古代文学会2026年夏期セミナー(2026年8月21日(金)22日(土)、二松学舎大学 九段1号館8階807教室+Zoom)

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/sympo-semi
--------------------
※詳細は上記サイトをご確認ください。


夏期セミナー
【日時】2026年8月21日(金)13:00~18:00、22日(土)10:00~18:30
※時間・詳細は決まり次第、公式ホームページでお知らせいたします。
【場所】オンライン(Zoom)併用のハイブリッド形式で開催
・会場(対面) 二松学舎大学 九段1号館8階807教室
・Zoom https://zoom.us/meeting/register/8X3ydqh7R1qWAsOVfOd06Q


【発表者(五十音順)・題目】
大胡太郎「「新たな戦争の時代」に「自らの生」を「産む」試み」
藏中しのぶ「複合態としての鑑真伝〈伝・賛と肖像〉 ―大安寺文化圏を発端に―」
佐藤陽「索(もと)める/魅入られる ―『肥前国風土記』松浦郡条、弟日姫子の巫性―」
塩沢一平「複合態としての歌とことばと舞」

発表要旨

大胡太郎「「新たな戦争の時代」に「自らの生」を「産む」試み」


 さしあたり、テーマの"複合態"を「重層性」と「二重否定」による「抑圧状態」とみることにする。さらに、"複合態"の「複合」は、カルチュラル・スタディーズが提示する「接合(articulation)」を包含しうるか?と問うておきたい。この"接合"概念はポリティクスが働いている面を見落とさないために有効だろう。
 沖縄近代文学は、いわゆる古代文学研究、沖縄学の範囲であるか? 古代文学・古代学と沖縄学には伝統的に親近性があった/ある。しかし、沖縄近代文学、なかでも小説はポスト・コロニアリズムにおいて重要で、沖縄学、古代文学研究にとっては「その外」に近い。この違いは琉球語(ウチナーグチ)を経由する研究領域と日本語や外国語と理論を経由する研究領域との相違とも捉えうる。しかし、沖縄近代小説は初期作品から現在に至るまで日本語/琉球語が"複合=接合"し、力学的不均等に曝された言語作品であった/ある。ならば、古代文学研究・沖縄学が沖縄近代小説を「外にしている」という政治を見る、問うことが要請されるだろうし、加えてそこには、「当事者性」の差があるだろう。
 二〇二五年度に相次いで上梓された沖縄近代小説作品、崎山多美『フウコ、森に立て籠もる』(インパクト出版会)と豊永浩平『はくしむるち』(講談社)は、沖縄戦時、戦後、現在を重層=接合する時間・空間と「当事者」を1人称の「主体」に閉じ込めない重層性を、奇しくも共通して描き出している。この閉じていない登場人物に託された「当事者性」は時に若く、また年老いている。では、これらの作品に託された「若い当事者性」とはどのような境位を開いていくのか、"複合態=重層=接合"として考えていきたい。


藏中しのぶ「複合態としての高僧伝〈伝・賛と肖像〉―大安寺文化圏の禅を発端に―」


 日本の〈伝〉は墓誌・墓碑に始まり、火葬の普及による骨蔵器銘を経て、天平宝字四年(760)大安寺の渡来僧道璿・菩提遷那の遷化を機に、「碑文」体の高僧伝として確立した。師僧が亡くなると、弟子僧は〈肖像〉を造り、これに〈賛〉を寄せ、その序として長文の高僧〈伝〉を述作した。鑑真の場合も、国宝・鑑真和上坐像が〈肖像〉、『唐大和上東征伝』が〈伝〉、巻末詩群が〈賛〉に当たる。
 この〈伝・賛と肖像〉の様式は空海に継承され、平安朝の〈賛〉の文学の系譜をなし、中世の禅宗史伝・禅林文学を経て、近世の俳画・和歌賛に普及し、曲亭馬琴『南総里見八犬伝』に至って集大成を遂げた。古代の高僧伝の〈伝・賛と肖像〉は、日本文化史を貫く〈賛〉の根源である。
 本発表は〈伝・賛と肖像〉の様式をもつ碑文体の〈伝〉を生んだ平城京諸寺院の出家僧侶と在家仏教徒の律令官人の人的ネットワーク、大安寺文化圏を複合態として検討する。
 最初期の〈像賛〉作者は、四世紀中国・東晋の支遁(竺法護賛)、孫綽(康僧会賛)、顧愷之(法曠賛)であり、高僧の〈像賛〉成立の前提には僧俗の文学交流があった。支遁・孫綽は王羲之と交わり、高僧の〈賛〉を多作した孫綽は『文選』「遊天台山賦」の作者として知られ、永和九年(353)の蘭亭修禊にも会した。儒仏道一致を唱えた孫綽らの老荘的山水詠「玄言詩」は、謝霊運の山水詩の母胎、唐以後の「仏理禅機」を寓する山水詩の先蹤とされる。
 その動向を伝える『梁高僧伝』は中国初期仏教史の基本テキストであり、『日本書紀』や菩提遷那伝にもその出典コンテクストが内在する。大安寺文化圏という複合態には、藤原仲麻呂の唐化政策と三つの修史事業(『続日本紀』『藤氏家伝』『氏族志』)も影響を与えた。大安寺の「碑文」体の高僧伝から唐招提寺の鑑真伝三部作への展開を、『延暦僧録』「居士伝」被伝者の活動と唐使・新羅使との交流を通して動的に捉えたい。


