葛綿正一『自然主義の構造と系譜 花袋から潤一郎まで』(文学通信)

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9月下旬刊行予定です。

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葛綿正一『自然主義の構造と系譜 花袋から潤一郎まで』(文学通信)
ISBN978-4-86766-097-3 C0095
A5判・上製・504頁
定価:本体13,000円(税別)


自然主義の問題をより鮮明にするための書。
これまで日本の自然主義文学は、あまりに歴史的コンテクストに縛られて解釈されてきたのではないか、自然主義の問題は時にはモデル論に還元され、人間化されてしまうに至っているのではないか――という問題意識のもと、自然主義を狭義の歴史主義から解き放ち、その可能性を考える。
神話と歴史の点で様々な豊かさを秘めた自然主義文学の言語の力を解き明かす。

第一部では田山花袋、島崎藤村、徳田秋声、泉鏡花をめぐって自然主義の物質的構造というべきものを浮き彫りにし、第二部では森鷗外、夏目漱石、志賀直哉、谷崎潤一郎をめぐって自然主義の批判的系譜を辿る。さまざまなテクストを横断しながら自然主義文学を考えていく。

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【著者紹介】

葛綿正一(くずわた・まさかず)

1961年 新潟県生まれ
1988年 東京都立大学大学院博士課程単位取得退学
現在 沖縄国際大学総合文化学部教授

〈主要論著〉
『源氏物語のテマティスム』(笠間書院、1998年)
『源氏物語のエクリチュール』(同、2006年)
『現代詩八つの研究―余白の詩学』(翰林書房、2013年)
『馬琴小説研究』(同、2016年)
『平安朝文学論―表象と強度』(同、2019年)
『宇治拾遺物語を読む―中世説話論』(同、2021年)

【目次】

序 自然主義、その法外な可能性

第一部 自然主義の物質的構造

【第一部は田山花袋と空気、島崎藤村と大地、徳田秋声と火、泉鏡花と金属をめぐって物質的構造とでもいうべきものを探っている。Ⅰでは「空気」をキーワードとして花袋作品における自然、家族、女性、時間、歴史について論じた。Ⅱでは「大地」と「空気」をキーワードとして藤村作品における主体化、放浪、閉塞、再生、歴史について論じた。Ⅲでは秋声作品における火の役割について検討し、すべてを「未解決のまま」にする散文的特質を論じた。Ⅳでは鏡花作品における制度、鉄道、系図、金属、書物をめぐって自然との入り組んだ関係について論じた。Ⅴでは国木田独歩における驚きと悲しみ、岩野泡鳴における響きと笑い、正宗白鳥における余所余所しさと鈍さについて論じ、自然主義の深さと広がりを示した。結び目に当たる小論では四人の作家の関係を整理しまとめた。】

Ⅰ 田山花袋における空気と表象

一 自然をめぐって―一九〇二~九年
二 家族をめぐって―一九〇八~一〇年
三 女性をめぐって―一九一一~一六年
四 時間をめぐって―一九一六~二七年
五 歴史をめぐって―一九一七~二三年
おわりに

Ⅱ 島崎藤村における大地と歴史

一 大地と主体化―『破戒』一九〇六年
二 大地と放浪―『春』一九〇八年
三 大地と閉塞―『家』一九一〇~一一年
四 大地と再生―『新生』一九一八~一九年
五 大地と歴史―『夜明け前』一九二九~三五年
おわりに

Ⅲ 徳田秋声における火と散文

一 初期作品における火の形象―一八九六~一九〇八年
二 火と『新世帯』―一九〇八年
三 火と『足迹』―一九一〇年
四 火と『黴』―一九一一年
五 火と『爛』―一九一二年
六 火と『あらくれ』―一九一五年
七 火と短篇―一九一七~三二年
八 火と『和解』―一九三三年
九 火と『仮装人物』―一九三五年
一〇 火と『縮図』―一九四一年
おわりに

Ⅳ 泉鏡花における制度と自然

一 制度と自然―一八九四~九九年
二 鉄道と自然―一九〇〇~六年
三 系図と自然―一九〇七~一七年
四 金属と自然―一九一八~二八年
五 書物と自然―一九二九~三九年
おわりに

Ⅴ 独歩・泡鳴・白鳥:自然主義の作家たち

一 国木田独歩―驚きと悲しみ
二 岩野泡鳴―響きと笑い
三 正宗白鳥―余所余所しさと鈍さ

小論 四人の作家を讃えて


第二部 自然主義の批判的系譜

【第二部では自然主義の批判者たちについて検討する。森鷗外と夏目漱石、志賀直哉と谷崎潤一郎は自然主義の性欲をめぐる決定論に反発している。それぞれ知性、倫理、情動によって自然主義の決定論を覆そうとするのだが、そこには別の自然主義が働いているように思われる。
 「日本の自然主義はあまり大した作物を生まなかつたが、硯友社のマンネリズムを掃蕩した点に於いて非常な功績があつた。鷗外にしろ、漱石にしろ、荷風氏にしろ、又後輩のわれわれにしろ、自然主義ならざる者も何等かの形で多少とも影響を受けた」と谷崎は記している(『「つゆのあとさき」を読む』一九三一年)。とすれば、それゆえに別の自然主義が存在するのではないか。森鷗外の批判的自然主義、夏目漱石の拡散的自然主義、志賀直哉の倫理的自然主義、谷崎潤一郎の倒錯的自然主義、そうした仮説を提出するのが第二部である。第一部とは異なり、ここでは歴史性が重視される。作家たちは、それぞれの形で近代というナラティヴに抗っているからである。】


Ⅰ 森鷗外の批判的自然主義―記号と国家

一 鷗外の自然主義批判―現代小説をめぐって
二 鷗外の批判的自然主義―歴史小説をめぐって
おわりに―記号と国家

補論 鷗外の翻訳小説―死者の復活
一 『諸国物語』の翻訳小説
二 『諸国物語』以外の翻訳

Ⅱ 夏目漱石の拡散的自然主義―非人情とテクスト

一 漱石の自然主義批判
二 汽車・落下・誕生―『それから』まで
三 落下・明暗・外地―『満韓ところどころ』以後
おわりに―非人情と彽徊

Ⅲ 志賀直哉の倫理的自然主義―偶然と歴史

一 『網走まで』と小説の構造―不機嫌から緊張・緩和へ
二 志賀と『実践理性批判』―夜空と動物
三 『暗夜行路』論―鉄道小説と倫理
四 線と面または言語の力学
おわりに―偶然と反復について

Ⅳ 谷崎潤一郎の倒錯的自然主義―崇高と歴史

一 『刺青』と小説の構造―筆記から崩壊へ
二 谷崎と『判断力批判』―数学・力学・崇高
三 『細雪』論―家庭の医学と崇高
四 筆記と崩壊―谷崎の前期・中期・後期

結語 自然主義と言語

あとがき