山形文化遺産防災ネットワーク(山形ネット)【東北】★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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山形文化遺産防災ネットワーク
(山形ネット)

【団体情報】
設立年●2008年
事務局所在地●〒990-8560 山形県山形市小白川町1丁目4-12山形大学附属博物館 佐藤琴
電話番号●050-3746-3604(佐藤琴)
メールアドレス●yamagata.bunka.net@gmail.com(佐藤琴他数名)
HP●https://yamagatabunkanet.wixsite.com/index
Twitter●https://twitter.com/yamagata_net_
Facebook●https://www.facebook.com/yamagatanet2008
【活動地域】
山形県およびその周辺
【参加方法】
入会●本会の活動に賛同し、参加・協力の意を表した者。会員種別は正会員(年会費1000円)、サポート会員(会費無料)の二種。詳細はホームページをご確認ください。
寄付●随時受け付けています。振込先:山形銀行 東山形支店 普通 954446 口座名義人:山形文化遺産防災ネットワーク

【設立の経緯】
文●佐藤 琴

「顔の見えるなんでもきける防災ネットワーク」の必要性
山形県の先人たちは各地に文化財保護協会を設立し、文化財の調査や再評価・継承活動を継続的に実施してきました。しかし、災害の被害がそれほど多くなかったために、文化財防災活動は進みませんでした。2003年(平成15)の宮城北部地震、2004年(平成16)の新潟県中越地震によって隣県が大きな災害を受けたことを契機とし、県内の博物館に防災対策へのアンケートを行い、「顔の見えるなんでもきける防災ネットワーク」が必要であることを認識しました。県文化財保護協会会長はじめ、県内の歴史研究者、文化財保存修復家、災害ボランティアなどの有志15名ほどが集まり、2006年(平成18)に山形文化遺産防災ネットワーク設立準備会を立ち上げました。すでに多くの経験をもって活動をしていた神戸・宮城・新潟の資料ネットから貴重な助言をいただきながら活動指針を固めていく中、2007年(平成19)に中越沖地震が発生しました。発災直後から現場に入っていた災害ボランティアから被災文化財の救済依頼があり、新潟歴史資料救済ネットワークと地元文化財行政担当者とともに活動しました。そこで地域に残る文化財を災害から救う難しさを改めて体感し、さらに日常的な保存継承活動の重要性を痛感しました。

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❶会合の様子(2011年)

中越沖地震を経て設立
上記の経緯を経て、2008年(平成20)1月25日に山形文化遺産防災ネットワークは設立しました。山形の文化財を一つでも多く未来へつなぐことを目的として掲げ、活動の二本柱は「定例会と水損文化財資料の救済作業ワークショップの開催」「山形県内の文化財所在調査」としました。経験や職業は関係なく、顔を知る仲間としてのつながりを持ち、無理をせずに、自分の生活の中に活動を取り入れていけるような、片手間なゆるいネットワークを目指し、会則も代表も会費もなしとし、初期の運営体制は活動の検討や推進を行うために事務局3名および賛同者数名でした。

設立4年目に東日本大震災が発生しました。2週間後の3月26日に会合を開き、多くの新しい活動賛同者が集まりました。被害が甚大であった宮城県・岩手県に近いという地の利を活かし、他地域の資料ネットと連携して被災資料のレスキューから長期保管とクリーニング、目録作成など一連の保全活動を実施し、15,000点あまりにおよんだ被災資料の返還は2019年(平成31)11月に終了しました。その概要については【活動の特徴】に記述します。

近年の山形県では自然災害による文化財の被災が立て続けに起こりました。2019年6月の山形県沖地震では国指定建造物が、2020年(令和2)7月の山形豪雨では国指定史跡の慈恩寺旧境内などが被災しました。この山形豪雨の際、山形ネットは情報収集に努めるとともに、「資料保全の呼びかけ」チラシを作成し、被災地のボランティアセンター、マスコミ等にFAXで送信しました。また、県から市町村へ資料保存の呼びかけの文書が発出され、その中に、被災資料への対処の相談先として山形ネットが取り上げられました。その後、被災した地域を巡回してチラシを配ると、多くの場所で協力的に受け入れてもらえ、災害時の資料保全への意識が浸透してきていると感じました。幸い、レスキューに至る事例はありませんでした。

