyagi-shiryounet.org(代表)
HP●http://miyagi-shiryounet.org/
Twitter●https://twitter.com/MiyagiShiryonet
Facebook●https://www.facebook.com/miyagishiryounet/
【活動地域】
宮城県・岩手県南部(旧仙台藩域)が中心
【参加方法】
入会●歴史文化遺産に関心のある方なら、どなたでも入会できます。会員種別は正会員、学生会員、賛助会員(一般、団体)。またメールニュース「宮城資料ネット・ニュース」(購読無料)の配信希望も受け付けております。入会方法および詳細についてはホームページをご覧ください。
寄付●活動に対する支援募金も随時募集しています。お問い合わせはホームページ掲載の連絡先までお願いします。

【設立の経緯】
文●川内淳史

NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク(宮城資料ネット)は、2003年(平成15)7月の宮城県北部地震を契機として設立されました。主に個人所蔵の歴史資料の救済・保全活動を行い、2007年(平成19)2月にはNPO法人の認証を得て、初代理事長に平川新さん(東北大学東北アジア研究センター教授・当時)が就任しました。設立15周年を迎えた2018年(平成30)には理事長が交代し、齋藤善之さん(東北学院大学教授)が二代目理事長に就任しました。2021年(令和3)3月末時点での会員数は168名(正会員124名、学生会員2名、賛助会員33名、団体賛助会員9団体)です。

設立の前史①「奥羽史料調査会」による地域史料調査活動の展開
宮城資料ネット設立以前の段階で、宮城県では近世史研究者を中心とした地域史料の調査活動が展開されていました。それ以前、宮城県内では「この地域には地方の史料はほとんどない」と言われていましたが、そうした状況に疑問を持った近世史研究者たちが、齋藤善之さんの呼びかけにより、大学の枠を超えた史料調査団体「奥羽史料調査会」を結成、東北地方南部から北関東にかけての地方史料の調査活動を開始しました。

奥羽史料調査会では、旧家所蔵の史料を全点デジタルカメラで撮影し、撮影画像を使った史料整理・目録の作成を行うなど、当時ようやく普及し始めたデジタルカメラとパソコンを活用した史料調査を展開しました。また2002年(平成14)には仙台駅東口の駅前再開発事業にともなって取り壊しが予定された八百長商店の史料調査と搬出を行うなど、後の宮城資料ネットの原型となる活動を展開しました〔齋藤2017〕。

設立の前史②在仙歴史研究者・市民のつながりと「仙台城石垣保存運動」
また、それまでにも在仙研究者の間には、東北史学会や宮城歴史科学協議会など日常的な学会・研究会を通じたつながりがありましたが、こうした研究者ネットワークと市民がつながるきっかけとなったのが、2000~2002年にかけて展開した「仙台城石垣保存運動」でした。仙台市が計画した仙台城の艮櫓の「復元」計画により、伊達政宗時代の石垣遺構が破壊される恐れが生じたこと、また史料調査によって艮櫓の「復元」計画は史実に沿うものではないことが判明した結果、在仙研究団体を中心とした反対運動が展開されました。さらに2000年(平成12)12月には在仙の若手・中堅研究者を中心とした「仙台城の石垣を守る会」が発足、関心を持つ市民に対して学習会「仙台城石垣出前講座」を開催したり、また仙台市の委員会への傍聴活動、現状の情報発信などを精力的に展開したりしました。この運動は市民の大きな関心を呼び、研究者・市民の双方が参加する運動へと展開した結果、仙台市は2002年に艮櫓の建設を中止することを決定しました〔柳原2003〕。

近世史研究者中心の奥羽史料調査会の活動に対して、2002年段階で時代・専攻領域を越えて研究者や市民の間に歴史文化をめぐる連携・拡がりが形成されていたことは、翌年の地震発生を前に重要な意味を持っていました。

