研究を届け、未来へ繋いでゆくということ(文学通信・持田玲)
入社して数か月、同じ日本文学を専門する出版社の大先輩に「研究書を出すということをどのように考えていますか?」と問いかけたことを時々思い出します。
修士の時、手に取る本の多くは研究書で、その分厚い本の中に広がる知の世界に漠然としながらも憧れを持っていました。ですが、出版社に入り、各ジャンルの中の一つとして研究書を俯瞰的に見た時、書籍という形で、研究の奥深さを、著者の眼差しを伝えることができているのだろうかと迷ってしまったのです。出版を取巻く状況の難しさは前から知っていましたが、働いてみると実感として分かるようになったということもありました。
私の問いかけに先輩は「例えば百年後の人が一人でもその本を読んでくれたら出す意味がある」と答えました。この言葉は、綺麗事のようにも聞こえますが、その方が編集された書籍を思い出すと、今までその著者一人一人にしかできない研究を、次世代に残してゆくという強い気持ちを持って担当された上での気持ちなのだと想像ができました。そして今振り返っても、伝えたかったのは、本当に「一人でも読んでくれたら」という安直な意味よりも、まずは編集が原稿の持つ力や意味を一番に信じて、それを最大限届くように尽くす、その上で、今だけではなくて、未来の誰かももし読んでくれたら、という仮定なのだろうと感じます。
文学の面白さを社会に伝える方法の一つに、一般書や入門書があります。それらの書籍もさまざまですが、例えばこの数年の最新の研究が反映されていたとしても、入門書で伝えられるのは、結論やエッセンス部分だけであり、そこに到るまでの道筋は、ある程度は説明できてもし尽くせるものではありません。対して研究書に収録される論文は、精密な分析や考察が求められるものであり、何よりも一般書や入門書の土台となる根幹部分を担っています。それらの研究を、社会に対して直接、全てを拓くということは難しいのですが、研究書としてきちんと届ける場所があり、未来へと残す必要があるのだと、複数の書籍を担当する中で分かってきました。また、その原稿に対して、伝え方の工夫を考え、新たな人や場所に届けるということも、編集者の仕事なのだと感じます。研究書、一般書や入門書、その間にある書籍、いずれも欠かすことのできないものなのです。そして今、届ける媒体は、紙のみならずデジタルにも広がっています。
人並みな言葉ですが、文学の面白さは、人がどのように生きて考えてきたのか、作品や書物を通して知ることができるという点にあります。そしてそれを読み解き解釈する営みは、今までの研究の蓄積があり、残されて参照できるからこそ初めて為せるものだと思います。私はどちらかというと狭く深く物事を考えてしまいがちなのですが、出版社に勤めて、古典文学でもいろんな時代や分野、更にはデジタル人文学関連の学会やシンポジウムに参加することで、文学の面白さを再認識するだけではなく、研究の持つ可能性をもっと視野を広げて考えられるようになりました。
文学通信は退職しますが、文学から人が生きた姿を明らかにしたい、学び、読むことでまだ見ぬ世界を知りたい、そしてそれを未来に繋ぐことができたら、という気持ちはずっと変わらずに持ち続けています。在職中にいただいたものを大切に、また皆様とどこかでご一緒できるように頑張ってまいります。至らない点ばかりでしたが、2年間、本当にありがとうございました。














































































