樽見 博『早く逝きし俳人たち 「祈り」としての俳句』(文学通信)

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8月下旬刊行予定です。

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樽見 博『早く逝きし俳人たち 「祈り」としての俳句』(文学通信)
ISBN978-4-86766-095-9 C0095
四六判・並製・304頁
定価:本体2,700円(税別)

優れた才能を持ち、輝くような作品を残しても、人々の目に触れる資料がなければ、またその人と作品を伝える語り部がいなければ、時の流れに埋もれていってしまう――

本書は「日本古書通信」を長年編集してきた著者が、膨大な数にのぼる俳句雑誌を通覧してきたなかで出会った、早世俳人たちの作品を、その初出誌にさかのぼり出来る限り紹介したものである。

「彼らの無念を晴らすべく、作品を見つけ出して後世に残してあげよう」と考えていた著者は、執筆しながらその認識を改める。「彼らは後世に名を残すために俳句を作り、あるいは評論や随筆を書いたのではない」。

「人が表現手段として俳句を選んだ時から、その人の俳句人生が始まる。生きることと俳句を作ることがイコールになる。生きた証ではなく、俳句を作り、批評し、随筆を書くことが生きていることなのである。そして彼らのように病により、あるいは戦争により死が目の前の現実となった時、それは祈りに変わる。」ついに「彼らと共にありたい」願うにいたる。

著者とともに振り返る、「早く逝きし俳人」たち。登場する俳人は、中西其十、田中青牛、大橋裸木、河本緑石、松本青志、和田久太郎、藤田源五郎、高橋鏡太郎、本島高弓、堀徹、鎌倉鶴丘、柏原鷹一郎など。

「早く逝きし俳人たち」の多くは戦争の犠牲者である。平和であれば埋もれずに済んだ。

【 優れた才能を持ち、輝くような作品を残しても、人々の目に触れる資料がなければ、またその人と作品を伝える語り部がいなければ、時の流れに埋もれていってしまう。
 私は古書業界に身を置いてきたので、様々な資料に出会う機会に恵まれている。俳句関係の資料は需要も少なく、時にはゴミとして処分されてしまうことも少なくない。ことに膨大な数にのぼる俳句雑誌などはその典型である。しかし、雑誌は時代を写す鏡であり、些末なことを含め出来事を後世に残す歴史資料である。時代を追いながら丹念に見ていくと、思わぬ出会いをすることが多い。その中でも惜しまれながら早世した俳人たちの追悼記事には殊に心惹かれるものが多かった。】......「はじめに」より

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【著者紹介】

樽見 博(たるみ・ひろし)

昭和29年、茨城県生まれ。法政大学法学部政治学科卒業。昭和54年1月、日本古書通信社に入社、故八木福次郎の下で雑誌「日本古書通信」の編集に携わる。平成20年4月より編集長。著書に『古本ずき』(私家版)、『古本通』『三度のメシより古本!』『古本愛』(以上、平凡社)、『戦争俳句と俳人たち』(トランスビュー)、『自由律俳句と詩人の俳句』(文学通信)等がある。俳句同人誌『鬣(たてがみ)』同人。

【目次】

はじめに

第一章 早く逝きし俳人たち

一、中西其十の跡
  ~山影のひろごりつきし枯野かな~

二、田中青牛を知る
  ~飛ぶ虻の陽に散らしたる花粉かな~

三、大橋裸木の仕事
  ~わが戻る蜩の田端をよぎり日暮里をよぎり~

四、河本緑石の世界
  ~海ははるかなり砂丘のふらここ~

五、松本青志の青春
  ~喜憂みな人の世にして麦熟るる~

六、アナキスト和田久太郎の俳句
  ~水洟や冷々として骨を滴る~

七、藤田源五郎の幻影
  ~母の背に枯木あかるし癒えたかり~

八、高橋鏡太郎の真景
  ~愛うすきひととあればよ遠花火~

九、本島高弓の真価 
  ~月明に 肋骨を焚く鬼となる~

十、堀徹の俳句と評論
  ~玫瑰や海のゆうぐれひとは言はぬ~

十一、鎌倉鶴丘と柏原鷹一郎―埋もれた早世俳人
  ~秋没日がくりとうごく田螺かな~ 鎌倉
  ~雪の天涯もなきかな風伯は~ 柏原


第二章 早く逝きし俳人たち――人は何故詠おうとするのか

1 自己紹介
2 『日本古書通信』と古書業界
3 古書業界の使命
4 『戦争俳句と俳人たち』『自由律俳句と詩人の俳句』について
5 早く逝きし俳人たちの存在
6 不思議な出会い
7 荻原井泉主宰『層雲』の早世自由俳人
8 実社会に出る前の早世
9 高柳重信の影で
10 俳句界における「学歴」の意味、通説・偏見の壁
11 まとめ

あとがき