震災資料(吉川圭太)★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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震災資料
文●吉川圭太

1.震災資料とは

震災資料の範囲や媒体
災害時の資料保全活動といえば、被災した歴史資料の保全を思い浮かべる人が多いだろう。そうしたさまざまな歴史資料とともに、地域の歴史や文化を継承し、災害の記憶を未来に伝えていくうえでもう一つ重要となるのが、ここで紹介する災害についての多種多様な記録・資料である。これらは概括的には「災害資料」、震災については特に「震災資料」と呼ばれる。なお本章では、震災を中心に取り上げるので「震災資料」と呼ぶこととする。

震災資料とは、震災による被害や復旧・復興に関するあらゆる記録・資料であり、災害を後世に伝える基盤となるものである。災害発生直後から個人・団体・行政等が作成・収受したさまざまな文書や手記・ノート・ビラ・ミニコミなどの紙媒体の記録、写真資料、映像・音声資料、実物資料、電子情報など対象となる資料の範囲や媒体は広範かつ多様である[❶・❷・❸]。

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❶避難所からの要望・報告に関するボランティア作成文書(人と防災未来センター蔵)

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❷被災地で発行されたミニコミ(ピースボート『デイリーニーズ』)

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❸地震発生時刻で止まった掛時計(人と防災未来センター蔵)

震災資料を意識的に残す取り組みの始まり
このような震災資料を社会的な広がりのなかで意識的に残そうとする活動が日本社会で初めて展開されたのが、1995年(平成7)1月17日に起きた阪神・淡路大震災である。1995年は「ボランティア元年」とも呼ばれるが、震災の記録を残す取り組みもボランティア団体から始まった。ボランティアの記録保存団体「震災・活動記録室」の代表だった実吉威は、震災当時の記録に対する意識について、後に次のように話している。

大げさに言うと歴史感覚というか、この社会全体、今いる人たちだけにじゃない、将来を含めた人びとへの、残すんだっていうのは、自然にありましたよね。(中略)形があるものは残したい、形のないものも何らかの形で伝えたい、そういう気持ちはもちろん被災者の中にもあったろうし、ボランティア活動に関わった人たちにもあった〔震災・まちのアーカイブ2003、pp. 22-23〕。

被災地ではボランティア団体をはじめ、図書館・資料館職員、研究者、行政などさまざまな団体や個人による震災資料の収集保存の動きが起こったが、その背景には実吉氏が述べるように、進行中の歴史的な出来事に向き合い、震災の実態や復旧・復興の過程を残し、伝えたいという市民レベルの意識が広範に存在していた。

阪神・淡路大震災の震災資料収集・保存活動については、すでに多くの論考〔奥村2012、佐々木2013・2014、稲葉2005、宮本1997など〕があるので詳細は省くが、前例のないこの活動では、まず何を資料ととらえるのか、どのように調査・収集・保存し、公開していくのかといった方法論自体から検討しなければならなかった。特定の基準や定義によって収集対象をふるいにかけるのではなく、震災に関係するあらゆるものを対象として網羅的に集めようとの考えのもとに、調査方法や資料の整理・分類方法、個人情報を含む資料の公開のあり方などが多様な領域での試行錯誤の取り組みを通して練り上げられてきた。そこで提起された論点やノウハウは、後の新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震などの現場でも参照され、各地域の災害の特色に合わせてさらに深められつつある〔長岡市立中央図書館文書資料室2009、矢田・長岡市立中央図書館文書資料室2013、ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会2017、白井2019など〕。

2.震災資料の特徴

「現代資料」
震災資料は震災についてのあらゆる記録・資料を範疇とするが、その特徴についてもう少し概念的に整理すれば、以下の3点を指摘することができよう。

1点目は、出来事と同時進行で生まれつつある「現代資料」だということである。日々の活動・生活から生成される記録・資料は大量に存在する。それらは現用性が高く、資料的価値や評価が定まったものではなく、被災者や市民にとっては身近にあるがゆえに「資料」とは認識されない場合も多い。したがって、調査や収集にあたっては性急な資料収集よりも、まず「資料」とは何かについての対話を通した理解が必要となる〔佐々木2013〕。また、「現代資料」の特徴として、資料の作成者・所蔵者と資料との「距離」が近いという点があげられる。このことは、当事者・関係者からの聞き取りによる情報の記録化と付加を可能とするものであり、それは震災資料の「価値」や意味づけにおいて重要となる(後述)。

