第0回 令和の勉強術ブーム~私たちはいかに学べばよいのか?~|【連載】江戸の勉強術(古畑侑亮) 

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第0回
令和の勉強術ブーム
~私たちはいかに学べばよいのか?~


■勉強術の時代? 

 幼稚園や小学校の「お受験」に始まって、中学受験、高校受験、そして大学受験。社会人になってからもスキルアップのための資格試験、株や起業のためのセミナー...令和の時代を生きる私たちは、よい学校に受かるため、よい会社に就職するため、あるいはよく生きるために「勉強」と生涯付き合っていかなければなりません。
 
 しかし実際には、どのように勉強してよいかわからないという方がほとんどではないでしょうか。それでも教科書を丸暗記して、最新の知識や技術をなんとか身に付けて、自分の市場価値を上げ、常に上へ上へと高みを目指さなければならない...そんな私たちの焦燥感を反映してか、インターネット上には勉強法を紹介するサイトがあふれ、書店の書棚には受験参考書や自己啓発本、ハウツー本が所狭しと並んでいます。

 また近年では、大学や研究機関に所属を持たない「在野研究」への関心が高まっています。大学の外あるいは周辺で自らの趣味や学問に打ち込んだ人々の営みが積極的に評価されるようになり、かつての大学(アカデミズム)VS 郷土史家(在野)という二項対立的理解も変わってきているように思います。さらに、自ら「在野研究者」を名乗る研究者も増えてきているようです。

 その背景には、大学教員や若手研究者をめぐる研究環境の悪化、また、そのような機関に所属せずとも研究を熱心に続ける人々の増加があると考えられます。さらに、大学を出て社会人となってから改めて学びたいという問題意識を持つようになった方や、仕事をリタイアしてから昔からやりたかったことに打ち込む中高年の存在も大きいでしょう。彼ら/彼女らは必ずしも大学や教室へ通う訳ではなく、ネットや本、そして自らの経験を頼りに「独学」でその道を究める人も増えています。ハウツー本のコーナーに分厚い背表紙で「独学の○○」「△△大全」と題した本が並ぶようになったのは、比較的最近のことと言えるでしょう。

 このように現代は、学校や大学の内外を問わず自ら学ぶことが生涯求められる時代と言えます。

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❶ 筆者の本棚の一角

■ちょっと自己紹介

 ハウツー本が氾濫する書棚の善し悪しを脇に置けば、私自身も勉強術は好きなほうです。書店や図書館へ行くとつい勉強術や仕事術の本を手にとってしまいます(そして、いろいろ実践してみるも、相性が悪いのか上手くいった例は少ないです...)。

 大学では歴史学を専門としています。卒業論文以来、江戸から明治へという転換の時代を生きた村のお医者さんや町の学者さんのコレクションを取り上げ、彼らが見たもの・読んだもの・書いたものを実際に紐解くことで、江戸の"知識人"の営みを追体験しようとしてきました。今振り返ってみると、どうすれば彼らのように学問や文化を究めて愉しむことができるのか、その方法を知りたいという欲求に突き動かされてやってきたような気もします。

 教育学や社会学の専門家ではないため、現代における教育や学問の状況を評価する術は持ち合わせていませんが、さかのぼって江戸時代の「勉強術」であれば考えることができるのではないかと思いました。

■江戸の勉強術から考える

 文書行政が発達した江戸時代は、読み・書き・そろばんができなければ不利益をこうむる社会となっていきました。そのため、江戸後期には私設の学校である寺子屋や私塾が全国に広がり、親たちは子どもたちに家を継がせるために熱心に教育しました。また、江戸時代は商業出版が初めて成立した時代でもあります。自ら学びたいという人々の欲求に応えた独学のためのハウツー本が多く出回り、貸本屋などを通して庶民層にもそれらを手にとる可能性が広まりました。

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❷『古文余師』後集之部四(架蔵本)
ベストセラーとなった自学自習教材「経典余師(けいてんよし)」シリーズのひとつ。中国古典を独学できるよう、上段に書下し文、下段には注や解説がほどこされている。「経典余師」については、第2回で詳しく取り上げる予定。

 一方で、大学のような公的研究・教育機関の整備は不十分であり、学問による立身出世は保証されていませんでした。そのため、新井白石のように幕府や朝廷に仕えた一握りの学者を除けば、ほとんどの学者は野にあり、生業に勤しむ傍ら、学問に打ち込んでいたのです。

 このように江戸時代の教育や学問は、現代の日本社会に通ずるところもあれば、異なるところも少なくありません。そんな近くて遠い時代の勉強術について探っていくことで、現代における学校や大学、学問のあり方を自明視せずに、〈今〉を相対化するまなざしを得られるのではないでしょうか。それと、勉強に追われる焦燥感を一時でも忘れて、気持ちが少し楽になるような連載になればいいなと期待しています。

 そこで、本連載ではあえてハウツーに注目し、江戸の人々の読み・書き・そろばんの方法について紹介していきます。"読み"では図書館術や読書会、"書き"ではノート術や国学、そろばんでは和算の他、医学や博物学についても触れられたらと考えています。

 素材については、歴史学だけでなく、文学やメディア史、教育史や思想史など、様々な分野の先行研究の成果の力を借りながら、私自身の研究もできるだけ盛り込むつもりです。専門分野の制約から19世紀の話が多くなります。また、幕末に生まれた人々は明治・大正の世も生きていますので、1868年で区切ることはせず、新聞や雑誌を読む人々も出てくる予定です。乞うご期待ください!

■参考文献
荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために 在野研究者の生と心得』(東京書籍、2016年)
荒木優太編著『在野研究ビギナーズ 勝手にはじめる研究生活』(明石書店、2019年)
礫川全次『独学で歴史家になる方法』(日本実業出版社、2018年)
鈴木俊幸『江戸の読書熱 自学する読者と書籍流通』(平凡社、2007年)
高橋敏『江戸の教育力』(筑摩書房、2007年)
読書猿『独学大全 絶対に「学ぶこと」をあきらめたくない人のための55』(ダイヤモンド社、2020年)
古畑侑亮「戦前における在野研究者の蒐集活動と史料認識―金沢甚衛の河川交通史研究―」(『大倉山論集』第67輯、2021年)

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