【連載】vol.5「おおたに(無店舗古書店)」 - 現役大学生が有り余る行動力で和本に触れてみた件ーー和本探しに出かけてみよう!ーー #和本有り

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vol.5「おおたに(無店舗古書店)」


和本が好きないち大学生が、
どこに行けば和本を見て、触れるのか?
どこに行けば和本を買うことができるのか?
小中高生・大学学部生向けに伝えるべく、はじめた連載、
第五回は「おおたに(無店舗古書店)」の店主・大谷大さんです。

大谷さんは私が通っている大学の卒業生であり、
古書店を営みつつ、研究者でもあるといいます。
とても謎めいています。
まだ知らない、和本の世界の謎を
教えてくれるかもという期待を抱きながら、
お話をうかがいました。結果......面白すぎました。
とにかくぜひお読みください!


おおたに
無店舗の古書店。実際にお客さんの前で販売するのは、毎年開催されるTokyo Antique FAIRでの3日間のみ。2021年はコロナ禍のため出店を中止した。


■古本屋さんになるまで

ゴン:青山学院大学に在籍している韓国人留学生のハゴンウといいます。大学には2018年度に入学しました。日本語は小学校5年生の時から独学で少し勉強しました。

 日本のアニメーションに影響されて、その後、アニメーションの原作のライトノベル、小説を読み始めて、今は井原西鶴という江戸時代の作家を中心に勉強しています。本日はよろしくお願いいたします。

大谷さん:私は青学には1997年に入学しました。実を言うと最初は日本文学科に行く気がまったくなかったんです。もともと社会学がやりたくて。あと歴史もやりたかったです。

 ですが、他の大学に全部落ちまして、あと、ちょうどセンター試験の旧課程と新課程の切り替えの年で、一橋大学の社会学部の数学で満点を取ったんですけど、落ちたんですよね。一橋に受かっていたら、今の仕事と違うことをしていると思います(笑)。

 大学時代には友人とIT関係の仕事をしようと思ったんですけれど、IT関係は10年は楽しくやって行けそうだけれど、50年先まで楽しくやっていけるだろうかと思い、骨董屋になります。

 代々家が商売をやっていて、私が大学を卒業した時に独立資金を渡されて、「これで何でもいいから仕事してみろ。人を使う仕事はよいけれど、人に使われるのはやめなさい」と言われました。だから会社勤めという選択肢は最初からなかったですね。

ゴン:事前にメールで教えてくださった情報で、大学時代から骨董商の見習いをされていたとあったのですが、これはアルバイトだったのでしょうか。

大谷さん:そうですね。最初は催事などで店番のアルバイトもさせていただいて、その時のお師匠さんが――今でもお師匠さんだと思っている方なんですけれど――、「お前が買ってきたものを店の端っこに並べていいぞ」と言ってくださって、その時すでに古典籍や古筆切みたいなものを買っていたので、並べたりしていました。

 それで、古本屋というか「紙屑屋」と私は言っているんですが、自分がいいなぁと思った紙屑を買ってくれる人が世の中にいるということがわかって、楽しくなって、だんだんそっちのほうにシフトしていったという感じですね。

■本という存在そのものが好き

大谷さん:ゴン君はなんで古典籍を買おうと思ったんですか?

ゴン:私は日本で生まれていないからかもしれないですが、日本語のぐにゃぐにゃとした文字が好きで、アニメーションの影響もあって、子供の頃から日本語という言葉自体が異世界の、アニメの世界の言語という感覚だったんです。それでくずし字もきれいだなあと思いました。

 韓国では、たとえば朝鮮時代の科挙試験の解答用紙などを見ると、きれいに文字が揃っているんですよね。日本は文字の大きさなどが決まってなかったり、作品のジャンルによって文字のくずし方が全然違うので、面白いと思いました。

 古典籍を買ったのは、兵役義務を終えて大阪に友達と旅行に行った時に和本を購入したのがきっかけでした。1ページを読むのに6時間くらいかかって。くずし字学習アプリのKulaなどを使って読んでいきましたが、読めた時にうれしさがあって、そういうところからも和本が好きになりました。

大谷さん:私は特に古典籍だけではなく、本という存在そのものが好きなんです。それは、古今東西問わず。西洋のものだろうが、東洋のものだろうが、中国だろうが、朝鮮半島だろうが、日本だろうが、奈良時代から現代に至るまでのすべての本というものがもともと好きです。