宮城県北部地震での被災史料救済・保全活動
上述のような前史を踏まえて、宮城資料ネットの直接的な発足の契機となったのが、2003年(平成15)7月26日に発生した宮城県北部地震です。この地震では24時間で最大震度6以上の地震が3度発生し、宮城県北部を中心に家屋等の甚大な被害がもたらされました。この地震の翌日、後に宮城資料ネット初代理事長を務める平川新さんのもとへ、神戸の歴史資料ネットワーク(史料ネット)代表の奥村弘さんから宮城県内でのレスキュー体制の立ち上げ要請の電話がなされ、8月1日、史料ネットから奥村さんら3名が仙台を訪問、平川さんら在仙研究者と被災地域の調査活動を行いました〔平川2004〕。その結果、被災地では遺跡や古文書、古物などの文化遺産にも甚大な被害が発生していることが判明したため、その日の夜、平川さんより「お願い/宮城地震に伴う歴史資料の救済と保全の活動について」(のちに「宮城資料ネット・ニュース」1号)と題するメールが発信され、宮城県内での歴史資料救済・保全活動に向けた体制構築がはじめられました。

宮城資料ネットの被災史料レスキュー活動の最初は、8月10日に行われた河南町(現石巻市)での活動でした[❸]。この活動には在仙の日本史研究者をはじめ、学生・院生のほか、考古学や美術史の研究者など総勢26名が参加しました。その後も河南町のほか鹿島台町(現大崎市)、南郷町(現美里町)、鳴瀬町、矢本町(現東松島市)において約4ヶ月間、合計192軒の旧家の調査を行い、歴史資料の所在情報の把握とデジタルカメラによる史料撮影を行いました。

1.jpg
❶東日本大震災時の旧家土蔵からの史料レスキュー(石巻市、2011年4月8日、斎藤秀一撮影)

2.jpg
❷市民ボランティアによる歴史資料保全作業

3.jpg
❸宮城資料ネット最初の史料救出活動(石巻市〈旧河南町〉、2003年8月10日)

【活動の特徴】
文●川内淳史

宮城方式による災害「前」の保全活動
宮城県北部地震に対する活動の最中、宮城県防災会議地震対策専門部会が出した、「宮城県沖地震」の今後30年以内の発生確率が97%であるとする予測に接しました。これまで宮城県北部地震を受けた災害「後」の保全活動を中心に行ってきた宮城資料ネットでしたが、将来的に再び大きな災害が確実視される状況に及んで災害「前」の保全の重要性を認識し、活動を開始しました。

災害「前」の保全活動は、主に二つの方法で展開しました。一つ目は「悉皆型」保全活動と称する歴史資料の所在調査活動です。この活動では、宮城県内の歴史資料の所在情報の把握のため、自治体史をはじめとする文献より市町村ごとの所在情報リストを作成します。所在情報リストは、2010年(平成22)段階で県内74市町村(合併前)のうち約75%が作成されました〔平川2011〕。このリストをもとに地元教育委員会や郷土史研究団体と連携し、リストに掲載されているお宅を一軒一軒訪ねて所在確認をしますが、短期間での調査を完了させるため1日に30~50軒程度の旧家を訪問しました。その結果、2010年段階で369軒の旧家を訪問し、その成果は後に災害が起こった際、初動に大きな役割を果たしました。

二つ目は、「一軒型」保全活動と称する、デジタルカメラを用いた史料の全点記録作業です[❹]。所在確認調査の過程で大量の史料所蔵が判明したお宅について、所蔵史料全点をデジタルカメラで撮影するとともに、中性紙封筒に封入などを行う活動です。ここで行ったデジタルカメラによる全点撮影は、奥羽史料調査会で行われた方法を応用するもので、短時間でデジタルによる記録を行うものです。

4.jpg
❹デジタルカメラを用いた一軒型保全作業(宮城方式、気仙沼市、2009年9月21日)

