古代文学会2026年シンポジウム(2026年7月18日(土)13:00~18:00、二松学舎大学 九段1号館8階807教室+Zoom)
研究会情報です。
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https://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/sympo-semi
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※詳細は上記サイトをご確認ください。
総合テーマ
複合態としての古代文学
趣旨文
古代文学には『日本書紀』における漢籍の典拠利用や、『古事記』における仏典語の利用のように、異なる論理を持つ言語表現がみられる。神話的思考と律令の論理、左注等の注釈的表現、「今」「昔」「古」といった時代差、複数の話型の重なり、「風流」と「みやび」のような漢語と和語の組み合わせなど、その複合は様々に指摘されてきた。古代文学が様々な要素の絡み合う動的な複合態である以上、それらを見極めた上で総体として捉える必要があるだろう。そこで今回は複合態としての古代文学を我々は如何なる方法で捉え得るのか考えてみたい。
シンポジウム
【日時】2026年7月18日(土)13:00~18:00
※時間・詳細は決まり次第、公式ホームページでお知らせいたします。
【場所】オンライン(Zoom)併用のハイブリッド形式で開催
・会場(対面) 二松学舎大学 九段1号館8階807教室
・Zoom https://zoom.us/meeting/register/aLGrq3JGQB6XQ5C-UXeKsQ
【発表者(五十音順)・題目】
猪股ときわ「古事記の「国神(くにつかみ)」における複合態」
海野圭介「『遊仙窟』古写本とその意義」
遠藤耕太郎「宗廟制度不継受と殯宮挽歌―高市皇子挽歌を中心として―」
発表要旨
猪股ときわ「古事記の「国(くにつ)神(かみ)」における複合態」
古事記を「複合態」のなかで読もうとするにあたって、文化、文字、制度、宗教思想などなど切り口はさまざまにあり得ようが、今回想起したいのは、呉哲男氏の論である。
『古代文学の思想的課題』(森話社、2016)においては、従来の作品論が「「天つ神」(非対称性原理)」を自明の前提とすることで、古事記がいかなる「構想」のなかで「緊密な整合性」をもって語られているかを明らかにしようとしているのに対し、「古代の律令国家とそれが内包する神話の論理のせめぎ合い、すなわち対称性原理と非対称性原理の交差するなかに「天つ神」の誕生をさぐる視点が必要であろう」と提言する。
呉氏の論をふまえ、今回は古事記における「国神」を、複合態としてー「抑圧」と「(無意識の)反発」、整合性の中に納まりきれない「交差」「せめぎ合い」のなかに置いてー読み解く試みをおこなってみたい。
古事記の「国神」は日本書紀の「国神」と異なって、会話文にのみ見えるという特徴がある。「天神」側からは征圧すべき、敵対する相手ともされることもあるのは紀に通じるところだが、古事記では「国神」側は、進んで仕え奉る者として「国神」と名乗り、これが反復されるのである。呉氏は「国神」の名乗りを、征圧するー征圧されるという延々と続く「突きあい序列」(征圧する者がまわりまわって征圧される側になる)という対称性原理を「内側から破ってゆく方法」であったとする(呉前掲書、「古事記の神話と対称性原理」)。「国神」を征圧する紀はかえって対称性原理から逃れられず、一方、「国神」が自主的に服することを反復する古事記では「「天つ神」と「国つ神」の協調世界が可能となる」という。 しかし、「国神」側が自主的に服することで「天神」の権威を「内面化」するのだとすれば、結局は「天神」という超越性は食い破られてしまうのではないか。
「天神」側は「国神」の名乗りを受け止めざるを得ないが、それは、超越(非対称性)が徐々に対称性原理に引き戻されてしまうことではなかったか。「国神」という名乗りを個々の文脈のなかで、あらためて考察したい。「交差」や「せめぎ合い」は文脈のただなかに生じるものと考えるからである。「天神」と敵対する「国神」という構図への反発として、「天地」のうちの「地」ではない「国」という語が指し示す霊威が浮上する、という事態が認められるかもしれない。
海野圭介「『遊仙窟』古写本とその意義」
