横光利一文学会第26回研究集会(2026年9月6日(日)午後1時~午後6時、ZOOM)※要申し込み
研究会情報です。
●公式サイトはこちら
https://ykmt.jp/archives/1378
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※詳細は上記サイトをご確認ください。
日時 2026年9月6日(日) 午後1時~午後6時
会場 ZOOMによるオンライン開催(対面会場なし)
※非会員の方も自由に参加できます。
事前にお申し込みください。期限は9月5日(金)正午とさせていただきます。
〈プログラム〉
開会の辞
横光利一文学会運営委員長 重松恵美
自由研究発表
劉 新雲(龍谷大学大学院)
横光利一「街の底」論――未来派芸術と「象徴化」――
梁 俊(一橋大学大学院修了)
横光利一の一九三〇年短編小説における「監視」として作動する国家権力
――「高架線」「鞭」を中心に――
特集 横光利一と〈欠乏〉
【発表】 十倉優真(同志社大学大学院)
横光利一「春は馬車に乗って」における「隔離」の問題
――自宅療養の場としての「家」に着目して――
【発表】 大川武司(会社員)
たかが米、されど米――横光利一「夜の靴」を中心に――
【講演】 李 承俊(世宗大学)
疎開を語る、身体が語る――横光利一から「内向の世代」へ
【ディスカッション】
ディスカッサント 位田将司(日本大学)
閉会の辞
横光利一文学会代表 中沢 弥
特集趣旨
私たちは今、物資欠乏のなかにいる。石油製品の流通不安は「ナフサ・ショック」として実体化し、印刷インクやプラスチック製品の不足が日々報道される。
戦争や災害、病苦や貧困は、様々な〈欠乏〉を引き起こす。それは生活必需品のみならず、娯楽や文化などの精神的な欠乏をももたらすだろう。また非常時に限らずとも、人はつねに他者や自己との関係において、満たされない想いや欠乏感を抱えて生きているのではないか。
横光利一の小説やエッセイにおいて、そうした〈欠乏〉はどのように描き出されているだろうか。横光には震災体験もあり、病者との生活体験もある。戦中戦後において失ったものもあるし、執筆の自由、地位や名声さえも脅かされた。「蟻臺上に飢えて月高し」とは、若き日から心のなかに抱え込んだ根源的な欠乏感を象徴しているとも言えるだろう。
以上の観点から、横光文学における〈欠乏〉を様々な角度から議論してみたい。そして今を生きる我々のために、欠乏のなかの豊かさと、豊かさのなかの欠乏とについて語り合う機会としたい。




















































