また、活動の過程でかつての歴史研究者による史料の「未返却」問題、およびその事による地域住民の研究者に対する懐疑の目を目の当たりにした宮城資料ネットでは、上記の活動と並行して、これら未返却史料の返却事業も進めました〔佐藤2011〕。こうした宮城資料ネットによる災害「前」の保全活動の方法は、広く「宮城方式」と呼ばれ、短期間での災害前保全技法として注目されました。

東日本大震災
上記の災害「前」の保全活動を続ける最中、2008年(平成20)6月には岩手・宮城内陸地震(M7.2)が発生、宮城県内では栗原市を中心に大きな被害が発生したため、災害対応のための緊急活動も展開しました。そしてその2年8カ月後の2011年(平成23)3月11日、東日本大震災が発生しました。

周知のように、近代日本史上最大級の被害をもたらした東日本大震災で、宮城県は海岸部での津波による壊滅的被害のほか、震度7を記録した栗原市をはじめ、内陸部でも多くの家屋被害が発生しました。宮城資料ネット事務局が所在した東北大学東北アジア研究センターもこの地震で被災、事務局メンバーも発災後数日間は車中泊を行うなど厳しい状況に置かれました。その後も甚大な被害状況や、また被災地におけるガソリンなどの物資不足が影響して、発災当初は被災地域へ赴くことが困難でした。そのため発災直後は事務局での情報収集や、またこれまでの保全活動で蓄積された情報をもとにした被害状況予測などを行いつつ、活動に向けた体制を整えていきました。

宮城資料ネットが実際に被災地での活動を開始したのは、2011年4月の石巻市での被災状況調査活動からでした。その後、宮城県内および岩手県南部の沿岸津波被災地域を中心に、被害状況の調査と被災史料のレスキューを重ねました[❶]。活動に際しては全国の資料ネット関係者をはじめ、多くの方からの物心両面からのご支援をいただきました。また、とりわけ震災に際して大きな力となったのが資料保全ボランティアのみなさんでした。被災地からレスキューされた数万点におよぶ被災史料の大部分は、津波による水損被害をうけており、大量の人手による速やかな保全処置を行う必要がありました。この作業には全国から多くのボランティアのみなさんが仙台まで駆けつけて下さり、多くの史料の処置を行うことができました。とりわけ震災直後から継続的に活動に携わっていただいている、高齢者や女性を中心とする市民ボランティアのみなさんの活動なくしては、膨大に被災した歴史資料を処置することはできなかったでしょう[❷]。未曽有の災害となった東日本大震災でしたが、多くの人たちの協力によって、被災地の歴史資料を救うことができたのです。

震災から10年、活動の現状と課題
現在も宮城資料ネットでは、毎週月曜日に市民ボランティアによる史料保全作業を継続的に実施しています。長期におよぶ作業の結果、東日本大震災被災資料の処置の完了が見えてきた2019年(令和元)10月、東日本台風(2019年台風19号)が発生しました。東日本の広い地域で被害をもたらしたこの台風で、宮城県内では丸森町および大郷町での甚大な被害をはじめ、県内全市町村が災害救助法適用自治体となる被害に見舞われました。宮城資料ネットでは被災直後より県内全域での被害状況調査を行うとともに、合計7軒での史料レスキューを実施、引き続き市民ボランティアによる保全作業を継続しています[❻]。また2021年2月に発生した福島県沖地震では、ふくしま史料ネットと協力して福島県北部と宮城県南部の被災地での救済・保全活動を実施しています。

5.jpg
❺中央大学の学生・院生による保全作業ボランティアの様子(東北大学災害科学国際研究所、2019年9月2日)

6.jpg
❻東日本台風(2019年台風19号)時の史料レスキュー(丸森町、2019年12月1日)