 母がすごくたくさん本を読む人で、家に大量の本があったので、その頃から古本屋っていう職業が世の中にあることは知っていました。たとえば、500円のお小遣いがあったら、500円の新刊なら一冊しか買えないけれど、古本屋さんの50円コーナーだったら10冊の本が買えると思って、自分の手元にどんどんどんどん本が増えていきました。

 大学受験をして、関西から東京に移った時には、自分の四畳の部屋に本棚が11本あって、本に埋もれていたんです。ですが、その本をどれくらい読んだかというと、半分も読んでいなかったです。それでも、面白そうだなと思って本を買い続けました。自分の手が届く範囲にたくさん本があるのが好きだったんです。

 しばらくして古本屋を目指すんですが、その大きな道としては、古書組合(「全国古書籍商組合連合会」(通称、全古書連))に入ることだけれども、すぐにはハードルが高くて。ただ、父が古本の専売ではなかったのですが古本も扱う骨董屋として地方の古書組合に加盟しており、地方の組合でも全古書連の加盟業者はどこの古書市場にも参加できる権利があったので、最初から東京の真ん中の大きな市場とかを見に行くことができました。

ゴン:それは関係者としてということでしょうか。

大谷さん:そうです。父の店の従業員として。いまだに骨董というか古美術の大きな市場のお手伝いも含めてたくさん行きます。もう20年以上も続けていますが、自分としても楽しくできているし、なるほど、これは死ぬまでできる商売だと思っています。

■なぜ古典籍を商う?大谷さんにとって古典籍商とは

大谷さん:今の活字の本ってバーコードがついていますよね。1990年頃には、バーコードを読み取ったらそこに価格が表示されて、いつ、どこの出版社から出た本だという情報がわかるようになったので、もう少し先の未来になったら、それだけを読み取れば本が好きじゃなくても古本屋ができる時代が来るのが目に見えていました。活字の本って、言ってしまえば誰でも読めますから。

 でも、古典籍ってそもそも入り口のハードルが高くて、1冊あたりの価格も高いと思われていました。どのジャンルであっても本という物を楽しめる自分にとっては大きな古本というくくりの中でも、入り口のハードルの高ささえクリアすれば、誰でもは読めないであろうそして多様性に富んだ古典籍というジャンルはより商売の可能性があるのではと考えました。

 ただ、古典籍に限らず、活字の本でも「この本めっちゃええ本やなぁ」と思ったら買います。買った本はその日の一番おいしいおつまみで、本をぺらぺらとめくって、お酒をきゅーって飲んで本を眺めている時がものすごく幸せです。ただ、その「ええ本やなぁ」と思えるのが、活字本より古典籍のほうが自分にとって多いですね。これは金額云々ではないんですよね。それが1000円で買った本でも、超いい本の時は超いいですし、200、300万円で買っても、全然気に入らない本もあります。

 だから同業者の方から「大谷は商売気が薄いよね」とよく言われるんです。たとえば、フェアで出している出品抄目録には一切値段を書いていません。私は「これを見て誰がほしがるの?」っていわれるような目録をもとに、そこに書かれたたった一行の短文の解説で「むむむっ!」となった人がうちに見にきて、「むむむっ!」って言って買ってくださるのが楽しいんです。本当にうちのお店ってハードルが高いですよ(笑)。

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出品抄目録

ゴン:お話を聞いていて思うのは、うまいたとえかはわからないのですが、牛丼を食べるとして、お手頃な牛丼もありますが、食材や調理道具を選びに選んで渾身の一杯を作るような、そういった仕事をされているのかなあと思ったのですが......。

大谷さん:んん、それは違いますね(笑)。たとえば八百屋に行ったら、みんなキャベツやトマトやキュウリなど知っている野菜ばかり買っていくんですが、うちはそのへんの公園に生えている雑草みたいに見える虫食いだらけのものをカゴにいれて飾っているようなもんですね。

 そこに「こうして料理したらおいしくなりますよ」って解説が書かれてある。うちのお客さんってゲテモノ喰いみたいな人もいっぱいいるので、あの店主の大谷が面白いというのなら、なんか面白いところがあるだろうと思って、手に取ったり、もしくは食べてくれる。

岡田さん(文学通信):出品抄目録を拝見したのですが、つまり、これしか情報を与えていないってことなんですよね。

大谷さん:そう。それとツイッターのハッシュタグ(#2020フェア出品抄)だけですね。

岡田さん:大谷さんの目録は、本当に、お客さんと大谷さんの信頼関係というか、店主を知った上での目録のような、独特なコミュニケーション世界です。

大谷さん:そうですね(笑)。この目録のなかで一番安いのものは1500円ですね。一番高いのは、7000万円とかですかね。

ゴン・岡田さん:えええっ!

