第6回 江戸の独学術~人々はいかなるツールで学んだか?~|【連載】江戸の勉強術(古畑侑亮)

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第6回
江戸の独学術
~人々はいかなるツールで学んだか?~


■独学の時代?

皆さんは、何か自分で勉強しているものはありますか?

外国語や料理、資格試験や投資、あるいはAIについて学んでいる方もいらっしゃるかもしれません。

コロナ禍の中では、巣ごもり生活が長引いたこともあってか、独学で勉強や新しい趣味を始める人が続出しました。独学本が一部でブームとなり、読書猿さんの『独学大全』が20万部を超える大ベストセラーとなったことも記憶に新しいのではないでしょうか。読者猿さんが顔も本名も非公開の作家であることに象徴されるように、匿名の著者やその分野の専門ではない方が筆を執っているところに令和の時代の特徴があると、フリーライターの永江朗さんは指摘しています。

また、第0回「令和の勉強術ブーム」で触れたように、私たちはよい企業に就職し、よく生きるために、望もうと望むまいと「勉強」と生涯付き合っていかなければなりません。現代は、学校や大学を出てからも自ら学び続けることが求められている時代なのです。

■努力と独学の人といえば?

ところで皆さんは、二宮金次郎の銅像を見たことがありますか?

私が小学生だった頃は、まだ校庭に立っていました。テレビで放送されていた「学校の怪談」で校庭を駆け回る金次郎像を見てから、暗くなると怖くて直視できなくなったのを覚えています(当時から妖怪が大好きだった割に、ホラーは苦手)。

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❶二宮金次郎像(報徳二宮神社境内)Photo by Taeko Furuhata
2025年3月15日に家族旅行で小田原を訪れた際に撮影。
「理想の読書人」のシンボルとして八重洲ブックセンター本店の入口に立っていた銅像が、再開発に伴う本店の営業終了のため、2023年に移設されたとのこと。

しかし、1970年代以降、児童が像の真似をして歩きながら本を読むと交通安全上問題があることから徐々に撤去されるようになりました。最近は、歩きスマホを増長する(?)ことなどもその理由となっているようです。

学校を去りつつある金次郎ですが、教科書では幕末に地域おこしのリーダーとして荒廃した農村の復興に尽力した二宮尊徳(1787~1856)として登場しています。彼は、小田原藩の家老・服部十郎兵衛の若党となった26歳のときに『経典余師(けいてんよし)』なる書物を買って、独学に励んだとの話が伝わっています。

■『経典余師』とは、何か?

尊徳が読んだ『経典余師』とは、いったいどのような本なのでしょうか?

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❷埼玉県立文書館所蔵『経典余師 孝経』(井上家文書3450)見返し
冒頭の凡例には、本のコンセプトとトリセツが明記されている。本文も含め、漢字にはすべてルビが振られているため、ひらがなさえ読めれば、素読の勉強ができてしまうという優れもの。旧蔵者の井上家は、埼玉県入間郡石井村(現坂戸市)にて薬屋、質屋など営む。幕末から明治にかけては、国学者を輩出した。

寛政の改革で知られる老中・松平定信(1759~1829)が、家臣である水野為長(1751~1824)に世情を調査させた『よしの冊子(そうし)』には、次のような風聞が書き留められています。

経典余師と名付、四書ヲ平ガナニてざつと解申候渓大六(ママ)と申ス讃岐国ノ浪人儒者被召出候サタ御ざ候よし、右経典余師、奥筋ノ不学ノ人賞翫仕候由、右大六此節御当地へ罷出逗留仕罷在候由

ここで名指されている讃岐国(現香川県)の浪人「渓大六」とは、渓百年(たに ひゃくねん/代六/1754~1831)のことです。江戸や関西を遍歴、『論語』をはじめとした四書をひらがなでざっくりと解説する『経典余師』を刊行後に鳥取藩の藩儒として迎えられました。兵学にも通じ、荻野流砲術の開祖となるなど文武両道の人だったようです。それにしても大奥の「不学ノ人」も独学本に飛びつくとは、どのような時代だったのでしょうか?