「地域資料」
2点目は、被災地という具体的な地域社会に関係する「地域資料」でもあるということである。被害のあらわれ方や復旧・復興の過程は、その地域の歴史や文化と無関係ではなく、震災前の地域社会のあり方によってさまざまな特色をもたらす。たとえば、ケミカルシューズ工場が集積する神戸市長田区は、戦前の植民地支配や戦後のベトナム難民受け入れなどの歴史的経緯からアジアを中心とする在日外国人が集住する地域でもある。震災時、在日外国人の情報収集は困難を伴い、多言語による情報支援ボランティアやローカルFMが立ち上げられた[❹]。支援のあり方もその地域の歴史的特色を反映しており、カトリック鷹取教会などにみられる「多文化共生」の理念を地で行く地域活動が展開された。その理念は美辞麗句ではなく、歴史を背負った地域の現実的課題に人びとが向き合う中から出てきたのである。震災資料は地域でのさまざまな行動の跡を刻むものであり、地域性を反映したものである。

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❹行政の広報を翻訳して情報発信した被災ベトナム人救援連絡会議の『被災ベトナム人救援ニュース』

ただし、ここで言う地域とは固定的な領域に限定されるものではない。災害救助法が適用された、いわゆる「被災地」であってもその内部の状況は多様であり、さらに他地域の人びととの関わりのなかで地域は広がりをもつものとして存在する。特に災害は被災地内外の人びとの激しい移動を引き起こし、そこに多様な交流も生まれる。阪神・淡路大震災でクローズアップされた県外避難者(さまざまな事情により個人あるいは世帯単位で一時的に他県に避難した人びと)は、行政の属地主義の壁で情報や支援が届かず、元の地域に帰りたくとも帰れない状況に置かれた。❺はそうした県外避難者の支援に乗り出した大阪の団体「街づくり支援協会」の資料である。震災資料は被災地を媒介としつつ、被災地内外をつなぐさまざまな人びとの関係が繰り広げられる「場」から生み出された資料ということもできる。東日本大震災では原子力災害被災地の住民が地域単位で他市・他県へ避難することを余儀なくされているが、福島県双葉町などではそうした避難記録の保存が意識的に展開されている〔白井2019〕。

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❺県外避難者支援団体「街づくり支援協会」の資料の一部(人と防災未来センター蔵)

災害についての記憶の集積体
3点目は、人びとが災害にどのように対応したかを示す資料であり、歴史のある段階における社会と災害についての記憶の集積体だということである。ジャーナリストの外岡秀俊は、「ある意味で阪神大震災は、戦後の一時期を除けば、いまだかつてない規模で、人びとが危機と無秩序に向き合い、それを克服していく共通の歴史的経験であった」と指摘している〔外岡1998、p.378〕。そしてこのような経験や災害についての集団的な記憶を集積することによって、災害体験を風化させない、社会全体が記憶を喚起する装置となるような文化を「災害文化」として提起した。また、実吉威は震災当時のボランティアが残した記録はノートであっても「パブリック」な性格を有するものだとの意識が被災地にあったと指摘している〔震災・まちのアーカイブ2003、p. 23〕。震災資料は人びとの歴史的経験や記憶を時空を超えた他者と広く共有し、災害文化を築いていく、きわめて高い公共性を有するのである。ゆえに、兵庫県の収集事業で集められた資料は個人情報を多く含むが、原則公開を前提としつつ、国民の「知る権利」と人格権との調和の観点から、資料の種類ごとに、インターネット公開や館内公開など段階を設けた公開基準が策定されていった〔佐々木2014〕。