大谷さん:目録に載っているものは、自分のなかで結論が出ていて、お客さんに聞かれたら、これはこんなものですよと答えられるものしか載せてないです。

 フェアにも自分のなかで結論が出るまで持っていかないので、まだ持っていけないものは家の倉庫に積み上げてあります(笑)。

■仕入れる本について

大谷さん:仕入れる本は傷だらけでもいいし、もっと言うなら端本(はほん)でもいい。それがパっと見てよくわからないものなら、まず買って調べてみようという気になります。

 古筆切(こひつぎれ)とか、虫食いだらけの本とか、端本とか、断簡(だんかん)とか、つまり今まであまり需要がなかったものを、少しでも面白いと思って、世の中にそれを研究してくれる人たちが増えてくれたら面白いなぁと思ってやっています。

岡田さん:すごい戦略というか、同時に、その商売の仕方というか生き方も面白いというか。たとえば、研究者もそういう姿勢で対象を選ぶというか、わからないことが面白いっていう人たちと通じているような気がします。

大谷さん:それはそうですね。私自身がいまだに一研究者としてやっていくつもりがあるので、論文も書き続けていますし、学会も行きますし。論文を書いて認められたいっていうのもあります。でも普通、論文を書くというのは、商売だけで言ったらただただ時間の無駄です。論文って一本書くのに、何日どころか何週間、下手したら何カ月間かかりますから。

 でも、やはり自分が生み出したもの、つまり論文が世の中の研究の一助になるというのは、本当にとんでもなくうれしいことで、そういう気持ちがある限りやろうと思います。
 
 この前も雑誌に投稿したのですが、それが載れば、何十年も先の人たちにも読んでもらえる可能性があり、そして私が書いたもので研究を進めてくれたらいいなあと思います。

 だから商売で調べものをして目録を作るのと、私が研究を進めるのは、根っこは一緒だと思っています。本一冊とってみても、論文にしようと思ったものひとつとってみても、「うわぁ、こんなおもろいもん、ちょっと誰か見てよ」っていう気持ちですよね。商売も研究もそれは一緒です。

■客を選ぶ古本屋さん

ゴン:誰かが論文を書いていて、大谷さんの目録を見て、自分の研究にぴったりだと思って本を購入してまた論文になったりという、いつこの本たちが売れるかはわからないというのはあると思いますが、本当に必要な人が買っていくということですよね。

大谷さん:どうでしょうね。正直、少し言葉が悪いかもしれませんが、私はお客さんを選んでいるので。店番の子によく「大谷さん、嫌いな客がきたらすぐ逃げますよね」って言われますね(笑)。

 結局、見識が低い、ものに対する敬意がないというのも嫌なのですが、一番嫌いなのは「なんかいいものないですか」と言われることです。「うちのお店にはいいものなんて一切ありません。他のお店にいいものがたくさんあるので、どうぞお帰りください」という気持ちになるんですよね。

■和本は買うものではなく、手に取って見るもの

大谷さん:本を買う人を育てたいという気持ちはないんです。買わなくても古典籍が見られることは多いので。ただ、せっかくなので見て面白いとは思ってほしいんですよね。

 だから私はお客さんに対してものを買うなとはいいますけど、買ってくれとは本当に言わないです。できたら若い子たちにはなにも買わないで欲しいんです。面白い面白いと言って見てくれるのは全然いいんですけどね。

岡田さん:「買わないでほしい」っていうのは一体......。

大谷さん:安い本でも1000円はするじゃないですか。若い子は1000円もあったらめっちゃいいごはん食べられますよ。

 スーパーに行って、特売の100円のカップラーメンじゃなくて、300円するどこかのお店とコラボしたいいカップラーメンに使えますよ。そのお金、本当にこの本に使っていいの?というところを、よくよく考えて欲しいんですよね。

 うちのお店は年に3日しかやらないので、周りの先生方の雰囲気とか、あの場で私にだまされてふらふらっと買ってしまいたくなる気持ちになるらしいんですけど、「ちょっと待て、隣の7000万円のものに比べたらこの7000円の本は超安いけど、7000円あったら結構いろんなことできるだろう。特に若いんだから」って思うんですよね。

