ここからはじめる日本のデジタル・ヒストリー―Tokyo Digital Historyの立ち上げによせて○小風尚樹(東京大学西洋史学D3 ・ 歴博研究協力者、 近代イギリス外交史)

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ここからはじめる日本のデジタル・ヒストリー
―Tokyo Digital Historyの立ち上げによせて


小風尚樹

・東京大学大学院人文社会系研究科西洋史学専門分野博士課程3年
・日本学術振興会特別研究員DC2
・国立歴史民俗博物館研究協力者


はじめに
 二〇一八年四月十五日、東京大学本郷キャンパスにて、2018 Spring Tokyo Digital History Symposiumが開催された。主催団体は、筆者が代表を務めるTokyo Digital History(以下ToDH)である。同シンポジウムの全体像を把握できる開催報告については、すでに東京大学学術機関リポジトリにて公開しているので★注[1]、内容に深く立ち入ることはしない。それよりもむしろここでは、ToDHというコミュニティを立ち上げるにあたっての背景やコンセプトを中心に記したい。なぜなら、四月に開催したシンポジウムは、それ自体で完結するイベントではなく、大きな構想のうちの一つのピースとして位置づけられるからである。

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日本に少ないデジタル・ヒストリーの実践例
 近年、アメリカをはじめとする欧米の学界では、デジタル・ヒストリー(デジタル技術を活用した歴史研究)の実践例が豊富に蓄積されてきている★注[2]。二〇一五年にはアメリカ歴史学協会が、そのようなデジタル・ヒストリーの研究成果をどう評価するか、より具体的には、歴史学のテニュア職の審査にあたってデジタル・ヒストリーの実践を評価する枠組みをどのように構築すれば良いか、という点に関するガイドラインを提案した★注[3]

 これに対し日本国内では、歴史研究のために構築されてきている研究基盤としてのデジタル・アーカイブの量に比べて、デジタル・ヒストリーの実践例は少ないと言わざるを得ない。ここで想定しているデジタル・ヒストリーの実践例とは、オンライン上で閲覧できる史資料の画像などを「目で見て」理解するにとどまらない。提供されているデータの形式や来歴にまで注意し、情報学をはじめとする分野の知見を分析手法として応用しようとするものを指す。もちろん、社会経済史や歴史地理学など、データの扱いと史学上の議論の親和性が高い研究領域も存在し、そのような分野ではわざわざ「デジタル」という接頭辞を付けない。つまり、歴史学の中でも、デジタル技術を研究上の手法として定着した分野と、そうでない(あるいは積極的には活用されてこなかった)分野が存在するのである。後者の分野は、いわゆる文献史学を想定されたい。

 この文献史学においては、よく指摘されるように、オンライン上の史資料を歴史研究に活用するには、慎重な姿勢が要求されてきた★注[4]。しかしながら、このように慎重な姿勢が求められる一方で、いったい具体的に何を注意すれば良いのか、十分に情報が共有されてきたとは言えないように思われる。

コミュニティ立ち上げのコンセプト
 そこでToDHでは、デジタル・ヒストリーを実践するにあたって、どのような点に留意すれば良いのか、その上でオンライン上の史資料をどのように活用し得るか、具体的な事例とともに議論を進めたいと考えた。以下に記すのは、このコミュニティ立ち上げの企画書である。

本ワークショップは、4つの目的を設定する。

1 歴史研究におけるデジタル技術活用の具体例を模索すること
2 歴史研究のための史資料を提供するアーカイブズ学の成果について、デジタル技術を用いた情報提示のあり方を模索すること
3 データ利用者としての歴史研究者、アーキビスト・ライブラリアンなどデータ提供者、そして両者をつなぐエンジニアの学際的な交流、情報共有の場とすること
4 歴史研究のための史資料情報の提供からその利用まで、これら一連のプロセス自体を学際的な議論の対象とし、オープンサイエンスの流れの中に歴史研究を位置づけることの意義を考察するために、ワークショップメンバーによる共同研究の成果を発表すること

 近年、デジタル・アーカイブの整備により、多くの歴史研究者は研究対象地域に赴かずとも簡単にWEBで史料を入手できるようになった。しかし、しばしば指摘されるように、デジタル情報の活用について言えば、研究者はそれら史料の入手段階にとどまっていることが多い。そこで、それらのデジタル情報を十分に活用した定量的分析手法によって、定性的分析をいっそう深めるための方法論を模索することを第1の目的とする。

 次に、これもしばしば日本国内の状況として指摘されるのは、データ利用者としての歴史研究者に比べ、研究に必要な史資料の管理・整備・情報公開に携わるデータ提供者としてのアーキビストを養成する仕組みが未成熟で★注[5]、両者の対話がなかなか進んでこなかったことである。しかし、そもそもアーカイブズ学の成果は歴史研究の基盤をなすものである。すなわち、過去の情報を歴史研究の分析対象たらしめるために、史料の来歴などのコンテクスト情報を史料目録・史料解題として結実させてきたし、それらの成果をコンピュータ可読形式で提供するための国際標準も整備されてきた★注[6]。そこで、こうしたアーカイブズ学の成果を歴史研究にいかに組み込むか、そして史料のコンテクスト情報をデータ利用者に十分に伝えるためのWEBユーザ・インタフェースはどうあるべきか、といった議論の機会を設けることが第2の目的である。