3.資料を残し伝える─二次情報の記録化の重要性─

避難所に届けられた水詰めのビール瓶
震災資料における聞き取りの重要性を先に指摘したが、ここでは一事例からそのことを考えてみよう。私が人と防災未来センター資料室に在職していた2009年(平成21)、一人の女性(Aさん)からビール瓶の寄贈を受けたことがある。地震発生当時50歳代後半だったAさんは、神戸市灘区で被災し、住んでいたマンションは半壊になった。地震が起きた当日は住民と一緒に近くの電気店に避難し、一夜を明かした。翌日、西灘小学校(神戸市灘区)の避難所に行き、そこで約2カ月間の避難所生活をおくった。Aさんは避難所での苦楽やそこで多くの人たちに支えてもらった経験から、数年後にボランティア活動を始めたという。

Aさんから寄贈されたビール瓶は西灘小学校避難所で配られたものだった[❻]。震災当時、あるビール会社は水を瓶に詰めて被災地へ届けた。王冠(栓)に何も印刷されていないのは、アルコールと区別するためである。断水のなか、Aさんはこのビール瓶入りの水を「貴重な命の水」と思い、開封せずにずっと保管していた。しかし、震災14年の月日が経ち自身も高齢となり、この水を今後どうするか悩んだすえ、何とか活かしていってほしいと、資料室へ託したのだった。

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❻水詰めのビール瓶(人と防災未来センター蔵)

今となってはビール会社の救援活動を物語る資料だが、Aさんの震災体験や思いが付託されているからこそ、このビール瓶は個々人の経験としての震災を語り出すのである。資料はそれをただ物質として残せばよいというわけではない。仮にこのビール瓶が一切情報もなく収蔵庫にただ置いてあったら、これがどのような意味をもつ資料かわからなくなる。当事者の思いも含めて資料を後世に伝えていくためには、資料の形成過程や来歴などの基本情報に加え、震災体験や込められた思いなどを資料に付随する二次情報(メタデータ)として記録化することがきわめて重要である。その情報の蓄積が資料の「価値」を担保すると言ってもよい。これは文書や写真・映像などあらゆる媒体の資料も同様である。


4.資料を読み解く

伊丹市に届けられた救援物資
2010年(平成22)に伊丹市立博物館で開催された企画展「阪神・淡路大震災15年~伊丹からの発信~」では、神戸大学文学部の学生たちが展示の一部を作成した。伊丹市災害対策本部に届けられた救援物資について分析した学生らの出した結果は興味深いものである。震災当時、被災した自治体へ個人が救援物資を送る場合、郵便小包の送り状に赤字で「救助用」と書けば送料無料になったため、個人からの救援物資が急増した。伊丹市では、昼夜なく届けられた物資を市職員やボランティアが荷解きして確認し、台帳である「物品搬入個票」に記入した[❼]。震災関連公文書として保存されていた「物品搬入個票」を分析した結果、地震発生当日(1月17日)から1月末までの物資542件中、伊丹市内から送られたのが97件と最も多く、意外にも同じ伊丹の市民および団体から支援を受けていたことがわかった〔水本2012〕。

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❼阪神・淡路大震災物品搬入個票

私たちは救援物資と聞くと、"全国から"さらに"海外から"届けられたと思いがちである。実際、伊丹市にも国内外から多くの救援物資が届けられた。しかし、この伊丹の事例からは、救援物資について私たちが抱きがちなイメージとは異なり、市域内での相互支援の動きが強かったことがわかる。送り状や個票のような廃棄されかねない資料もきちんと整理・保存されていたからこそ、後の検証を可能とし、新たな事実が判明したのである。

伊丹という地域に即した本格的な「震災史」である『阪神・淡路大震災 伊丹からの発信(本文編)』が論じているように、このような相互支援のあり方は、激震地の「周縁」被災地としての伊丹の地域性に関係している。兵庫県の東端にあって大阪府と接する伊丹市は、神戸市・芦屋市・西宮市など震度7の激震を被った地域の周縁部に位置する。伊丹も災害救助法が適用された「被災地」であったが、激震地に比べると死者数・全壊棟数は少なかった。それゆえ、伊丹市という「被災地」の中で、被害がほとんどないか軽微だった人びと、あるいは日常とほぼ変わらない生活をおくる人びとと、避難所生活を強いられた人たちが隣接していた。こうした激震地周辺にみられた状況が、同じ市域内での相互支援の動きにつながった一因と考えられる。

