美術資料(安田容子)★『地域歴史文化継承ガイドブック』全文公開

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美術資料
文●安田容子

1.地域にのこされた美術資料

地域にのこされた美術資料とは、ある地域で蓄積された資料のうち、美術的観点から注目されるものの総体を指す。美術資料と聞くと、博物館や美術館に展示されるものを想像するが、多くの美術資料は古文書などと同様、個人宅など地域のあらゆる場所に伝えられている。掛け軸や屛風、襖など、鑑賞するために表装された書画のほか、表装されていないまくりや、短冊、絵手本など多様な美術資料が文書等とともに各地に伝わっている。これらの資料は、必ずしも広く知られていない作者の手によるものであったり、その家や地域に関わる人物の手になるものが多い。しかし、これらの資料群を注意深く観察すると、美術を介した独自の歴史文化を垣間見ることができる。かつて地域では、地域内外の人びとと書画を通した交流が各地で繰り広げられていた。交流の場である書画会では、その場に集まった文人によって書画作品や短冊、扇子などが制作された。これらの作品は参加した地域の人びとのもとにのこることが多い。

地域に伝わる美術資料の多くは、江戸時代からその家に蓄積していった書画などであり、生活の中で数世代にわたって少しずつ蓄積されたものである。掃除や片付けの際に、再び日の目を見たこれらの作品は、場合によっては、かつてそうであったように鑑賞する対象として生活の中で再び利用することも可能である。現に、掛け軸や扁額の中には、大事に伝えられ、現在でも、その家の床の間を飾り、座敷に掲げられていることもある。しかし、多くの場合、古文書などの歴史資料と同様に蔵の中や引き出しの奥に人知れずのこされ、鑑賞されることがない状態となっていることが多い。

2.美術資料からみる地域

掛け軸
掛け軸は、美術資料として最も一般的なものである。個人宅や寺院などには多くの掛け軸が伝えられており、その多くは明治以降に制作された美術作品や、年中行事や人生儀礼等の際に使用する生活道具としての側面が強いかもしれない。そのため、習慣や生活の変化により、現在では使用されなくなった掛け軸は、箱や引き出し、衣装ケースの中にしまいこまれていることが多い。こうした掛け軸の多くは、神像や名号など宗教的なものが多く、またこれらの掛け軸は必ずしも長期的な使用や保存を目的としてつくられているものではないため、簡易な表装であることが特徴である。

上記のものとは別に、詩書や山水、花鳥を描いた作品や、軸装された版画なども確認される。その多くは墨画や墨書であるが、花鳥や人物などは着色された絹本の作品である場合もみられる。これらの掛け軸は、その家の先祖が集めたものである。特に大正から昭和初期においては、地方でも書画の掛け軸を収集することが盛んに行われていたため、そのときに集められたコレクションが伝わっていることも考えられる。

個人宅に伝わる掛け軸の多くは、日常生活と密接に関わりながら床の間飾りとして用いられていたものである。おめでたい掛け軸として正月や結納時に用いられた「めでた掛け」や、端午の節句に掛けた鍾馗像や個人の長寿の祝いなどに寄せられた詩歌などが代表的なものである。これらの大半は、その地域で活動していた文人や画人、場合によっては家族や親類の手による作品を軸装したものである。また、地域で開催された書画会を通して入手した作品や、その家に滞在した文人がのこした書画なども伝わっていることもある。これらの掛け軸からは、かつて地域で営まれていた生活の中で、人生の契機や慶事などを表現する手段として美術資料が位置づけられていることがうかがえる。さらに、それらの制作に地域の文化人だけでなくその家の人びとも携わっていた。地域社会の生活を担う存在として、こうした掛け軸を見つめ直すこともできるだろう。

まくり・画帳類
表装されて箱に入った掛け軸だけでなく、表装されていない「まくり」という状態でのこされているものものある[❶]。また、冊子になっている画帳なども、美術資料に多くみられる形態である。「粉本」と呼ばれる、自ら絵を描くときの手本や、彩色した絵を綴った画帳が数点まとまって見つかることもある。これらは、鑑賞するための美術作品として用いられていたものではないが、かつて地域において書画の制作が行われていたことを示しており、さらにはその地域を訪れた文人たちの足跡をたどることもできる。特に近代においては、各地域の小学校など人が集まる場では盛んに書画会が開催されており、書画会で入手した作品小作品や扇子なども多くのこされている。書画会で入手されたものは、簡易な掛け軸に仕立てられたものもあるが、多くは裏打ちもしていないまくりの状態である。

