公文書(松岡弘之)★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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公文書
文●松岡弘之

1.公文書とは

公文書管理法の公布
2009年(平成21)に公布された公文書管理法(以下、管理法)は、公文書を①職員が職務上作成・取得したもの、②組織内で共用されるもの、③行政機関で保有するもの、という三つの要件を満たすものとして定義する。したがって、新型コロナウイルスのワクチン接種券であれ、水道料金の請求書であれ、行政から届いた文書が公文書というわけではない。だが、行政の諸活動は、人口や土地の基盤情報、教育や福祉といった身近な住民サービスから、産業政策や防災、将来計画など地域のあらゆる範囲におよぶ。こうした社会を取り巻く諸課題に対して、行政はそれぞれの職員が稟議や合議を文書として記録しつつ、自らの裁量を行使してきた。これら行政の諸活動の概要は、統計や白書といった行政刊行物からも探ることができるものの、公文書は職員自身が作成・参照し、意思決定過程の決定的瞬間をとらえたという意味において無二の記録である。これらの記録はこれまでも幾度となくひもとかれ、単に行政の活動をなぞるのではなく、その背後にある住民と地域社会のあゆみを多面的に明らかにしてきた。

一方、管理法ができたことで、公文書は「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけられ、現在だけでなく将来の国民に対する説明責任を果たすための適切な管理を要請されることとなった。各課の職員の手もとで職務遂行のために利用・参照される公文書は「現用文書」といい、情報開示請求制度の対象となる。この保存期間を終えた文書は「非現用文書」といい、一定の基準により選別されて文書館に移管され、情報開示請求制度とは異なる基準で公開される。このような公文書のライフサイクル全般にわたる管理の枠組みを定めたことと、その公開を市民の権利として位置づけたことは、管理法の重要な特徴といえよう。国有財産処分をめぐる改ざんや、公文書が不存在であった旧優生保護法の問題を挙げるまでもなく、公文書の不適切な管理により過去の検証が困難となるといった事態をいかに防ぐかという行政の信頼性の根幹に関わる課題と、すでに歴史資料として諸施設で保存されてきた「公文書」の活用をどう進めるかという課題とが併存するかたちで、よりよい継承のあり方が各地で模索されているのが現状といえよう。

地方自治体の公文書管理
地方自治体にも管理法の趣旨をふまえた適正な文書管理が努力義務として課されているが、国立公文書館ジャパン・アーカイブズ・ディスカバリー(http://www.archives.go.jp/jad/)によれば、47都道府県と1,700をこえる基礎自治体において、歴史的公文書を所蔵する文書館は102機関にとどまる。公文書管理条例を制定した自治体はさらに少ない。筆者の暮らす岡山県も、関係者の長年にわたる努力が実を結び、2005年に岡山県立記録資料館が設置されたが、県を含め条例という形式で公文書管理を規律する自治体はまだ存在しない。

一方、国立公文書館の一覧には含まれていないが、倉敷市では真備庁舎に歴史資料整備室が設置されている[❶]。整備室は、倉敷市史の編さん過程で収集した資料の公開機関であると同時に、倉敷市の非現用文書を収集しており、ウェブサイトには「主な所蔵歴史資料」として、当主が郡長などを勤めた林家資料(旧備中国窪屋郡倉敷村)など多くの地域資料に加えて、旧倉敷市役所文書など多くの旧町村役場の公文書の目録が掲載されている。岡山市でも、戦災により戦前の多くの公文書が失われたものの、市史編さんのため1955年以降関係者の尽力より合併町村の旧役場文書が収集され、市立中央図書館で保存・活用されている。倉敷市歴史資料整備室と同様、岡山市立図書館でも地域資料が特別文庫として収集されている。これら名望家の家の記録には当時の公文書が紛れ込み、役場文書の欠損を補うこともしばしばである。

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❶倉敷市真備支所。西日本豪雨の際には1階が完全に水没した。歴史資料整備室は3階にある(2020年6月、筆者撮影)

こうして現実には文書館が設置されていなくても、修史事業や自治体合併等が契機となって地域資料の収集が進められるなかで、各地の博物館・図書館などが公文書の保管にも取り組んできたのであった。なかには一職員の使命感によって廃棄をまぬがれたというエピソードも少なくない。もっとも、自治体の公文書には、国家機密こそ含まれないかもしれないが、個人の具体的な情報が往々にして記録されており、関係者が現在も生活している場合もある。国立公文書館では、公文書が作成されてから50年・80年・110年超を目安とする「時の経過」を考慮しつつ、段階的に開示範囲を拡大する「利用審査基準」を策定・公表しているが、各資料所蔵機関でこうした公開基準のルールや審査のための体制が整備されていないことで、活用が進まない場合もある。保護されるべき秘密と、公開による実態解明という利益との権衡をいかに図るかは、公文書の利用を担う市民自身に問われた課題である。