佐藤陽「索(もと)める/魅入られる ―『肥前国風土記』松浦郡条、弟日姫子の巫性―」


 肥前国松浦郡篠原村に住まう弟日姫子なる女性のもとに、任那に向かったはずの夫・大伴狭手彦によく似た人物が夜な夜な訪れ、夜が明ける前に帰っていく。来訪者の衣の裾に繋いだ麻糸を手繰っていった弟日姫子が褶振峯の沼で目撃したのは蛇首人身の異形であった。『肥前国風土記』松浦郡褶振峯条の記すこの伝承は、所謂苧環型の話型に属する。
 ある程度強固な話型に属するテキストの場合、そこには現前しない話型のプロトタイプ(そもそもプロトタイプは実態として存在しない)を参照点として、そこからの差異や距たりに着目しながら読むという事態を想定することができよう。たとえば、褶振峯条には助言者としての親が登場しない。弟日姫子は誰に教えられるでもなく来訪者に不審を覚え、自身の判断で男の衣に麻糸を着け、ただ一人男を追跡したかのように描かれる(後文で従女を連れていたことが記されるが、突如現れた観が否めない)。苧環型プロトタイプの娘たちが親の言いなりになるのとは対照的なこの行動は、弟日姫子の「激情」(益田勝実「新しい古代文学史像を求めて」)をテキストの読み手に強く印象づけるだろう。苧環型の多くの娘たちは最後には異類と訣別し危機的状況を脱することになるのだが、激情に突き動かされる弟日姫子は異類とともに水界に沈んでゆく。
 苧環型プロトタイプとは、神霊に魅入られた女性が親などの介入によって辛くも人間の共同体に繋ぎとめられる話である。こうした、プロトタイプの志向する共同性へのベクトルに反発するかのように、弟日姫子は主体的・能動的に異類へと向かうのだが、それを共同体の側から見れば、何者かに憑依された狂女の常軌を逸した行動として映るはずだ。本発表では、褶振峯条におけるいくつかの六朝志怪小説的趣向(異類が知己の存在に化けて人間の娘に接近すること、娘への恋着の情を歌うこと、従者が目撃者となることなど)を指摘したうえで、本条が弟日姫子の例外的な心理状態(=ポゼッション)に焦点を当てているであろうことを論ずる。苧環型という普遍的な話型に志怪的要素が複合することによって、人ならざる存在に向かっていくという行動の裡にあるはずの狂気が浮かび上がるのではないかということを考えてみたい。

塩沢一平「複合態としての歌とことばと舞」


 つとに歌謡は歌われ、和歌は三十一音に整形し記載されることによって歌われなくなったとも言われてきた。だが記紀歌謡の直前はほどんど「歌曰」とあり、『万葉集』の題詞にも「(御)歌」ともある。ことばの上ではこの間に差異は認められない。
 また、歌謡は集団の中で共有される閉じたものであり、和歌は普遍的なものに開かれていったともいわれる。しかし、閉じる閉じないとは関係なく、繰り返し自体が脳内に報酬を与える(=感動を呼び起こす)ことが、近年の脳神経音楽学でわかってきている。ならば、繰り返しがある歌も歌謡も感動を呼び起こすことになる。
 さらに『万葉集』には、歌われたことを示す「耽読吟諷し」(5・八六四)「歌を裁(つく)りて口(くち)号(づさ)みき」(16・三八○四)「高声にこの歌を吟詠(うた)へり」(16・三八五七 左注)「以ちて吟じ以ちて詠じ」(17・三九六七)という題詞や左注や漢文序文も見られる。既に五七五の韻律とともに歌われていた『万葉集』が述べているものが、記載されることで歌われなくなったとするならば、その根拠はいかなるものか。和歌自体にも「大船の上にし居れば天雲のたどきも知らず歌ひこそわが背」(17・三八九〇)と「歌え」と記されている。
 脳神経音楽学などから明らかになりつつある現代の歌の感動のポイントを古代に射程を伸ばし、いくつかの古代和歌・歌謡に援用し、従来抽象的な概念として述べられることが多かった、歴史の淘汰に堪えた和歌・歌謡の情動のポイントを明らかにしたい。
 また、歌はことば以前に存在し、歌と舞は切り離せないものとして存在していたという文献も多数出て来ている。『万葉集』でも。「諸人(もろひと)酒酣(たけなは)に、歌舞駱駅(らくえき)せり」(16・三八三七 左注)と示され、「王の膝を撃ちて、この歌を詠みき」(16・三八○七 左注)とリズムを取りながら歌を詠んでいることがわかる。
 ことばが歌われ舞われていた「複合態としての古代」として和歌・歌謡を捉え、歌やダンスなどの現代音楽に関する分析成果を照射することによって、複合的に和歌・歌謡の情動の仕組みを明らかにしたい。