column.3 さわれる文化財レプリカとお身代わり仏像 −3Dデータで歴史と信仰の継承を支える−(大河内智之)★『歴史情報学の教科書』全文公開

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column.3 

さわれる文化財レプリカとお身代わり仏像
−3Dデータで歴史と信仰の継承を支える−

大河内智之(和歌山県立博物館)


1. はじめに
 博物館における模写・模造・複製は、実物資料を保護しながらその価値を伝えるために必要なツールとして活用されています。ただし、実物資料の単なる代替用展示物という役割にとどめず、あらゆる人と博物館をつなげ、文化財を未来へとつなぐための「博物館資料」として、新たな技術も含めた活用の可能性を探っていく必要があります。
 立体物の複製にあたっては型取りによる製作が一般的ですが、3Dスキャナーによる計測と3Dプリンターによる出力は、非接触であることで作業が簡便かつ効率的で安全性も高く、また比較的安価に立体化が可能です。和歌山県立博物館では、和歌山県立和歌山工業高等学校、和歌山大学教育学部との連携により、これまでに多くの3Dプリンター製文化財レプリカを作製し、活用しています。その目的はふたつ、展示のユニバーサルデザイン化と、文化財盗難防止対策です。博物館における資料の三次元情報の活用と実践について、その意義とともにご紹介します。

2. さわれる文化財レプリカによる博物館展示のユニバーサルデザイン化
 博物館や美術館、資料館、動物園、水族館など大多数のミュージアムでは、主に資料を目で見て、解説を読むことで情報を得られるように展示を構築しています。そのため視覚に障害がある人(見えない人、見えにくい人)にとっては、ミュージアムはバリアそのものであるという問題があります。ミュージアムはあらゆる人びとに開かれ、活用される場でなければなりませんから、障害のある人びとの利用が、受け入れ側の準備不足によって制限されることのないよう、公共空間であるミュージアムではこうした状況の改善を図っていく必要があります。
 改善の方向性として、実際に実物資料にさわれることを提唱し、その展示手法の効果の大きさについての実践的提起もなされています[01]。ただ資料はさわることで劣化し、歴史的価値や美術的価値を減少させてしまいますので、劣化を亢進させる鑑賞手法は、脆弱で破損の危険性のある資料や、代替不能資料にまで広げることができません。そこで、さわることを目的としたレプリカの作製が、解決策のひとつとして想定されることとなります。和歌山県立博物館ではこうした問題意識のもとに、和歌山県立和歌山工業高等学校と和歌山大学教育学部と連携し、3Dスキャナーと3Dプリンターを用いた文化財レプリカの作製を行っています。
 製作の流れは次の通りです。①3Dスキャナーを用いて資料をさまざまな角度から非接触で計測する(図1)。②得られた3Dデータを、CADソフトを用いて必要に応じて修正を施す(図2)。③完成した3Dデータを3Dプリンターに入力しABS樹脂・ASA樹脂などにて出力する(図3)。④下地処理(表面研磨など)ののち、アクリル絵の具を用いて表面を彩色する(図4)。一連の作業については、文化財の取り扱い全般は学芸員が行い、データ計測やデータ修正などは高校生との共同作業で、着色作業は大学生が行っています。高校では正規の授業カリキュラムに組み入れて実習として行い、大学生はミュージアムボランティア制度による社会体験として作業に携わってもらっています。

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図1 3Dスキャナーによる計測

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図2 CADソフトによる3Dデータの調整

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図3 3Dプリンターによる出力

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図4 アクリル絵の具による着色

 このさわれるレプリカとともに、特殊な透明盛り上げ印刷による点字と触図を通常の印刷に重ねたさわって読む図録を活用した「さわれる展示」を、博物館ではエントランスホールや常設展示室などに設置しています(図5)。見学した和歌山県立和歌山盲学校の生徒からは「ただ説明を聞くだけだとわかりにくいが、さわったらよくわかった。もっとさわりやすく、わかりやすいものになって他の障害者の人たちにも来てほしい。見えている人の中に入って一緒に楽しめるのがうれしい」という感想を得ています。

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図5 さわれる展示のようす

 重要なのは、このようにして作った展示は、視覚に障害がある人だけが利用しやすいのではないということです。さわれるレプリカは、誰もがさわって、使用することのできる資料です。触覚による情報、資料の裏側の情報など、見るだけでは得られない豊富な情報を得ながら資料に興味を持ってもらう中で、地域の歴史や文化の魅力をさらに深く知ってもらうことにつながると考えています。
 ユニバーサルデザインという概念では、誰もが公平かつ柔軟に利用できること、シンプルで直感的に使えること、情報が認知しやすいこと、失敗に対して寛大であること、身体的な負担が少ないこと、使いやすいサイズや空間であることなどが原則とされます。すなわち、従来、ミュージアムにとって情報を届けることが難しかった、視覚に障害がある人に向けて情報を発信するツールを作製したことで、結果的に、誰もが使え(公平性)、自由に楽しみ(柔軟性)、触覚による多くの情報と(直感的な情報の認知)、簡単かつ丁寧な解説に接し(シンプルさ)、破損による影響も少ない(失敗に対して寛大)展示資料を用意することにつながったといえます。
 ミュージアムにおける展示のユニバーサルデザインとは、誰にとっても鑑賞の困難がなく、満足できる環境を構築することです。それは施設のバリアフリー化だけの問題ではなく、展示そのものにある「バリアー」にも自覚的でなければならないでしょう。物理的な障壁、心理的な障壁のない、誰もが快適に利用できる理想的なミュージアムを目指す上で、資料の三次元情報は効果的に活用し得るものと思います[02]

