古代文学会 古代文学会11月例会(第719回)(2019年11月2日(土)、共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス2館(図書館/博物館)606教室)

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

研究会情報です。

●公式サイトはこちら

http://kodaibungakukai.sakura.ne.jp/wp/kenkyuuhappyoukai/reikai/

--------------------

古代文学会11月例会(第719回)のご案内
日 時 : 2019年11月2日(土)午後2時〜5時
場 所 : 共立女子大学 神田一ツ橋キャンパス 2館(図書館/博物館) 606教室

※通常と建物・教室が異なります。ご注意ください。
※吹抜のコミュニケーションギャラリー脇の階段を2階まで上り、2階から6階までは、エスカレーターをご利用ください。

発表者 : 猪股ときわ 氏
題 目 : 「ひと」を歌う・「ひと」と歌う―『古事記』歌謡の「ひと」をめぐって
要 旨 :

『古事記』の説話文において、出会った相手、通ってきている相手がどのような存在か不明な時点で相手を「人」とみなす際には、相手を「人」とみなした時点で、なんらかの交渉・コミュニケーションの可能性が開かれるのだと考えられる*。出会った相手が「人」でなければ、相手に向かって言葉を発したりするその後の展開はあり得ないのである。

『記』の歌の言葉の中に現れる「ひと」も、相手に向かって「ひと」と歌っている点に注目される。折口信夫の言う「人讃め」である。自らを「ひと」と歌う場合も、相手からの歌を受けてはじめて歌い得ている。歌い手たちにとって「ひと」であるか否かは確固たるものではなく、他者から「ひと」と歌いかけられることで、人ははじめて「ひと」たり得たのではないか。「ひと」である、とは『古事記』にとってどういうことであったのか。『記』の歌の「ひと」を人間、第三者、形式名詞、再帰的用法、といった分類とは異なる視点から考えたい。

*猪股ときわ「ヴァリアントとしての『古事記』―海宮訪問譚の神と人とワニ」『古代文学』58
猪股ときわ「『古事記』における「人」『人文学報』515-11

司 会 :山本大介 氏