岡田さん:大谷さんはその本を買おうとしている人にやはり覚悟を求めてるじゃないですか(笑)。

大谷さん:(笑)。だから、何にも買えないお客さんもいるんです。毎年通って、お金も握りしめてきているのに、ものを買うのに3年、4年かかったっていう人もいます(笑)。

岡田さん:大谷さんのお話を聞いていると、人間教育みたいなものも同時にしてらっしゃるような気がします。で、大谷さんの人生はきっと楽しいんだろうなと。

 買えなかった人も、多分まわりまわって、買えなかったこと自体が人間をちょっとずつ変化させていくような。本に対する見る目がどう変わるかはわからないのですが、大谷さんが「あ、変わったな。これなら、今この人はこのへんまできているから、じゃあこれを託しても大丈夫だろう」となって、ようやく買えるようになるっていうか......。

大谷さん:私のお師匠さんが、青山学院大学名誉教授の廣木一人先生なんですが、廣木先生は研究者として一流なのですが、教育者としても一流でした。

 廣木先生の退職記念論集の松本麻子さんの「あとがき」の文章を見ていただけるとありがたいのですが、私たちはずっとそこで勉強させてもらっていたので、年齢が上とか下とかではなく、自分よりあとから古典籍を見る後輩に、楽しく古典籍を見て欲しいんですよね。

......なぜ専攻も出身も違う者が廣木先生の教え子となったのか。それは先生が常に教育者であったことによる。勉強する者を好む先生は、懇親会の席で和歌や連歌・俳諧を研究したいという学生がいれば、自分のゼミ・研究会に招き、分野の違う院生であっても研究方法・今後のあり方に悩んでいれば相談に乗った。駆け込み寺のような一面もあった廣木ゼミ、連歌研究会は、いつも多種多様な人材が集まっていた。研究室には専攻の違う学生が頻繁に出入りしていた。廣木ゼミに在籍する学生もそれが当たり前だと思っていた。......」 松本麻子氏の「あとがき」より。廣木一人教授退職記念論集刊行委員会『日本詩歌への新視点―廣木一人教授退職記念論集―』(風間書房、2017年)579頁。

 本当にそれだけなんです。廣木先生は、研究というのは楽しいものだから、みんなに楽しく研究を続けてほしいというご指導だったので、私も目に届く範囲に関してはそうしたいです。

 そういえばこの企画ではゴン君にはなにか本を買ってもらうということだったと思いますが......そもそも近世のものがあまりうちにないんですよ。

ゴン:そうなんですか......!

大谷さん:私は近世より新しいことにほとんど興味がないんですよね。散文で言うなら西鶴以降、韻文で言うなら芭蕉以降のことにほとんど興味がなくて、そもそも仕入れてないんです。

 近世よりあとって、世界が結構可視化されたなかに住まっているように思っていて、一方中世の感覚は想像を絶したところにあるような気がするんです。韻文についてはあまりよくわからないので散文に関して言うと、近世は現代人のその常識の範囲内にとどまっているのではないかと思うんです。

 それが、中世以前は、近代人の想像を絶したところにあるので面白い。だから、近世が現代人の常識の範囲内にとどまるなら、いま現代で近世を研究している人たちに任せられるじゃないかと思ったんですよ。だから近世の本はあまりおいてないんですよね。

 なので、中世以前のことに関しては、新しくわけがわからないものをどんどん買う。こんなジャンルも面白いな、こっちにも手を出してみようかな、と。実は近世もやってみればそうだと思いますけどね。食わず嫌いかもしれません。

■ゴンが買いたかった大谷さんの本

ゴン:もし私が大谷さんのフェアに行っていたとしたら、そうですね......、先ほどの出品抄目録の「版本」の項目にある『二十四孝(にじゅうしこう)』か、または『絵入竹取物語』を買っていたと思います。

大谷さん:うーん、どっちも売れちゃったんですよね。たしか『二十四孝』は数千円台の下の方。

ゴン:(笑)。買わなかったことが惜しいような......。

大谷さん:『絵入竹取物語』は、ほかの本と一緒に買っていかれましたね。たしか、明治頃の版の一番新しいやつなので、かなり安くしかつけてなかったんじゃないかな。

ゴン:えええ(笑)。

大谷さん:自分にとって大切なものではないので、世の中にほしい人はいるだろうとは思うけれど、そんな値段です。あと、一回フェアに持っていったものは、二度と持っていかないです。