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❶3人の合作による「蜂・蜘蛛図」まくり

まくりの束からは、その地域に集った文人たちの様子を垣間見ることができる。例えば、宮城県北部地域の地域資料には、1870~90年代に作成されたこれらのまくりや小作品を見つけることができる。このころの宮城県では各地で書画会が行われており、そうした活動に関する美術資料や記録が多く確認される〔安田2015〕。当時県内では著名な文人として知られた鳴崖や山内耕烟などはもちろん、県外からも多くの文人が地域の書画会に参加したことは、地域にのこされた当時の案内より知ることができる[❷]。ときには書画会に招かれた文人たちが滞在中に作成したものもあり、家のふすま絵が、当地の文人や画人たちによるものと思われる事例もよくみられる。

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❷登米三冝楼で開催の書画会案内

個人宅に伝わるまくりや画帳は、作品の下絵であったり、表装する前の未完成な状態であるといえる。一点ごとに美術作品としてみるよりも、むしろ地域に伝えられた資料群として観察すると、その地域における文化的営みを解き明かす手がかりともなる。地域の人びとと、その地を訪れた文化人との交流や、地域内で繰り広げられた文化活動の一端が、これらのまくりの束をひもとくことで見えてくる。美術資料は、描かれた画の題材や構図といったいわゆる美的観点に基づく側面が本質的な資料的価値である。ここで紹介したような書画会をとりまく地域内外における交流は、美術資料から地域の多様な営みを捉え直す手がかりとなるだろう。

調度品:襖・屛風類
襖と屛風はいずれも、鑑賞するための美術品と言うよりはむしろ、生活空間を仕切る調度品として用いられていたものである。屛風には高さもあり、部屋の空間を区切る大きなものもあれば、座敷内の座っている場所を区切るような背の低い小さな屛風もある。いずれも、座敷に人を呼んだり、大勢が集まることが日常的に行われていた時代には必要不可欠な生活道具であった。多くの場合、屛風には、その地を訪れた文人が描いた大作や、その家に集まった人びとが詠んだ詩歌を記した短冊、家や個人の記念や祝賀に寄せられた書画の小作品や色紙が貼り込まれている。時間の経過と共に生活空間の在り方も変容し、近年では日常的に屛風が使用されることもあまりなくなっている。そのため、長い間使われないまま置かれていたために日に焼けてしまったり、かつて使用している中で破れ穴があいてしまい、そのままの状態で物置や倉庫にしまわれいたりすることも多く、書画のある本紙や裏面がはがれていることもある。

使われなくなった襖や屛風を再び以前のように使用することは容易ではない。特に、置く場所がなかったり、保管の過程で激しく破損してしまったりするものは、もとの状態に戻すために相当の労力を要する。そのため、書画が描かれた表の本紙部分をはがしてまくりの状態で保管し、襖の内側にある下張りを歴史資料として利用することも行われいる。こうした取り組みも、地域の歴史文化の解明につながる方法の一つである。

短冊や絵はがき
書画まくりとともに大量にのこされている美術資料として、俳句や短歌が書かれた紙片や短冊が挙げられる。これらの多くは俳諧などを趣味とする地域の文化人の手によるものである。屛風に貼り込まれたり、掛け軸に仕立てられていることもあるが、多くの場合、昭和初期ころに各地で形成されたコレクションの一つとして、短冊帖に整理された資料群として確認される[❸]。また、短冊だけでなく、絵はがきも写真等と同様にアルバムや画帖に収められているものもある。

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❸短冊帖に収められた絵入短冊

1913年(大正2)ころより大阪の古美術商として有名であった柳屋をはじめ、好事家たちの間で正月の宝船などを題材とした宝船絵や絵はがきなどが制作され、交換会や頒布会が1938年(昭和13)ころまで続けられた〔森田2010〕。これらは大阪、京都、名古屋、東京の好事家仲間たちに限らず、他県の趣味人たちとの交流も見ることができる資料群でもある。

短冊や絵はがきには、その地域に住んでいる文人だけでなく、その地域を訪れた文人たちが作成したものや、家族内で作られたもの、親戚からの土産物などもみられる。これらを資料群としてみていくと、ある時期におけるその家や地域の文化を知ることができるだろう。

3.美術資料の管理方法

物置の中や蔵の片隅から発見される資料の多くは、ほこりや湿気、カビといった劣化・破損につながる要素をまとっており、中には虫喰いによって穴だらけになっているものもある。例えば掛け軸を取り扱うとき、巻いてある状態では何の問題もなさそうに見える場合でも、中を確認しようと開くと表装が外れてしまったり、虫喰いによって本紙ともにバラバラになってしまっていることも少なくない。

