【追記】日本近代文学館「歿後50年 伊藤整展―チャタレイ裁判と『日本文壇史』―」(2019年9月21日(土)―11月23日(土・祝))
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●公式サイトはこちら
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/12116/
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開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料 一般300円(団体20名様以上は一人200円)
中学生・高校生100円
休 館 日 日曜日・月曜日・第4木曜日(9/26、10/24)
編集委員 武藤康史(評論家 日本近代文学館理事)
主 催 公益財団法人 日本近代文学館
特別協力
市立小樽文学館
【歿後50年を機に
伊藤整は自分が書いたメモ、ノート、原稿などを大切に保存していた人である。途中に戦争があり、転居も多かったが、自筆のナマ資料がたくさん残っている。戦禍を避けられたという僥倖もあったが、保存しようと強く意識していなければ、ここまで残らなかっただろう。
伊藤整が亡くなったあと、当館で多くの資料をお預かりすることになり、「伊藤整文庫」として整理している。ところが展覧会は、七回忌にちなむ伊藤整展を1975年に開催したあとは開いていなかった。
その後、『日本文壇史』が文庫化され、伊藤整の読者は一気に広がった。かつて伊藤整が翻訳して猥褻文書という判決を受けた『チャタレイ夫人の恋人』は、誰でも全文の日本語訳を出していい世の中になった。
歿後50年を機に、ようやくまた伊藤整展を開くことができる。『日本文壇史』と『チャタレイ夫人の恋人』事件に焦点を合わせることにした。御遺族から新たに多くの資料を御寄贈いただき、最大限、展示した。
ナマ資料の保存と研究は文学館の一つの使命だが、伊藤整はそれを個人で実践していたようなものである。ただ、伊藤整の原稿などが(近い時代のものでも)すべてまんべんなく残っているわけではなさそうで、残すとき、選択していたのだろうか、と想像することがあった。さあ、後世の人間よ、これを保存するから、研究し、活用してごらん......という伊藤整の声を聞きながら、膨大な資料と向き合い、展示するものを選んだ。
(編集委員 武藤康史)】
【追記】2019.10.1
● 部門構成
詩人から小説家・評論家へ
伊藤整(1905-1969)の「若い詩人の肖像」「氾濫」「発掘」「変容」などの作品を通して生涯をふりかえります。
戦争中の日記
太平洋戦争の頃の日記を展観します。
『チャタレイ夫人の恋人』事件
1950年、伊藤整が翻訳した『チャタレイ夫人の恋人』完全版は、「猥褻文書の疑いがある」として全国の書店から一斉に押収されました。起訴され、翌年から裁判が始まります。裁判の過程と同時代の文学者や後の作家への影響などをご紹介します。
『日本文壇史』
『日本文壇史』の連載は1952年から始まり、その後18年続きました。執筆前から単行本化された後に至るまで、長年にわたって丹念に調査し、加筆訂正を怠りませんでした。ここでは『日本文壇史』創作のプロセスを展観します。
日本近代文学館の設立に向けて
雑誌などの資料の散逸をおそれた高見順の呼びかけにより、日本近代文学館の設立が構想され、伊藤整にも声がかけられました。1965年、初代理事長の高見順が亡くなると、次の理事長に選ばれます。設立に関わった研究者達を気遣う手紙などをご紹介します。
◆図録
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