ゴン:その後はどうなるのでしょうか。

大谷さん:倉庫に死蔵してしまうか、市場で処分するかのどちらかです。フェアに持っていったものはほとんど二度と持っていかないから、おおたにに並んでいるものは一期一会で、一度買わなかったら二度と出会えないものがほとんどです。

■100万円分の勉強

ゴン:でも、商売として考えると、仕入れた値段より高く売らなければ、お金にはならないのではないでしょうか。

大谷さん:仕入れよりも安く、たとえば100万円で買ったものを50万円で売ったとしたら、その50万円でまた新しいもの買えばいいですよ。

岡田さん:なるほど。

ゴン:新しく買ったものが50万円だとして、その時は100万円を50万円で売ってしまったから50万円の損だけれども、新しく買った50万円の本が高く売れるかもしれないということでしょうか。

大谷さん:いやいや、他のものが高く売れるかどうかはまた別の話で、もう自分にとって100万円分の勉強が終わったと思ったら、50万円でも返ってきたら十分ではないでしょうか(笑)。なのでどうやってご飯を食べているのかっていうところに関しては......、どうやってご飯を食べているんでしょうね?

岡田さん・ゴン:(笑)。

大谷さん:だから、よく妻に「市場でものを買いすぎた。『食べられる草事典』買っておいて」ってメールするんですけどね(笑)。

■奥さんは大谷さんの商売に反対!?

ゴン:失礼な質問かもしれないのですが、奥さんに反対されたりはしなかったのでしょうか。

大谷さん:反対するもしないも、もうその形態になってから結婚したので、諦めてもらわないとですね(笑)。

岡田さん・ゴン:(笑)。

大谷さん:(隣にいる奥さんに)後悔する?(笑)......しないって(笑)。

■アカデミック割引について

大谷さん:出品抄目録の注意書きの五番目に書いてある「アカデミック割引」が、やはりうち特有だと思うんです。もし私が自分の研究に使いたくなった時にいつでも見せてもらえるという条件かつ、こうして本を書きましたよ、論文を書きましたよ、研究発表しますよって教えていただいた人には、「アカデミック割引」を実施します。

 自分の子どもが嫁いだ先でどうしているのかわかるじゃないですか。本たちは自分の娘みたいなものなので。

・当店では「アカデミック割引」を実施します。「研究に使用する目的」のある方が「私が(自分の研究に使用したいとき等の)見たい時にいつでも見せてもらえる」かつ「ご購入されたものを使って研究・論文発表等をされたときにお知らせいただく」という条件の下に、通常より多く割引させていただいております。

 本当に来年もし機会があれば、ゴン君にも見に来てもらえたらうれしいですね。

ゴン:行きたいです! 今年はコロナで中止になったのでしょうか。

大谷さん:いや、今年はフェア自体は開かれましたけど、私が休みました。ギリギリまで考え、ポスターやパンフレットに店の紹介等も掲載されていましたのが、それでもお休みしました。密にならない状態で営業することができないと思ったので。

■古本屋さんの経営事情

ゴン:すみません、失礼でなければ、それでは今年の収入は厳しかったということでしょうか。

大谷さん:もちろん厳しいですが最低限はありますよ(笑)。市場でも物を売っていますから。

岡田さん:でも、ゴン君が聞いた気持ちはわかります。商売は安く仕入れたものを高く売る、その利幅でしか成り立たないですから。

大谷さん:岡田さんはご存じかと思いますが、経営者は給料止め放題なんですよね。ですから、会社にお金がなくなったら自分の給料を止めて、それでやりくりします。それで、会社のお金をとりあえず作って支払いをして、本当に自分の個人のお金が必要になったら「売り食い」と言って、倉庫に詰まっているもののなかで、自分の興味がなくなったものを市場に持っていったらいくらかのお金にはなります。

 正直、結婚をして伴侶を得るには、まったく向いてない商売だと思います。今たまたま妻がいますが、本が好きで、本をぺらぺらめくって酒が飲める人間だから、妻と本、どっちがいいかというと......。

岡田さん・ゴン:(笑)。

大谷さん:......みたいなことは、人として考えたらいけないことだとは思いますけど(笑)。でも、結構考えちゃうんですよね。この写経一巻と、家族......、うーん、かろうじて家族かな、みたいな。

