シンポジウム「戦後に、書きつづけることー島尾敏雄原稿がひらく文学の戦後」(2022年9月17日(土)13:30~17:10、オンライン)※要申込

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シンポジウム情報です。

公式サイトはこちら。
https://www.nijl.ac.jp/event/lecture/2022/09/post-47.html

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国文学研究資料館とかごしま近代文学館の共催にて、シンポジウム「戦後に、書きつづけることー島尾敏雄原稿がひらく文学の戦後」を開催いたします。

日時:令和4年(2022年)9月17日(土)13:30~17:10
完全オンライン開催(Zoomウェビナー)・参加無料

講師は石田忠彦・鈴木直子・安達原達晴・Yannick Maufroid・田代ゆき・梯久美子の6氏(司会・多田蔵人)

ご参加のかたは、下記申込みフォームよりお申込みください。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfS9kb_Ds2LgPXKuHe3S5_7rh_CaH18fSMJGI-qEucyevA_Og/viewform
【9月16日(金)12時まで】

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■全体趣意文...多田蔵人
 2022年4月18日、かごしま近代文学館が所蔵するコレクション「島尾敏雄特別資料」のうち、島尾敏雄の代表作『出発は遂に訪れず』『その夏の今は』、そして『死の棘』の関連草稿を含む52点(計1956枚)の草稿が、国文学研究資料館の「近代書誌・近代画像データベース」にて公開された。島尾資料は草稿などの自筆資料だけでも約2千点、書簡や印刷資料も含めれば約1万5千点に及ぶ、「戦後文学」について考える際の基盤となるコレクションである。今回の公開はその重要部分を明かすものであり、奄美・加計呂麻島における特攻体験や、『死の棘』にえがかれた家族の悲劇が「作品」へと変貌してゆく過程を、インターネット上で、誰もが、瞬時に確認することが可能になったわけである。
 近年、情報環境の進展にともなう資料の「発見」や「公開」は数多く行われている。しかしこうして公開された資料には、はたして何を見いだすことができるのだろうか? 今回のシンポジウムではこの問題を正面から問い、作家原稿が開く「文学」のかたちを、島尾が生きた「戦後」という時代に置きなおしてみることをめざす。
 島尾作品の題材は、戦争体験、家族の問題、超現実主義的描写、政治と文学など、戦後文学をいろどった多くの問題系に及んでいる。島尾が関わりをもった戦後文学のグループも実に多彩であり、文学者たちの刺激のなかで作風が変化していった様も草稿にはうかがえる。これらの作風のひろがりは段階を追ったものではなく、外的な人間関係と内的な問題意識の深まりが絡まりあいながら展開していた。
 国内最大の自筆資料コレクションを手がかりとして、「戦後」というながい時間の流れのなかで、文学者に課せられた「書きつづけること」という問題系が見えてくるだろう。戦後まもない時期にデビューし、以後40年にわたって書きつづけなければならなかった作家は、どのように言葉で「日本」とわたりあったのだろうか? それぞれの立場で島尾敏雄資料と深く関わってきた専門家に、最新の知見をご披露いただく予定である。

■石田忠彦「島尾敏雄文学資料と問題点」
 作家が自己の体験を素材とした場合、その評価に際して、事実はどこまで小説になるかという問題を検討する必要はないか。また、その場合、事実に基づくというより、記憶(創起)に基づく場合が多く、その際言葉のもっている時間をどのように考えるか。また、『死の棘』は、その単行本が三種類あるが、通して収録されたのは「離脱」と「死の棘」のみである。そこに、現『死の棘』への創作意識の変容を検討出来ないか。

■鈴木直子「「夏の終り」と終わらない戦後」
 特攻隊長としての夏が終わり、終らない戦後がやってくる。島尾文学において戦争と敗戦の体験は幾度も繰り返され、書いているその都度の「今」に照らして、その意味が再構築されてきた。これまでの諸氏による特攻三部作の草稿研究の成果を振り返りつつ、テキストの揺らぎによって明らかになる島尾の戦争体験の意味の変容について改めて考えたい。

■安達原達晴「立ち上がる〈島尾文学〉――島尾敏雄「鉄路に近く」草稿を中心に」
 これまで、語り手や叙法の問題を含めた島尾敏雄の表現(文体)の性格について、本格的な検討はなされていない。島尾作品のことばは、1955年の奄美移住前後から徐々に変化するとみなせる。1957年刊行の短篇集『島の果て』「あとがき」で自身の表現が「全く別な世界へ移」る「きざし」と位置づけられた「鉄路に近く」(1956年)の草稿を中心に、作品のことばが形成される過程の一端を辿りつつ、課題追究のとば口に立つことを目指す。

■Yannick Maufroid「日常の削り、夢の語り――『死の棘』の草稿における「削除箇所」をめぐって」
 「小説への接近」(昭和39年)というエッセイでは、島尾敏雄は鑿で木彫りをする「彫刻師」のメタファーを借りて、自分の小説のテクストを「削っていく」楽しみに言及する。『死の棘』の草稿を調べると、簡単な修正でも小説の前テクストの長い削除でも、その「削る」行為の痕跡が多く見られる。島尾の削除は様々な目的があると考えられるが、本発表は「削る」という解体によって作品の表現方法の構成に関連した削除箇所に焦点する。その中では、第一章「離脱」や第四章「日は日に」においてミホの夢の語りの前後にある削除箇所の例が挙げられる。その一節の草稿の分析を通じて、修正のために前のテクストを削ることだけではなく、作品の日常性を文体的にも語り的にも消して、不眠的で夢的な物語空間を創造する過程としても把握できる。

■田代ゆき「島尾敏雄は「政治」と無縁か――「帰巣者の憂鬱」の読みを手掛かりに」
 1963年、かつて『現代批評』で活動を共にした奥野健男、吉本隆明と武井昭夫が「政治と文学」を巡り論争する。文学の根拠を個人に置き、政治からの「自立」を宣言した奥野、吉本に、戦後民主主義文学運動内部者の立場で武井は真っ向から対立する。その際、双方とも好意的に引用したのが島尾の作品群だった。読みの相違はどこにあったか。文学にとって「政治」とは何か。武井の評価を引き合いに奥野が批評した「帰巣者の憂鬱」を手掛かりに考えたい。

■梯久美子「『死の棘』草稿の中の吉本隆明」
 『死の棘』第一章の「離脱」には、「家の塀」「否み」というタイトルが付された草稿がある。その内容と、島尾の日記の記述を照らし合わせると、吉本隆明の存在が浮かび上がってくる。ミホが島尾の日記を見て狂乱したとき、傍らにあった吉本の詩集『転位のための十篇』(吉本が島尾に贈ったもの)を引き裂いたこと、そして「離脱」が吉本の詩の影響のもとに書かれた可能性があること――。決定稿を読んだだけではわからない意外な事実が、草稿から見えてくる。

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