「古代文学が様々な要素の絡み合う動的な複合態」であることに着目したシンポジウムに際し、その課題につき、書誌学、資料学の側面から考えてみたい。具体的には、『遊仙窟』古写本を素材として、寺院を中心とした調査の進展による資料の充実と再検討が古代文学研究にどのように活用され得るのか、あるいはそこからどのような課題が生じるのかという点などについて考えてみたい。
古代文学の範疇に入る新たな資料や伝本それ自体が見出される可能性は高くはないが、それでも、真福寺本『古事記』の書写に関する知見が示されたり(阿部泰郎「真福寺本古事記の背景―真福寺聖教体系中の神道文献から」『古事記研究の現在』笠間書院、一九九九年)、その字形の検討を通したテキストの吟味が行われたり(井上幸「日本古代の文字資料と写本の字形をめぐって―真福寺本『古事記』の例を試みに」『武庫川国文』七七、二〇一三年一一月)と、ここ二十数年あまりの間にも、古代文学を伝える写本そのものの性格と伝来に関する検討が進み、文学史・日本語史あるいは文化史の中における位置などについても理解が更新される機会があった。こうした成果のように、資料そのものに今一度立ち返り、そのあり方を改めて考えることを通して作品へ迫るという視角は依然有効であるように思われる。
『遊仙窟』は、日本語学の領域において早くから検討が進められた作品の一つであり、その語彙や和訓の網羅的検討も既になされている。言うまでもなく、古代文学への影響も大きく、『萬葉集』をはじめとした作品との関係性についても多くの蓄積が揃う。その記す語彙は、『和名類聚抄』『類聚名義抄』といった辞書へと吸収され、『源氏物語』の注釈学に援用されるなど、裾野の広い享受の歴史を有しているが、『遊仙窟』そのものの理解においても試行錯誤や混乱があり、写本に留められた学びの歴史は、まさに動態としての様相を記し留めているいるように見える。古写本はまさに複数の文脈の集合体であり、その整理のもとに語彙や和訓の検討が行われてきたが、写本の段階に立ち戻ってその複合の様相の観察から検討を始めたい。
遠藤耕太郎「宗廟制度不継受と殯宮挽歌―高市皇子挽歌を中心として―」
周知のように、高市皇子殯宮挽歌(巻二・一九九~二〇一)は、長歌前半部で、和射見原に天降りした大海人皇子が高市皇子に近江討伐の命を下し、高市皇子が大海人皇子や天照大御神の霊威を帯びて勝利するという高市皇子の業績を述べ、後半部では「神宮」での匍匐礼や哭礼、城上の陵墓への葬送と、城上宮を「常宮」としてそこに皇子が鎮まったこと、さらに永遠の偲びの誓いが歌われる。初めに死者生前の業績(壬申の乱での勝利)を称え、後半で悲しみの思いを述べるのは、日並皇子殯宮挽歌、明日香皇女殯宮挽歌と等しく、誄の形式に則ったものである。
本発表では特に後半部を中心に考察するが、ここには「神宮」、「常宮」という二つの宮が描かれる。神宮は皇子の香具山宮の一室と思われ、その庭では匍匐礼や哭礼が行なわれているから、「神宮」は殯宮である。その後、城上に葬送された皇子は「常宮」に鎮まる(「安定」)。題詞によれば「常宮」は殯宮である。殯宮が「本葬を行うまでのあいだ、遺骸を安置しておく」宮である(『時代別国語大辞典』)とすれば、殯宮が二つあることは理解しにくく、題詞の「殯宮の時」は「葬の時」の意であるとする説(狩屋棭斎)や、「常宮」は陵墓であるとする説(宣長)などが出されたが、いまだに決着していない。
本発表では、「神宮」を第一次殯宮、「常宮」を第二次殯宮と考えてみる。『儀礼』や『周礼』、『大唐開元令』などには、殯宮で哭礼や匍匐礼などを行なった後、遺体は宗廟に出向き、陵墓に葬送され、埋葬される。その後、重(位牌)に依りつかせた霊魂を再び宗廟、殯宮に戻して反哭し、虞祭で祖霊化(「安定」)するのを待ち、祖霊化した霊魂は宗廟に安置される。
高市皇子殯宮挽歌は、生前居所の第一次殯宮から葬送、埋葬され、陵墓付近の城上宮の一室に設けられた第二次殯宮で安定化し、天界に赴いて天界を治める神(第一短歌)になるという儀礼全体を視野に納め、第二次殯宮が終了する時に、そこに参列した葬者を前に披露されたのではなかったか。中国の喪葬儀礼を継受しつつ、宗廟制を継受しない複合的儀礼空間で披露された殯宮挽歌であると考える。




















































