ゴン:(笑)。かろうじてなんですね。

■本は大好物!撫でまわしたくなる

ゴン:本がまるで人のように見えたりすることってありますか。魂というか。

大谷さん:ないです(笑)。でも、大好物に見えることはあります。この本を眺めていたら、白飯いくらでも食えるぞっていう時はありますね。

ゴン:それは、味として感じられたり、色として見えたりということでしょうか。

大谷さん:五感で言うと、一番は触覚。つるつると撫でまわしたくなります。二番目は、目から入ってくる情報かな。匂いは、いい匂いといってもそれはお香の匂いだから、大したことないですね。

■本と家族

大谷さん:私自身はビブリオマニアだと自負しているので、本というものが好きなんですよね。家族をそれと比べてしまうぐらいに。本当はよくないんだけれど。本というものが本当に好きなんです。それが長じて今に至るという。

 お金が好きか嫌いかというと、もちろん嫌いなわけではないですけど、ある程度までだったらなくてもなんとかなるっていうのもわかって。そう思えるまで10年ぐらいはかかりました。それまではやはり「今月はいくら仕入れたのにいくらしか売り上げがないから、手元のお金がいくら減ってしまう......」みたいに悩んだ時期はすごく長いです。

 ですが、ある時から吹っ切れたように、冷蔵庫に食うものがなくても、本があったら俺は生きていけるんじゃないかと思い始めて。これはインタビューなのに、世の中の人に通じにくくなってしまいますね(笑)。

岡田さん:いやいや(笑)。すごく面白いですよ。大谷さんの話を聞いていると、ものの価値ってなんだっけ?と思います。

ゴン:こういうお話は、お金を払って授業で聴けるような話ではないと思います。こうした商売の形をされている方に会うのも初めてで......。

大谷さん:大丈夫、世界で私一人な可能性ありますよ(笑)。

ゴン:自分にとって、好きってなんだろう、好きなものにどこまで本気になれるんだろう、自分だったらどうだろうって、考えさせられます。

■ゴンの和本の好きなところ

ゴン:最近、和本を開いて、読まれた跡とか、めくられた跡とか、または落書きとか、そういうことを、これは誰が読んだんだろうとか、なぜここにこんな落書きをしたんだろうと想像しながら読むのが好きになりました。

大谷さん:それは私も嫌いではないですね。落書きは私が知る限りだと、例えば室町にさかのぼるある奈良絵巻に、おそらく江戸時代のがきんちょが鼻血を描き足しているのを見たことがあるので、少なくとも江戸時代には人物の顔に鼻血を書き足すと面白いという現代に通じる感覚があったのは確かだと思いますね。

 めくられた跡は、あまり考えないほうがいいですね。なぜなら本の左下が汚れているのは、昔の人はみんな指をなめながらぺらぺらめくっていたので、あれはほとんど唾液と汚れとが詰まったものなので。匂いも嗅がないほうがいいかもしれないですね。

ゴン:あと、少し思うのは、図書館など公共機関で所蔵されている和本に所蔵印がたくさん捺されているのがあって、ひどい場合はボールペンで書き込みがあるのもあって、そういう取り返しのつかないような跡を見ると少し心が痛くなるというか、せっかく貴重な本なのにと思います。

大谷さん:私は蔵書印に関してはあまり思わないですね。朱肉の質によるんですが、化学染料で捺した時に、15年、20年で伸びてくるタイプのインクがあって、それは使ってはいけません。でも昔ながらの朱肉は、100年、200年経っても変わりません。蔵書印は、それを持っていたという重要な証拠になるから、私は問題ないと思います。

 私も自分の本に蔵書印を捺すかどうか10年以上悩み続けています。または隠し印みたいなものを捺して、それを50年後、100年後の人が見つけて、「あっ!これ大谷が持っていた本だ」とわかって、ニヤッってしてくれたら面白いなあとは思います。

■和本を広めることについて、古典を好きになってもらうには

ゴン:近年「和本リテラシー」といって、学会でも関連の発表があったり、また、古典を高校生に好きになってもらおうというシンポジウムも開かれたりと、和本や古典を好きになってもらおうという動きがあるのですが、大谷さんは和本や、古典を学生に親しんでもらいたいという時、どんなことが大事だと思いますか?