 これまで述べてきたように、データ提供者とデータ利用者の交流の場を設け、それぞれの学問分野の伝統的な作法にのっとったデジタル表現のあり方を模索するためには、エンジニアの協力が必要不可欠である。データベースの構築やテキストマイニング、画像・パターン認識や統計的なデータ解析、そしてデータ・ビジュアライゼーションといったフィールドの知識・技術は、歴史研究の議論を一挙に加速させる可能性がある。歴史研究に携わる者のニーズに応じて、エンジニアの協力のもとデジタル技術の適用可能性を探るとともに、ワークショップにおいて歴史研究者がデジタル・ヒストリー関連技術の習得を目指すことが第3の目的である。

 そしてこうした学際的な議論を経て、複数回行うワークショップの成果として、希望者による研究発表会を設ける。そこでデジタル人文学に携わる第一線の研究者たちからの批判的検討を仰ぎ、更なる議論の発展を目指すことが第4の目的である。データ提供・データ利用それぞれのプロセスにおいて具体的で学際的な議論が展開されることが望ましい。

これまでの歴史学の成果との対話に向けて
 以上のようなコンセプトをもとに、ToDHはこれまでさまざまな活動を行ってきた。二〇一七年九〜十二月に計12回開催した「歴史研究者のためのPython勉強会」、二〇一七年十一・十二月に開催したアイディアソンやワークショップ、二〇一八年二月に開催した「歴史研究者のためのTEI入門セミナー」、そして二〇一八年四月に開催したシンポジウムである。

 いずれも、デジタル人文学の分野において目新しい技術を扱ったものではないが、これまでの歴史学の成果との対話を意識したものである。ToDHの取り組みは日が浅く、デジタル・ヒストリーの画期的実践例を提示するには継続的な活動・議論が必要である。文献史学の分野においても、「デジタル」という接頭辞がわざわざ付けられなくなるほどに、研究手法として定着することを目指していきたい★注[7]

 最後に、ToDHがこれまで継続的に活動を続けてこられたのは、二〇一七年九月から歴史研究者有志が運営するHistorians'Workshopの後援を受け始めたことが大きい。このHistorians'Workshopは、東京大学の付属研究所CIRJE(日本経済国際共同研究センター)を活動拠点とする有志団体であり、歴史研究の成果を広く国内外に発信していくためのスキルやノウハウを共有することを目的に、多角的に活動を展開しているコミュニティである★注[8]。このHistorians'Workshopをはじめ、シンポジウムの後援をしてくださった文学通信にもこの場を借りてお礼申し上げたい。

【付記】
ToDHの運営や勉強会にご関心がある方は、以下の連絡先詳細をご利用ください。
ご連絡をお待ちしております。

ブログ:https://historiansworkshop.org/category/other-event/tokyo-digital-history/
メールアドレス:tokyodigitalhistory@gmail.com
Twitter:@DHistory_Tokyo

▶注
[1]Tokyo Digital History編「デジタル・ヒストリー入門:2018 Spring Tokyo Digital History Symposium開催報告」東京大学学術機関リポジトリ、二〇一八年。
http://hdl.handle.net/2261/00074493
[2]例えば次を参照。Arguing with Digital History Working Group, Digital History & Argument White Paper, Roy Rosenzweig Center for History and New Media, 2017,
https://rrchnm.org/argument-white-paper/
[3]American Historical Association, 'Guidelines for the Professional Evaluation of Digital Scholarship by Historians', 2015,
https://www.historians.org/teaching-and-learning/digital-history-resources/evaluation-of-digital-scholarship-in-history/guidelines-for-the-professional-evaluation-of-digital-scholarship-by-historians
(菊池信彦・小風尚樹・師茂樹・後藤真・永崎研宣訳「歴史学におけるデジタル研究を評価するためのガイドライン」東京大学学術機関リポジトリ、二〇一六年。
http://hdl.handle.net/2261/59142
[4]菊池信彦「西洋史DHの動向とレビュー:西洋史学はウェブ情報をどのように位置づけているのか:『研究入門』を題材に」『人文情報学月報』46、二〇一五年。
https://www.dhii.jp/DHM/dhm46-1
[5]佐藤勝巳「《シリーズ 歴史家とアーキビストの対話》公文書管理法から見えるもの」『歴史学研究』954、二〇一七年、二〜七頁。
[6]例えば次を参照。国文学研究資料館編『アーカイブズの構造認識と編成記述』思文閣出版、二〇一四年。
[7]Susan Schreibman, Ray Siemens, & John Unsworth, eds., A New Companion to Digital Humanities, Wiley-Blackwell : Chichester, 2016, p. xvii-xviii において、近い将来、デジタル人文学の「デジタル」という接頭辞が冗長なものになることが予見されている。われわれは、この動きに主体的に関わっていきたい。
[8]Historians'Workshop 歴史家ワークショップ。 https://historiansworkshop.org/