震災報道などでは被害の甚大さやセンセーショナルな事柄が取り上げられやすく、それがあたかも震災の全体像であるかのようなイメージをつくり出しかねない。これに対し、伊丹の事例は地域に即して震災の実相をとらえ直していくことの大切さ、その基盤となる多様な震災資料の保存活用の意義を示している。

5.震災の記憶と記録を継承するために

写真資料の活用
私がいま暮らしている阪神・淡路地域では、震災25年が経過し、震災を直接体験していない世代が増えるなか、震災を伝えていくために資料の活用をいかに図るかが課題となっている。このことを考えるにあたり、ここでは最も活用頻度が高い写真資料について取り上げてみよう。

写真資料は学校での震災教育、自治会・企業等でのワークショップや防災訓練、学術研究など幅広く活用されている。阪神・淡路大震災の写真資料について言えば、神戸大学附属図書館震災文庫に24,000枚余り、人と防災未来センターに130,000枚余りが所蔵されている。これに加え他機関や各自治体が所蔵するもの、個人が撮りためたものを合わせれば、その数はさらに膨れ上がる。これら膨大に残された写真資料は、震災の多面性を可視化するものであり、震災を理解し、認識する糸口となりえるものである。

2014年(平成26)に神戸大学で開催した震災写真展「記憶から歴史へ~阪神・淡路大震災を知らない世代の取り組み~」では、神戸大学附属図書館震災文庫に提供された元報道カメラマン・大木本美通さんの震災記録写真(震災文庫デジタルギャラリーで20,000枚余りを公開)の中から学生各人が印象的な写真を選定し解説文を付した。展示作成に際しては、大木本さんから震災当時の体験を聞く機会を設けた。4回生女子学生は、大木本さんから「地震発生の朝、もう太陽が昇らないのではないかと思ったほど、火煙がすごかった」との話を聞き、❽の写真を選んだ。彼女は1点1点の写真に目を凝らし、そこに写しだされている光景を、撮影者の体験や思いをも含めて読み解こうとした。また、4回生男子学生は自宅近くにある公園の写真[❾]を選び、次のように綴った。

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❽神戸市須磨区の板宿近くにて 1995年1月17日(大木本美通撮影、神戸大学附属図書館震災文庫提供)

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❾神戸市灘区の大和公園仮設住宅 1995年8月10日(大木本美通撮影、神戸大学附属図書館震災文庫提供)

現在は単なる公園にしか見えない大和公園に、ほんの十数年前まで仮設住宅が立ち並んでいたということを初めて知りました。復興の進んだ現在の街並みの裏に、確かに震災の歴史があったということをうかがわせてくれます。

この写真は、彼にとってごく日常の風景のなかにある震災の歴史を気づかせ、さらにそこで暮らした人びとの姿や生活へと想像力を働かせる糸口となった。多くの仮設住宅の写真があるなかで、この写真を選んだ彼は、自身が生きる現在の地点から震災を見つめ直そうとした。震災写真はその媒介となったのである。
東日本大震災以降、さらに膨大な記録がデジタルデータとして蓄積され、自治体・図書館・研究機関等によるデジタルアーカイブの構築が進んだ。国立国会図書館と総務省が開発したポータルサイト「国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(ひなぎく)」(https://kn.ndl.go.jp/#/、2013年3月公開)では、複数の連携機関のデータを一元的に検索できるようになり、資料へのアクセスや利便性は確かに向上した。しかし、大量の情報からどのように資料を抽出し、震災像を構築していくか、その際データの背後にある人びとの営為を組み込んだ形で、いかに震災記憶を伝えていくかについては、今後の大きな課題であろう。