大谷さん:二つを混ぜて考えるとよくないと思うので、まず和本に関してのことでいいます。和本は高すぎると思います。さっきお話したように、1000円、2000円もあれば、本よりも必要なものに使いたいという人のほうが多いですから。でも和本はすごく面白いものだから、私は放っておいてもこの文化がなくなるとは思えないですね。

 むしろ進んで和本の面白さを広めていくと、1000円、2000円では面白いものをあまり買えなくなってしまうと思うんです。そうなると次に1万円、2万円、5万円、10万円の本を買うようになれるのかと言ったら、それはその人の経済状態にもよると思いますが、そうでない人のほうが世の中には多いと思います。それなら、和本は図書館であったり、公共機関であったり、もしくはお金持ちの好事家でもいいから、その人たちが面白いと思って収蔵してくれるだけでいいと思います。それでもほしいと思って買う人を否定するわけではないですけれど、世の中一般の人が和本を買うというのと、和本の文化がどんどん広がっていくっていうのは、5年、10年、もっというと100年単位でもできることだとは思えないんですよね。

 歴史から考えると、本というものはもともととても高価なもので、江戸時代でも古本屋さんはあったけれど、そこにある本は誰もが手に入れられる値段ではなかったんですよ。それが、江戸後期になって、草双紙や、往来物(おうらいもの)の薄いものなどで、多くの人の手に入るようになった物もあるけれど基本的には、江戸時代においても本というのはめちゃくちゃ高いものでした。

 ですから、誰もが和本を手に取れるような状態っていうのは、健全な状態だとはあまり思えないです。ゴン君がやっているこの企画が悪いことだとは思わないし、面白いとは思うけれど、ゴン君がうちに本を見に来て、本を買っていってほしいかというと、あまりおすすめはできないなっていう気持ちです(笑)。

 古典に関しては、好きな人が研究して読み続ければいいのではないかと思っています。実は私も古典文学は苦手で、古典文法すらまともに知らないんですけれど、いい本が世の中にたくさんあって、自分の手元にもあって、こんないい本になにが書いてあるんだろうと思うから、必要にかられてみっちり読んでいて論文も書いていますけれど、私は別に古典を好きじゃないんですよね。

 なので、どうして古典を大事にするっていうことを世の中にあんなに宣伝しなければならないのかが、よくわからなくって。もちろん「古典を全滅させるぞ」っていう過激な意見は絶対やめてほしいと思いますけれど、でも、面白いと思った人がやり続ければいいと思います。それが過去のものになったということには、絶対なにか理由があるはずです。多くの人が読まなくなったから古典になったのか。ただ時代が経つだけでは古典にはならないと思いますね。

 古典をつぶしてしまえっていう人たちの運動は嫌ですけど、とはいえ、古典を読んで!読んで!っていうのも、なんか違う気がするんですよね。面白いと思ったら勝手にやるだろうと思っています。

■「和」本と「朝鮮」本。韓国ではなんと言うか

ゴン:最後の質問になりますが、私は「和本(韓国発音だとファボン)」という言葉を韓国でどう説明すればいいかとか、「朝鮮本(韓国発音だとチョソンボン)」の日本語発音である「朝鮮(チョーセン)」は韓国だと忌み嫌われているので、もし和本を韓国で紹介するとなったらどうしたらいいか悩んでいます。もちろん、韓国でも日本文学などの研究者であれば「和本」や「朝鮮本」に違和感はないと思うのですが......。

大谷さん:「古典籍」が駄目だったら、日本で刷られたものだから「和刻本」でもいいと思います。刷った国というか、版木を作った国の名前をつけても、私は別に中身が共通するなら、朝鮮のものなのか、日本のものなのか、中国のものなのか、和本を紹介する時にそこって大事かな?と思います。よい本であることは見ればわかりますし、おいしい本ですよって言えばいいと思います。

 金時徳さん(国文学研究資料館総合研究大学院大学で博士号を取得後、現在ソウル大学奎章閣韓国学研究員 HK教授)はなんて言っているんでしょう。私と金さんはほぼ同世代で、金さんが日本に留学していた時から知っているんですが、韓国に戻って、朝鮮半島で印刷されたものに関して啓蒙活動するのが大変だっていうのは、彼から聞いたような気がします。ゴンくんはどうして和本の面白さを知らしめたいんですか?