■危機の時代には、本を読め

天明の飢饉後の日本は、食糧難のために各地で一揆や打ちこわしが多発、さらにはロシア船やイギリス船が列島の沿岸に現れる「内憂外患」の時代でした。NHKの大河ドラマ「べらぼう」でも描かれていたところですが、揺らいだ国内の体制を立て直すべく、定信は武士に学問を奨励していきます。

果たして、その効果は?...たとえば『よしの冊子』の天明8年(1788)2月には、次のような記述があります。

去年より学問はやり候ニ付、書物値段段々引上ゲ、四書ノ唐本抔百疋位仕候が壱両位ニ相成候由。詩経集注抔ハどの書物屋ニも切レ候て無之候由。

本の価格が高騰し、四書も4倍の値段となり、『詩経集注』などはどこの本屋でも払底するほど...空前の勉強ブームの時代がやってきたのです。

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❸恋川春町『鸚鵡返文武二道』3巻 (1789)(国立国会図書館デジタルコレクション)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9892636
寛政の改革を痛烈に茶化したことから、絶版処分を下された黄表紙。写真では、須原屋伊八の店頭が描かれる。左端には『大学或問』と並んで『経典余師』の看板が下げられており、その流行ぶりがうかがえる。

■教師のための教本として―群馬の老農・船津伝次平の場合―

『経典余師』は、いったいどのような人々に読まれていたのでしょうか?

上野国勢多郡原之郷(現群馬県前橋市)で手習塾・九十九庵(つくもあん)を開いた3代・船津伝次平(1832~1898)の「家財歳時記」の「諸本覚」を見ると、『経典余師』シリーズを断続的に購入していることがわかります。

嘉永二年(1849) 詩経余師 15匁
安政四年(1857) 四書序余師 300文 書経余師 22匁
文久元年(1861) 古文前後集余師 金1分100文

伝次平は、訓点のない白文の経書も購入しており、子どもたちに教える正しい素読の読みを確かめるために『経典余師』を利用したと推測されます。

鈴木俊幸さんは、「地方の手習・素読師匠の旧蔵書にも『経典余師』は豊富に含まれている。素読の需要が高まるに応じて、ますます塾の師匠にとっても重宝な書籍となっていったものなのであろう」と考察しています。

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❹埼玉県立文書館所蔵『経典余師詩経』巻四(井上家文書3534)挟み込み紙
上段の枠内に書き下し文、下段に太く書かれた文字が本文、続いて細字で書かれるのが解釈という3部構成になっている。本書には、洋紙の断簡が複数枚挟み込まれていた(インクから推測するに大正以降ヵ)。画像の紙片には、「小雅」の「采薇(さいび)」第3章の「我行不来」というフレーズが「出征ノモノ」の言葉なのか、「故郷ニ居ルモノ」なのか疑問が書き付けられている。「ふたゝび古里へかへり来などの心ハあらじとなり」との解釈に記主は納得できなかったようだが、近代以降も『余師』が使用されていたことがうかがえる事例である。

■自己啓発本とセットで─武田の「浪人」依田宗二の場合─

甲斐国山梨郡下井尻村(現山梨県山梨市)の浪人・依田宗二も読者のひとりです。

依田家は、先祖が武田氏に仕えた由緒を持ち、浪人(郷士)身分を与えられた家でした。名主・長百姓を元文年間まで勤め、その後は地主経営に力を注いでいます。

寛政9年(1797)8月からの書籍貸借の記録『書物貸借控日記帳』(国文学研究資料館所蔵)をのぞくと、宗二が『経典余師』とともに石田梅岩『斉家論』や『道二翁道話』といった心学書を貸し借りしていることがわかります。

『道二翁道話』全6篇は、心学道話の創始者・中沢道二(1725~1803)の口演集です。道二は、武士や町人が日常生活のなかで心がけるべき教訓をわかりやすく説き、売れっ子の講師となっていました。