参考文献
伊丹市立博物館編『阪神・淡路大震災 伊丹からの発信(本文編)』伊丹市立博物館、2012年
稲葉洋子『阪神・淡路大震災と図書館活動─神戸大学「震災文庫」の挑戦─』人と情報を結ぶWEプロデュース、2005年
奥村弘『大震災と歴史資料保存─阪神・淡路大震災から東日本大震災へ─』吉川弘文館、2012年
佐々木和子「現代資料論─震災アーカイブ構築をてがかりに─」、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター編『「地域歴史遺産」の可能性』岩田書院、2013年
佐々木和子「震災を次代に伝えるために─震災アーカイブの構築─」、奥村弘編『歴史文化を大災害から守る』東京大学出版会、2014年
白井哲哉『災害アーカイブ』東京堂出版、2019年
震災・まちのアーカイブ編『アーカイブ前史』震災・まちのアーカイブ、2003年
外岡秀俊『地震と社会』上・下、みすず書房、1997・1998年
長岡市立中央図書館文書資料室『新潟県中越大震災と史料保存(1)長岡市立中央図書館文書資料室の試み』長岡市立中央図書館文書資料室、2009年
ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会『ふくしま震災遺産保全プロジェクト これまでの活動報告』2017年 https://general-museum.fcs.ed.jp/page_about/archive/disaster(最終閲覧日:2021年9月15日)
水本有香「伊丹から見た阪神・淡路大震災と展示」『歴史科学』207、2012年
宮本博「阪神・淡路大震災記録資料を未来に伝える─震災記録を残すライブラリアン・ネットワーク─」『記録と史料』8、1997年
矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『震災避難所の史料─新潟県中越地震・東日本大震災─』新潟大学災害・復興科学研究所危機管理・災害復興分野、2013年
神戸大学附属図書館震災文庫デジタルギャラリー http://www.lib.kobe-u.ac.jp/eqb/dlib/index.html(最終閲覧日:2021年9月15日)

☞ さらに深く知りたいときは

①奥村弘『大震災と歴史資料保存─阪神・淡路大震災から東日本大震災へ─』吉川弘文館、2012年
阪神・淡路大震災を画期とする被災歴史資料と震災資料の保全活動を俯瞰し、その意義、災害時における歴史文化関係者の果たすべき役割を問う。歴史文化と災害文化の根づいた地域社会づくりについての提言の書。

②稲葉洋子『阪神・淡路大震災と図書館活動─神戸大学「震災文庫」の挑戦─』人と情報を結ぶWEプロデュース、2005年
震災資料の収集・公開では地域の大学・公共図書館の役割が大きい。震災文庫の資料収集方針、整理・分類、公開の考え方とノウハウ、デジタルアーカイブの先駆的取り組みを具体的に学ぶことができる。

③佐々木和子「震災を次代に伝えるために─震災アーカイブの構築」、奥村弘編『歴史文化を大災害から守る』東京大学出版会、2014年
兵庫県の復興計画の一環として進められた資料収集事業で集められた資料は、2002年開館の人と防災未来センターに引き継がれた。アーカイブズ学の手法で進められた兵庫県の収集事業を中心に、調査収集や公開基準策定の考え方・論点を学ぶことができる。

④板垣貴志・川内淳史編『阪神・淡路大震災像の形成と受容─震災資料の可能性─』岩田書院、2011年
震災像の形成に大きな役割を果たした新聞報道や、絵画・ミニコミ・写真・手記・サブカルチャー作品を手がかりに、資料に込められた「思い」に着目し、震災記憶を伝えることの意味を問うユニークなブックレット。

⑤矢田俊文・長岡市立中央図書館文書資料室編『震災避難所の史料─新潟県中越地震・東日本大震災─』新潟大学災害・復興科学研究所危機管理・災害復興分野、2013年
新潟県中越地震、東日本大震災の際に長岡市内に開設された避難所の資料等を図版と解説で紹介。避難所資料について具体的に知ることができる。地域にねざした活動を積み重ねてきた長岡の文書資料室、新潟大学の災害対応経験と資料論を発信する。