ゴン:遠い未来のことではありますけれど、もし私が韓国の大学で講義をしたり、メディアに出た時に、和本をそのまま音読みで「화본(ファボン)」と言えば、韓国で「本」を指す単語の「책(チェク)」とも異なりますし、「和」をどう説明するかという問題もあるので。

 今の韓国だと私の知る限り「和本」を意味するような単語がなくて。もちろん日本文学を研究する人は「和刻本」で理解できると思いますけれど、「和刻本=和本」で果たしていいのだろうかと思いまして。

大谷さん:「和刻本=和本」ではないですが、和刻本の多くは和本ですよね。漢籍を日本で刷ったものは和刻本ですし、朝鮮半島で出版された、またはされてないものもありますが、それを日本で版木に彫って開版したものも和刻本ですね。でも、こうしたものは和刻本のなかでほんの数パーセントですので、残りの九十数パーセントは和本と和刻本をニアリーイコールとして、その数パーセントの話をする時以外には使えると思いますね。

 最近の話ですけど、鶴見大学の名誉教授の高田信敬先生が『文献学の栞』(武蔵野書院、2020年)という本を出されています。高田先生は数年前に定年退職されたばかりの方なんですけれど、高田先生が初めて使い始めて、今、和本では当たり前に使うようになった単語もあります。たった4、50年前の話です。高田先生の本のコラムを読んで「ええっ!これ高田先生の造語だったんだ!」ってびっくりしましたね。だから、ない言葉は、君たち若い人が若い時から使い続けるしかないと思います。君がいま始めたら生きてる間に、君の付けた名前で本が呼べるようになりますよ(笑)。

ゴン:インタビューは以上です。本日は本当にありがとうございました。


★★★★★★★★★★★★★★★

今日の和本日記

 大谷さんのお話は面白すぎて、聞いているだけであっという間に時間が経っていました。

 大学の先輩にこんなにも面白く尊敬できる方がいたなんて、もっと学科でOB・OGの方と交流できる場が増えたらいいのになと思いましたね。また、私自身は廣木先生に教わったことはないのですが(専門が近世であるのもあって)、上記の松本麻子氏のあとがきを読むと、廣木先生に会えなかったのが残念な気持ちになりました(廣木先生は2017年3月に退職。私は2018年4月に入学しました)。改めて思うと本当に青山学院大学の、こと日本文学科に関しては、素敵な先生と環境に恵まれている場所で、学友においても必ず一人飛びぬけて優秀な人がいるので(私ではありません。もちろん)、日本文学を学ぶにはこれ以上ない良い大学だと思いました。

 「本をぺらぺらとめくりながらお酒を飲む」「本は自分の娘のようなもの」「本と家族どちらが大切か考えてしまう」というお話からも、ここまで好きを極めた方に私は人生で会ったことがあるのだろうかと考えさせられました。自分はこれから西鶴を含んで東アジアの文学交流などにどれくらい情熱をそそぐことができるのだろうかと思うと、今の自分が恥ずかしく思えます......。

 私も日本語は本当に好きで15年以上続けてきていますが、その度合いが違うというか、「好きこそものの上手なれ」という日本で有名なことわざは、実は大谷さんに会った偉い日本語の学者の方が作った造語ではないだろうかと思うほど(そんなことはないですが)、本に対する愛が話を聞いていてしみじみ伝わってきました。

 和本は高いというお話がありましたが、以前古本屋で2000円で買った合巻(ごうかん)の端本を大学の先生に見せたら、「私が学生の頃は500円ほどだったのに......」と話されていたのを思い出しました。これからは安い値段で買える状態のよい和本はどんどん少なくなっていくだろうし、もしかしたらすでにその時代に突入しているのかもしれません。

 とはいえ、振り返ってみると、私は大谷さんのように「本そのものが好き」というほどではないですが、1000円の牛丼と1000円の面白そうな和本であれば、その本が棚の上においてあって、またはいつものかばんに入っていて、いつでも開けるような状態であるなら、牛丼よりも和本を選んでしまいますね(笑)。読めるか読めないかは重要ではないけれど、いつか時間をかけてゆっくり読んでいけばいいというマインドで購入しちゃいます。

 古典は好きな人がやり続ければいいというお話も、私はとても明快な答えだと思います。もちろん、古典の面白さを伝えることも重要ですが、すでに古典を好きな人が興味をなくして、古典が嫌いにならないようにする環境も必要ではないでしょうか。

 今年はコロナによってフェアに出展できなかったということでしたが、来年は大谷さんのお店に行ってみたいと思います。年に3日しかないのであらかじめ準備して、戦闘力ならぬ和本力を鍛えて挑まないといけないと考えています。

 さて、11月12日(金)、13日(土)には、東京古典会で令和3年度の「古典籍展観大入札会」が開かれます。一冊10万円以上するような本を手に取って見ることができるということで、和本好きな私としては願ってもないことですね......!行くしかありません!(笑)。どんな本に出会えるかわくわくしますね。乞うご期待!