2.さまざまな「公文書」

国立ハンセン病療養所の事例
公文書は、国や市町村役場だけに残るものではない。ここでは少し特殊だが国立の療養所の事例を紹介しておこう。国立療養所長島愛生園(岡山県瀬戸内市)は、1930年(昭和5)に初の国立ハンセン病療養所として設置された国の医療機関であり、ピーク時には2,000名を越える入所者が生活した。そして、診療録といった医療に関する記録だけではなく、運営に関わる多くの文書が作成されてきた[❷]。

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❷長島愛生園歴史館 旧事務本館が2004年に展示施設となり、歴史資料の調査が進められている。2019年、国の登録有形文化財に登録。(長島愛生園歴史館提供)

たとえば、『舎長会議事録』という文書は、愛生園において職員と入所者が日常を過ごす「舎」という部屋の代表である舎長たちと、園の管理者が参加した会議の様子をつぶさに記録したものである。当初、園の方針などを舎長を伝達していたこの会議は、やがて入所者自身が、働けぬ者への救済、看護を含む作業制度や療養所内の売店のあり方、身の回りのルールなど多岐にわたる課題を発見し、園と交渉する場へと変化していった。参加者の生々しい応酬は、園の定期刊行物からはうかがえないものであり、こうした蓄積と経験こそが、1936年(昭和11)に事件として自治要求を噴出させ、その後は自治を実践する基盤となったのであろう。さまざまな制約の中で身近な場所をより良くしようと奮起した入所者の姿が強く印象に残る。ひるがえって現代の行政はこうした会議の議事録をどこまで作成しているであろうか、あるいは作成すべきであろうか。

これら岡山県内のハンセン病療養所の諸記録は、2001年(平成13)の「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟熊本地裁判決の後に、岡山県・瀬戸内市によって取り組まれた資料調査の結果確認されたもので、『長島は語る』という資料集として公刊された。療養所入所者の高齢化が進み、語り部としての活動が困難となるなかで、新型コロナウイルス感染症が世界を席巻している。疾病と社会との関係を考える上でも、ハンセン病問題からくみ出すべき課題は少なくなく、歴史的事実の解明にはこれらの記録の保存と活用が進められるべきであろう。岡山県の調査は部分的なものにとどまったため、現在、愛生園では療養所側・入所者側のさまざまな歴史資料について体系的な調査・整理が実施されつつある。それを補うかたちで、岡山県が調査した資料は編さん事業を所管した県健康推進課から県立記録資料館に移管されて閲覧することができる(なおこれらの資料を利用するためには事前の電話相談が必要となる)。


紛争解決をめぐる記録
また、役場文書のような公文書ではないが、裁判という紛争解決をめぐる記録にも同様の課題がある。重要な裁判に関する記録は、事件記録等保存規程第9条により永久に保存されることが定められているものの、岡山の結核療養所から生存権の意義を問うた朝日訴訟の記録はすでに廃棄されたことが明らかになっている。こうした経緯をふまえ、国立公文書館では、管理法第14条に基づき最高裁判所長官との間で民事判決原本を、法務大臣との間で刑事訴訟記録を、順次移管・公開するための協議を進めている。

民間に所在する裁判記録はしばしば当事者によって保存されてきたが、ここでも公開のルールや審査体制が課題となっており、1983年(昭和58)から96年(平成8)にかけて争われた倉敷公害訴訟原告団に関する裁判記録を保有するみずしま財団(倉敷市)は[❸]、全国で同様の活動を続ける「公害資料館連携フォーラム」の事務局として、こうした公害関係資料の保存と活用にむけた課題の検討を進めている。一方で、立法府の公文書は公開の目途がたっていない。

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❸みずしま財団の患者会文書(みずしま財団提供)

3.地域資料としての継承にむけて

地域資料としての公文書の可能性
地域社会を多面的にとらえるうえでの公文書の位置とその活用にむけた諸課題について、管理法にひきつけながら述べてきた。公文書は、ともすれば公的組織の向こう側の難解な存在に思われるが、そこで作成された公文書は地域社会にとって「公」となった諸側面を切り出す豊かな素材であって、読み手の関心を反映したさまざまな可能性を秘めている。各文書館の目録やデジタルアーカイブはその世界を開く窓口であろうし、特定の調査対象などを提示すれば文書館のスタッフは親身になって応えてくれるであろう。