『経典余師』は、なんと現代でいうところの自己啓発本とセットで読まれていたのです。

■嫁入り道具とともに─井上頼定の後妻・三上登那美の場合─

安芸国山県郡(広島県)東山八幡神社の蔵書を調査した鈴木理恵さんは、神主・井上頼定のパートナーとなった三上登那美(となみ)が『経典余師』四書之部・孝経之部を嫁入り道具として実家から持参したことを明らかにしています。

先妻を亡くし悲嘆に暮れていた頼定に、友人が後妻としてすすめたのが登那美でした。その「内用書」には「年二十四歳、器量相応、発明ニも有ルと申事、四書位ハ読ルと申事」と記されています。おそらく彼女が教養を身に着ける上で『経典余師』が一役買ったのではないでしょうか。

『経典余師』は、女性も含めた江戸の人々に向けて学問の世界への門戸を大きく広げたのです。

■ひとりで詠みたい

『経典余師』によって漢語・漢文の知識を身に着けると、今度は漢詩を詠みたくなるものだそうです。

ちなみに筆者は、2018年頃から都内の博物館で開かれていた漢詩・漢文の勉強会に通っていました。しかし、なかなか「読める」ようにならず、新型コロナウイルスの感染が拡大する中での中断、オンライン化などもあって通うのをやめてしまいました(そろそろ勉強を再開したいと思っているところです)。

そんな人々へ向けた漢詩の独学本、それが『詩語砕金(しごさいきん)』と『幼学詩韻』です。

漢詩には作法があります。平仄(ひょうそく)を合わせることと、韻を踏むこと。各句の構成要素に二字の詩語と三字の韻語があります。漢詩らしい格調の名詞である詩語に、それと平仄の合った三字の句末の言葉である韻語を取り合わせると句が出来るのですが、韻語の最後の漢字は、他の句と音を揃えなくてはなりません。

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❺埼玉県立文書館所蔵『幼学詩韻』(1802)(小室家文書2359)見返し
第4回「江戸のノート術」で紹介した5代小室元長は多くの漢詩文集を残しているが、彼も独学本を多用していたようである。小室家文書に残された『幼学詩韻』の初丁欄外には、平仄を示す丸印が朱書きされている。

詩語を分類して並べたのが『詩語砕金』で、それに取り合わせる韻語を一覧にしたのが『幼学詩韻』です。二つの本を突き合わせて、同じ詩題に合うことばを平仄の作法からはずれないように選んでくれば、五言句のできあがり(七言は詩語を二つ選ぶ)。この2冊の版種をすべて集めた鈴木俊幸さんによれば、それぞれのバリエーションとともに大変な売れ行きであったようです。

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❻埼玉県立文書館所蔵『幼学詩韻』(1802)(小室家文書2359)
中ほどのページには、2字の漢語2つと3字の韻語が列記された断簡が挟み込まれていた。七言絶句をつくろうとしていたのだろうか。

■明治を迎えてもなお

漢詩独学本の勢いは、元号が明治に替わっても衰えることはありませんでした。

詩語二文字と韻語三文字を上下に配し、『詩語砕金』と『幼学詩韻』の2冊を引き合わせなくても簡便に詩句をつくれる『幼学便覧』という作詩書が幕末に出版され、両書は次第にこれにとって代わられていきます。

幕末に松山藩(現愛媛県)の藩士の家に生れ、俳句、短歌の革新運動を進めた正岡子規(1867~1902)もこれを使って勉強していたようです。

引きつゞきて土屋久明先生の処へ素読に行きしかば 終に此先生につきて詩を作るの法 即ち幼学便覧を携へ行きて平仄のならべかたを習ひしは明治十一年の夏にて それより五言絶句を毎日一ッづゝ、作りて見てもらひたり 斯くの如き者数月にして中絶せしが 後数月を経て又もやはじめたり
(正岡子規『筆まか勢』第一編「哲学の発足」)

鈴木俊幸さんは、独学本による作詩ブームを「多くの普通の人々が漢詩表現の方法を会得して作り手として文芸の世界に入り込んでいるのです。文学史ではいっさいこういうことに触れませんが、これこそ江戸時代の達成とみてよい」と高く評価しています。

