公益財団法人 三鷹市スポーツと文化財団:「<企画展>山本有三 住まいの履歴 -活動を支えた家-」(2024年3月16日(土) ~ 2024年9月1日(日) 9:30~17:00、三鷹市山本有三記念館)

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展覧会情報です。

●公式サイトはこちら
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yuzo/event/20240316/

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※詳細は上記サイトをご確認ください。

大正15(1926)年、山本有三は、東京府北多摩郡武蔵野村(現武蔵野市吉祥寺本町)に、初めての持ち家を建てました。専門家にも相談をしたという、こだわりの行き届いた家で、居住後も執筆に集中できるよう増改築をほどこしています。昭和11(1936)年には、多忙による体調の悪化から静かな環境を求めて同三鷹村(現三鷹市下連雀)に転居。広大な敷地に建つ洋風建築で、執筆を続けながら健康を回復させていきました。戦後、三鷹の家がGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収された後は、昭和28(1953)年に神奈川県足柄下郡湯河原町に古い平屋を購入し、移住しています。ここでも自らが見込んだ大工と綿密な打ち合わせを重ね、隅から隅までこだわり抜いた理想の邸宅を作り上げました。

武蔵野、三鷹、湯河原、それぞれの邸宅からは、山本有三の多彩な活動の背景にある生活の様子が浮かび上がってきます。本展では、有三の時代ごとの住まいを、関係者の残したエピソードや同時期の活動内容とともにご紹介します。

武蔵野の家 大正15年、有三は、武蔵野の家を建設する資金が入用だったこともあり、「東京・大阪朝日新聞」に自身初となる長編小説「生きとし生けるもの」の連載を開始した。

三鷹の家 有三は、代表作「路傍の石」を三鷹で執筆したが、昭和15年、検閲が厳しさを増したことからペンを折った。自由に執筆できるような社会情勢を待ちながら、邸宅を活用した公的な活動を展開させていった。

湯河原の家 湯河原での有三は古代史の研究に没頭したが、昭和48年、86歳という老齢にして、「濁流 雑談 近衛文麿」の連載を開始した。

休館日 月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、休日を除く翌日・翌々日が休館)
入館料 一般300円(20名以上の団体200円)