地域資料としての公文書の可能性を利用者が実感することが増え、管理法の趣旨をふまえた公文書管理条例や文書館機能の整備が進むことが期待される。とはいえ、条例とて魔法の杖ではないから、実際には各自治体で日々の業務について何をどこまで記録し、取捨選別を誰がどう行うか、そしてそれらをどう公開するか、各局面において改善のための地道な努力が求められる。現代の行政現場では、電子メールなどが飛び交い意思決定過程を合理的に跡づける媒体が紙であるとは限らない。また、オープンデータ・カタログサイトのような新しい形での情報公開の取り組みも進められている。独立行政法人や公社、指定管理者といった行政と密着した組織の文書の対応はどうするか。もしも災害が発生し、公文書が被災した場合、庁舎内の個人情報を含む記録のレスキューは地域防災計画のなかにどう位置づけておくか、そこに市民は関与しうるかどうか。災害からの復興過程を記録した公文書の保存と活用のルールはどうあるべきか。これらは、地域資料として公文書を継承していく課題の一部に過ぎない。

公文書管理に関わる専門的な資格として国立公文書館長による認証アーキビスト制度が創設された。その養成とふさわしい処遇も大切な問題だが、専門家が課題の解決にむけて果たす役割はもちろん大きい。現場で事業を切り盛りし、業務の特徴をよく知る現場職員と、文書館の双方が緊密に連携し、互いの専門性が活かされながら、よい管理につながることが期待される。だが、このような現場の取り組みを最も後押しするのは、地域の自治の担い手として公文書の継承と活用を求める市民自身の声にほかならないのである。

参考文献
榎澤幸広ほか編『公文書は誰のものか?』現代人文社、2019年
飯島章仁「編入自治体の歴史的公文書の保存」『岡山地方史研究』149、2019年
岡山県ハンセン病関連市長調査委員会編『長島は語る 岡山県ハンセン病関係資料集』、岡山県、前編2007年、後編2009年 PDF版はおかやまハンセン病啓発WEB「ハンセン病を正しく理解するために~みんなで描くひとつの道~」http://www.hansen-okayama.jp/communication-document.html(最終閲覧日:2021年9月14日)
記録で見る大気汚染と裁判(独法環境再生保全機構) https://www.erca.go.jp/yobou/saiban/(最終閲覧日:2021年9月14日)
倉敷市歴史資料整備室 https://www.city.kurashiki.okayama.jp/1438.htm(最終閲覧日:2021年9月14日)
ジャパン・アーカイブズ・ディスカバリー(国立公文書館) http://www.archives.go.jp/jad/index.php (最終閲覧日:2021年9月14日)
独立行政法人国立公文書館における公文書管理法に基づく利用請求に対する処分に係る審査基準(平成30年10月1日改正)(国立公文書館) http://www.archives.go.jp/information/pdf/riyoushinsa_2011_00.pdf(最終閲覧日:2021年9月14日)
松岡弘之『隔離の島に生きる』ふくろう出版、2011年

☞ さらに深く知りたいときは

①安藤正人ほか編『歴史学が問う公文書の管理と情報公開』大月書店、2015年
歴史学研究に携わる筆者らが、公文書管理法制やその運用実態について批判的考察と提言を行ったもので、昨今の不適切な文書管理事例の根幹に関わる問題を先取りするものでもあったといえる。

②全国歴史資料保存利用機関連絡協議会調査・研究委員会編『公文書館機能ガイドブック』同、2015年 http://www.jsai.jp/kanko/guidebook/index.html
編集は文書館やその関係者の全国団体。地方公共団体が設置した文書館の活動の特色を紹介し、どういった機能を盛り込むべきかといったモデルが提案された、これからの文書館機能やその役割について考えるためのハンドブック。

③尼崎市立地域研究史料館編『たどる調べる尼崎の歴史』上・下、尼崎市、2016年
レファレンスを重視してきた尼崎市の文書館が、市民自らが地域の歴史を調べるためのガイドブックとして刊行したもの。第3部では歴史的公文書の探し方・使い方にも触れている。全文がウェブサイトに掲載されている(http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/trace/ 最終閲覧日:2021年9月14日)

④地方史研究協議会編『学校資料の未来』岩田書院、2019年
学校現場でも公文書を含むさまざまな資料が作成・保存されてきた。身近な学校を起点とした地域の歴史を考えることの可能性と課題を指摘した好著。各自治体でも首長部局とは別に学校の文書管理に関する規則が定められている。