■学び直しの時代に

江戸時代も後期となると、文字の読み書きだけでは済まされない世の中となっていきました。とくに、寛政の改革による上からの学問奨励と「実学」重視の風潮は、武士に留まらず様々な階層へと影響を与えていきます。そして、時代の変わり目における投機性を上手くつかんだ渓百年あるいは書肆によって独学シリーズ『経典余師』が陸続と刊行されていったのです。

翻って現代の日本社会においては、平均寿命の伸びと比例するかのように定年も年金支給開始年齢も引き上げられ、終身雇用も過去のものとなる中、幾度かのキャリアチェンジを経ないと人生を全うすることができないとまで言われつつあります。

そんな中、リカレント教育リスキリングの必要性が叫ばれていますが、大学にせよ、企業にせよ、社会人が大学に戻って学び直せるような制度の整備は、未だ一部に留まっています。制度がすぐには変わらないことを考えると、当面は学校に行かなくても学べる独学ツールの開発・普及が求められるでしょう。その点で、鈴木俊幸さんが「学校的な機関に必ずしも拠らずして達成した、江戸時代の学びの豊熟」と高く評価する初学者向けの独学本の盛行から学べるものは多々あるのではないでしょうか?

■人文学書を読みこなすために

リカレント教育やリスキリングにおいては、工学系や情報学系の知識が前提となっています。それに対して江戸の人々が求めたのは、人文学系の知識でした。

個々人の心の問題に注目して書籍を使った歴史研究を続けてきた若尾政希さんは、江戸時代を「書物の時代」であるとともに「心の時代」の始まりであると意義づけています。戦争がなくなり、平和な時代になっていくと、人々は心を治められないことに悩み始めました。悩みと向き合うために手をのばしたのが教訓書や心学書であり、それらを読み解くためにも独学本が求められたのです。生きづらい現代も「心の時代」が続いているとの若尾さんの指摘を踏まえると、それら人文学書を読みこなすためのリテラシーを身に着けられるハウツー本ももっと刊行されてよいのではないでしょうか?

■もはや学校は、いらない?

一方で、コロナ禍の中でのオンライン授業やリモートワークの浸透により、学校に通わなくても多くのことを学ぶことができることが明らかとなりました。オンラインの学習ツールの発展も相まって、独学でほとんど学べてしまう(かに見える)現代において、学校や大学の存在意義はどうなっていくのでしょうか?

また、『経典余師』を使いこなすためには、ひらがなが読めなければなりません。江戸時代の人々は基本的な読み書きをどこでどのように学んでいたのでしょうか?次回は、子どもたちが通った寺子屋での教育をのぞいてみたいと思います!


■参考文献
正岡子規『子規全集』第10巻(講談社、1975年)
高橋敏『近世村落生活文化史序説 上野国原之郷村の研究』(未来社、1990年)
山本英二「甲斐国「浪人」の意識と行動」(『歴史学研究』(613)、1990年)
鈴木俊幸『江戸の読書熱 自学する読者と書籍流通』(平凡社、2007年)
鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』(塙書房、2012年)
読書猿『独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55の技法』(ダイヤモンド社、2020年)
読書猿『独学大全公式副読本 「鈍器本」の使い方がこの1冊で全部わかる』(ダイヤモンド社、2021年)
古畑侑亮「明治初年における国学者の文献考証と遺物認識―井上淑蔭の石剣研究―」(『考古学ジャーナル』(770) 、2022年)
読書猿・永江朗ほか『独学の教室』 (集英社インターナショナル、2022年)
高橋俊介『キャリアをつくる独学力 プロフェッショナル人材として生き抜くための50のヒント』(東洋経済新報社、2022年)
柳川範之『東大教授がゆるっと教える 独学リスキリング入門』(中央公論新社、2024年)
鈴木俊幸『本の江戸文化講義 蔦屋重三郎と本屋の時代』(KADOKAWA、2025年)
国文学研究資料館編『文体史零年 文例集が映す近代文学のスタイル』(文学通信、2025年)
若尾政希『書物の時代 読書がひらいた日本近世』(岩波書店、2025年)

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