組織の再編成
この現状を鑑み、山形における文化財防災活動を継続していくために、山形ネットは2021年(令和3)に組織の再編成を行いました。とはいえ、山形ネットは設立当初の理念である「顔の見えるなんでもきける防災ネットワーク」のままです。山形県民に対して文化財防災への理解を深める活動を推進するとともに、会員のスキルアップのための研修会などを実施していきます。

【活動の特徴】
文●佐藤 琴

東日本大震災発災後の活動
東日本大震災発災後、山形ネットは津波で被害を受けた宮城県農業高等学校同窓会所蔵資料(書籍)と陸前高田市立博物館所蔵資料(書籍、新聞、書簡など)の一部を山形に運び込み、保全活動を行いました[❹]。

保存科学を専門とし、東北芸術工科大学(以下「芸工大」と略す)文化財保存修復研究センターに所属する世話人が、水損の程度や書籍の種類で被災資料を分類し、自然風や扇風機の風を用いた送風乾燥や冷凍庫で凍結後に乾燥機にかけて脱水させる真空凍結乾燥の処置を行いました[❷]。また、すぐに処置できない被災資料は民間業者の冷凍庫を借用し、緊急保管場所としました。それから、山形県立米沢女子短期大学(以下「米短」と略す)に所属する世話人が、大学にかけあって乾燥終了後の資料の保管場所兼クリーニング作業場所を確保しました[❸]。

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❷東北芸術工科大学クリーニング作業(2011年)

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❸山形県立米沢女子短期大学 資料整理作業(2013年)

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❹山形まなび館交流ルーム 陸前高田市立博物蔵資料 新聞集中作業(2014年2月)

被災資料は乾燥させた後、こびりついた砂などを刷毛で払い落とすドライクリーニングをします。これらの作業は芸工大と米短だけでなく、山形大学、東北公益文科大学においてボランティアの学生とともに進めました。また、市民に呼びかけて上山市北部公民館などでも実施しました。

2013年(平成25)に宮城県農業高等学校同窓会所蔵資料のクリーニングと目録化が終了しました。しかし、被災した資料は、「塩分」を含んでいるため、湿気を帯びやすく、カビが再発する恐れがあります。それを防ぐために脱酸素剤とともにガスバリア袋に封入してからテンバコに収め、宮城県農業高等学校同窓会に返却しました。返却後も資料の収蔵環境について助言を行っています。

陸前高田市立博物館所蔵資料は書籍だけでなく、新聞、封書、はがきなど多岐にわたりました。被災資料の形態に合わせた、クリーニングと目録化を進めました。それらのうち、大量にあった古い新聞は、山形市内の施設を借りて、市民の参加を広く呼びかけ、クリーニング→手書き目録→エクセル入力→クリーニング済資料と手書き目録を梱包→宅配便にて返送、という一連の作業を集中的に実施しました。しかし、お預かりした被災資料は大量にあり、返却期限も迫っていたことから、すべてクリーニングと目録化をすることなく、2019年11月に返却を完了しました。

【連携団体】
東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、山形県立米沢女子短期大学、山形大学
【活動がわかる主な文献リスト】
1●手代木美穂「山形文化遺産防災ネットワークの活動について(プロジェクト地域文化遺産の災害予防・災害対策による循環型保存・活用システムの研究;「山形県文化遺産防災ネットワーク」の形成による県内基盤の強化)」『平成19年度文化財保存修復研究センター研究成果報告書』東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター、2008年
2●佐藤琴「被災資料の整理現場における「切り貼りリスト」について:山形文化遺産防災ネットワークによる宮城県農業高等学校同窓会所蔵資料の返還作業を事例として」『アート・ドキュメンテーション研究』22、アート・ドキュメンテーション学会、2015年
3●小林貴宏「山形文化遺産防災ネットワークの活動から見えた課題」『歴史』132、東北史学会、2019年