東日本大震災から10年が経過した宮城資料ネットの活動を見ると、いくつかの課題が残されています。ひとつは、2019年末以来の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)との関係です。東日本大震災の被災史料保全処置がまだ完全に終わりきらない段階で、なおかつその後の災害などにより一時預かり史料はその後も増え続けています。にも関わらずこの間、COVID-19の流行により、宮城資料ネットでも日常的な資料保全ボランティア活動について、長期間の休止を余儀なくされました。その結果、作業の進行の遅れとともに、作業場所の保管容量が限界に近づきつつあり、今後、大規模災害が発生した際の被災史料の保管場所問題が発生することが避けられない状況です。こうした問題を解決するためには、災害時に協力体制をとることが可能な自治体や大学等の機関をできるだけ増やし、いざとなったら一時的にでも史料を保管して貰えるような関係を作っておく必要があります。

二点目は、上記の点とも関わりますが、自治体、特に市町村との関係をいかに作っていくかということです。東日本大震災の際、宮城県内の多くの自治体と協力しながら被災史料の救済・保全活動を進めてきましたが、その後、その関係性が十分に引き継がれているわけではありません。2019年の東日本台風の際は、震災以来の関係のもと、十分な協力がとれた自治体があった一方、この10年間のうちに関係が切れてしまい、うまく協力関係が築けなかった自治体もありました。その要因は資料ネット側、自治体側双方の事情が関係しており様々ですが、地域の史料を保全していく上では、地元自治体との協力関係を結んでおくことは不可欠です。震災10年を機に、そうした関係性を再び作っていくことが、宮城資料ネットとして抱える大きな課題となっています。

そして三点目は、これからの担い手の問題です。宮城資料ネットの創設時には、多くの大学生や大学院生などの若い研究者が活動の主力として関わっており、その当時の若手研究者は現在、歴史文化に関わる第一線で活躍をしています。しかしながら現在、そうした若い担い手が活動に参加する機会を持つことが難しくなっており、事務局も全員が40代以上で構成されている状況です。これは宮城資料ネットが設立された2003年当時と現在の歴史学や大学が置かれた状況が異なるという点とも関係しますが、一方で資料ネットとしてもっと若手研究者に活動の意義をアピールしたり、また活動に触れてもらう機会を作っていったりする必要性を感じています。

参考文献
齋藤善之「地域市民と交流する歴史研究─宮城県における震災前後の変容─」『歴史学研究』963、2017年
佐藤大介「歴史学における過去の清算─仙台版『古文書返却の旅』」平川新、佐藤大介編『歴史遺産を未来へ』東北大学東北アジア研究センター、2011年
平川新「宮城地震と歴史資料の保全活動」『宮城考古学』6、2004年
平川新「古文書を千年後まで残すための取り組み」、平川新、佐藤大介編『歴史遺産を未来へ』東北大学東北アジア研究センター、2011年
柳原敏昭「仙台城の艮櫓建設問題と石垣保存運動」『歴史評論』633、2003年

【連携団体】
団体賛助会員:一般社団法人デジタル情報記録管理学会、京都芸術大学日本庭園・歴史遺産研究センター歴史遺産研究部門、みやぎ街道交流会、宮城県刀剣美術保存協会、宮城歴史科学研究会、東北史学会、東北大学国史談話会、株式会社プレシード
包括連携協定:東北大学災害科学国際研究所(2020年12月締結)
協力機関:東北大学災害科学国際研究所歴史文化遺産保全学分野、同災害文化アーカイブ研究分野、東北大学東北アジア研究センター上廣歴史資料学研究部門
【活動がわかる主な文献リスト】
1●平川新「災害「後」の資料保全から災害「前」の防災対策へ」『歴史評論』666、2005年
2●平川新・佐藤大介編『歴史遺産を未来へ』東北大学東北アジア研究センター、2011年
3●佐藤大介「「宮城方式」での保全活動・10年の軌跡─技法と組織に見る成果と課題─」奥村弘編『歴史文化を大災害から守る─地域歴史資料学の構築─』東京大学出版会、2014年
4●齋藤善之「宮城資料ネットが経験したこと・その成果と課題─宮城と愛知をつなぐ・経験知の共有にむけて─」『東海国立大学機構大学文書資料室紀要』29、2021年