U-PARL第2回東西融合ワークショップ:「俗語」の書記言語化が開く新しい言語と文学(2026年9月6日(日)13:30~17:00、東京大学本郷キャンパス内東京大学総合図書館+オンライン)※要申し込み

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://u-parl.lib.u-tokyo.ac.jp/japanese/workshop20260906
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※詳細は上記サイトをご確認ください。


2026年9月6日(日) 13:30~17:00
会場:東京大学本郷キャンパス内東京大学総合図書館(定員30名)
(オンライン配信あり)
会場参加・オンライン配信ともに事前登録は9月1日まで


〈プログラム〉

野村剛史(東京大学名誉教授)
 書き言葉・話し言葉と活字メディア(日本語の場合) 

  明治維新期に日本語の活字メディアは、明治文語文という画一的な書記言語をつくり出した。明治前期に事態はさらに進んで、言文一致体による新文学と標準語(標準話し言葉)が確立していった。その過程を描く。

山本潤(東京大学准教授)
 俗語と歴史―中世ドイツ語圏における英雄伝承と歴史叙述

  ドイツ語圏ではキリスト教の布教以降、聖職者や修道士によるラテン語の歴史叙述と俗語の英雄伝承が歴史メディアとして並存していた。時に交差するこの二つの歴史伝承の関係と、そこから明らかになる中世盛期の歴史意識を検証する。

中村菜穂(大阪大学講師)
 ペルシア文学から考える話しことばと書きことば――イランの詩と近代散文

  「詩の国」と呼ばれるイランにおいて、話しことばと書きことばはどのような関係にあったのか。ペルシア語の成立と詩の伝統、さらに近代に生じた変化の過程について考察します。

福田義昭(大阪大学准教授)
 近代エジプトの書記言語をめぐって──議論と実態

  アラビア語圏については「書きことば」と「話しことば」の乖離や方言間の大きな差異がよく知られていますが、ここでは近代エジプトで展開した書記言語に関する議論や現代におけるその実態を簡単に紹介したいと思います。

小松謙(京都府立大学名誉教授)
 コメントーー主に中国文学・中国語学の立場から

ディスカッション
 野村剛史、山本潤、中村菜穂、福田義昭、小松謙、佐髙春音、石川就彦、荒木達雄

 世界には無数の言語が存在し、そのうちの少なからぬ言語が表記法を有している。かつて多くの地域で書記言語はごく一部の人々のみがあやつる特殊能力であった。書記言語は、ある時に規範が確立するとその後は枠組みに大きな変化が生じないことがほとんどであり、日常に用いられる口頭言語と乖離しつづける宿命を負っている。それゆえに習得するには専門の学習が必要であり、特殊技能化する。同時に、その不変性ゆえに、時空を超えて情報を伝えることが可能となる。東アジアにおける漢文(中国語の伝統的書記言語)、西アジアにおける伝統的な正則アラビア語、ヨーロッパにおけるラテン語などがその例として挙げられよう。

 一方、政治、宗教、学術、芸術などを背景に権威を帯びた書記言語は用途が限られることが多く、日常に存在したはずのさまざまな人々の言動、心情などの多くが記録の対象となり得なかった。権威ある書記言語はその権威性ゆえに保存され、後世のわれわれに過去の情報を伝えてくれるが、世界のごく一部の情報しか残してくれなかったこともまた事実である。

 このような状況下において、地域により時代や事情にさまざまな違いはあるが、従来の権威を帯びた書記言語に対し、かつては断片的に表れる程度であった口頭言語を書記言語に持ち込んで文章を表現する動きが生まれる。新しい書記言語は、従来の権威ある書記言語とあるいは衝突し、あるいは混じり合いながら体系的に整備されていき、使用者層、描写対象、表現方法を拡大していく。かつて「俗語」として見下され、文献に上らせるべきものではないとされていた口頭言語が書記言語化できるようになったのはなぜなのか?きっかけは?担った人々は?その目的は?口頭言語が書記言語化することで、言語と、それにより表現される世界はどのように変わったのか?東西を広く見くらべることでそれぞれの言語や地域の特性について新たな視点を得ようとするワークショップの第2回。