紙や布、木製品など、多様な物質で構成される掛け軸は、その管理や取り扱いに注意を要する。特に、共箱と呼ばれる掛け軸にあわせて作られた箱に収められていない場合、表装の破損や虫損といった被害を受ける可能性が高くなり、開く際も慎重に対応する必要がある。まずは表面のほこりなどを柔らかい刷毛で優しく払い、現状を確認するところから始めていくことが重要である。表面のほこりやカビを払った後は、共箱のものは元の箱に戻す。複数の軸が一つの箱に入っていたときには、平たい紙箱に重ならないように並べて保存することも重要であろう。

資料を整理したり、ほこりを払ったりするときは、面倒であっても必ず記録を取っておく。少なくとも、資料が見つかった状態と、一点ごとの資料の写真を撮っておくと、後でどのようなものを持っているのか確認することができる。資料の状態を確認したり、クリーニングしたり、別の箱に移すなど保管方法を検討することによって、資料の状態を変えることになる場合は、記録を取っておくことが肝要である。例えば、破損やカビなどを発見した場合、現状を把握できるように写真等で記録を撮り、可能であれば管理台帳を作成して手当の履歴を記録化しておくことが理想的である。また、湿気や経年によって表装がはがれたり、カビが本紙に発生して書画に影響が懸念されるなど、簡易的なクリーニングのみで現状を維持することが難しい場合には、保存や修理を専門とする人たちに相談する必要がある。掛け軸や屛風などの美術品を修理するには必ず専門家の手が必要になる。その場合は、近隣にある博物館や表装などを行う表具師に問い合わせ、修理に向けた相談を行うことが求められる。

4.美術資料をのこし伝えるには

美術資料を伝えるためには、できるだけ日常の中で利用していくことが重要である。もちろん、資料の状態によっては、掛け軸の緒が外れ、軸先が欠落しているなど破損していることもある。掛け軸は100年くらいたつと表装をかえる必要が出てくることもあるため、日常的に鑑賞するためには、状態を確認しながら、表装や修理を定期的に検討することが必要となろう。また、屛風などは、かさばる上に、はがれていたり、破れ穴があいていたりしていることが多く、現代の日常生活の中では使いづらいものも多い。もし、それでも再び鑑賞したり調度品として使用したいときには、修理が必要であり、表具師など専門家に問い合わせる必要がある。一方で、できる範囲の汚れを取った後に、再びしまいこんでも構わないと思われる。どのようなものがどれだけあるのかについての台帳を作成したり、現状の写真を撮っておく必要はあるが、捨てずに取っておける場所があれば、しばらく置いておいてもよいだろう。

掛け軸などであれば、掛け軸そのものにカビなどがなく、表装も破損していなければ、季節の掛け物として、時々、床の間や壁に掛けて楽しむことで、作品も生きてくる。その場合には、取り出しやすい場所に保存することも考慮したほうがよい。取り出して飾ったときには、管理台帳に、いつ取り出していつまで飾っていたかの日付や、そのときの資料の状態を書き加えていけばよいだろう。どのようなものがあるのか知っているだけでも、資料や地域とつながることができると考えられる。
 
参考文献
森田俊雄『和のおもちゃ絵・川崎巨泉 明治の浮世絵師とナニワ趣味人の世界』社会評論社、2010年
安田容子『書画会の華やぎ 地域に息づく遍歴の文人たち』蕃山房、2015年

☞ さらに深く知りたいときは

①東京文化財研究所『日本画・書籍の損傷─見方・調べ方』オフィスHANS、2013年
掛け軸や屛風など、地域でみつかる美術資料の形態や構造、保存箱について書かれているほか、損傷の原因や状態についての事例が紹介される。美術資料の基本的な取り扱いや専門家の視点からの対処法を学べる。

②東京文化財研究所 書画家人名データベース(明治大正期書画家番付による)
 https://www.tobunken.go.jp/materials/banduke_name
明治大正期の書画家番付に記された人物について、人名から、どの番付のどこに記されているかを検索することができる。人物によっては他のデータベース上の情報や画像も提示される。現在ではほとんど情報のない作家でも、作品中の名前や号を入れて検索すると明治大正期における位置づけを知ることができる。

③思文閣 美術人名辞典 https://www.shibunkaku.co.jp/biography/
絵画や書の作者や文人・俳人など、日本の代表的な美術作家に関する略歴などの情報を調べることができる。地域の文人や画人についての情報はまだ少ないが、本文検索から師弟関係や関連人物を知ることもできる。