3. 「お身代わり」仏像による盗難被害防止対策
 現在、寺院や堂舎、あるいは神社や小祠に伝来する仏像などの文化財が換金目的で盗難被害を受ける事件が多発しています。和歌山県の事例では、平成22年(2010)から23年にかけての1年間で、約60カ所のお寺やお堂から、安置されていた仏像172体などが盗まれるという空前の被害が発生しています。仏像の美術的価値、歴史的価値の高さに老若男女を問わず関心が集まっている一方で、インターネットのオークションサイトといった売買方法の多様化によって需要の層が広がったことで、古美術品市場が広がり、盗み取って供給する卑劣な犯罪者が出現しているのです。
 そしてもうひとつ深刻な要因があります。集落の高齢化と過疎化の問題です。仏像が盗まれた寺院や堂舎の多くは山間部などの小さな集落にあり、住民数が減少し、かつ高齢者の割合が高く、その管理が難しくなっています。実際に仏像を盗まれた地域の人たちは「まさか盗まれるとは思わなかった」と語られます。しかし残念ながらこうした被害がいつどこで起こっても不思議ではない状況となっています。
 防犯対策の強化が喫緊の課題ですが、周辺に人家もなく、また電気も通っていないなど、対策自体が効果を発揮しないところもあるのが実情です。仏像自体を別の安全な場所に移すことも効果的ですが、信仰対象の不在は信仰環境の変容につながることですので、心理的に容認しにくいのも当然のことです。そこで和歌山県立博物館では、前節で紹介した文化財の複製を活用して、防犯対策を行いつつ信仰環境の変化を抑制する実践的な取り組みを行っています。
 製作方法は前節と同様です。その仕上がりは実物と並べても遜色ない出来栄えで(図6)、平成24年度から平成29年度までの6年間で合計12カ所、25体を現地に安置しており、それぞれ実物は博物館で預かって保管しています。特筆しておきたいのは、完成したお身代わり仏像を、製作に携わった高校生と大学生が現地を訪れて奉納し、地域住民とコミュニケーションをとるようにしていることです(図7)。生徒・学生と顔を合わせ、苦労や工夫を聞き、またそれをいたわり感謝を伝える中で、「複製」が新たな物語を背負っていることを実感し、受け入れへの心理的ハードルが解消される効果があります。実は「お身代わり」という言葉も、そうした交流の中で地域住民から発せられた言葉です。

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図6 実物(左)と3Dプリンター製お身代わり仏像(右)

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図7 お身代わり仏像の奉納(下湯川観音堂)

 こうして安置したお身代わり仏像について、地域住民からは「これで夜も安心して寝られる」「本物と思って大切にお祀りする」といった感想をいただくなど好意的です。信仰の場や信仰の対象を継承していくことは、当事者にとってそれだけ深刻で責任の重い問題であるということなのです。もちろんこうした対応は盗難が多発する緊急事態における対策として行っているもので、本来そのままの環境で維持・管理されていくことが最善であるのはいうまでもありません。地域の実情に即しつつ、環境を整えて再び仏像を戻せることが、最終的な目標であることを付言しておきたいと思います[03]

4. おわりに
 3Dデータを活用した歴史研究は、例えば磨崖仏や石造物の測量調査や、銅鏡の同氾品(同じ型を用いた製品)の同定、CTスキャンによる仏像の構造や納入品調査などさまざまに行われており、さらにその活用の範囲は広がることでしょう。本稿では、特に3Dデータを3Dプリンターで立体化することによって、博物館展示のユニバーサルデザイン化、そして仏像盗難防止対策につなげる活動についてご紹介しました。
 博物館は資料を未来へと引き継ぎながら活用(展示や情報化による共有)するために、人(現在の利用者、未来の利用者)と物(有形・無形のさまざまな資料)と場(物が伝来した場、物が展示される場)をつなぐ役割を担っています。歴史資料の複製(レプリカ)もまた、本稿での事例に引きつければ展示資料として、信仰の場を規定する象徴として、人と場をつなぐ機能を有効に発揮し得ることを明らかにしました。
 博物館における3Dプリンターの活用は、本稿で紹介した事例を先駆のひとつとしてようやく進み始めたところです[04]。近い将来、色情報の再現度が高い安価な製品が開発される中でより広汎に活用され、博物館活動にも広がりと深まりをもたらせてくれるのではないかと考えています。


─注
[01]広瀬浩二郎『さわる文化への招待-触覚でみる手学問のすすめ』世界思想社、2009年。
[02]本章の内容については、大河内智之「さわれるレプリカとさわって読む図録-展示のユニバーサルデザイン-」(『博物館研究』549、2014年)も参照のこと。なお、この取り組みは、平成26年度内閣府バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において総理大臣表彰を受賞している。
[03]本節の内容については、大河内智之「仏像を守る 和歌山県の事例から考える防犯対策」(『大法輪』85-7、85-8、85-9、2018年)も参照。
[04]淺湫毅・池田素子・大藪泰・田口肇・中道陽子「新町保存会・地蔵菩薩坐像の複製制作-科学機器と伝統技術の融合による文化財保護の試み-」(『学叢』40、2018年)、斎藤梓・石黒宏治・川上勝・古川英光「3Dプリンターの博物館における活用と展望」(『博物館研究』602、2018年)。


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【全体目次】

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ご挨拶○新たな学の創成に向けて(久留島 浩)
はじめに(後藤 真)
chapter1 人文情報学と歴史学
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
chapter2 歴史データをつなぐこと―目録データ―
山田太造(東京大学史料編纂所)
chapter3 歴史データをつなぐこと―画像データ―
中村 覚(東京大学情報基盤センター)
●column.1 画像データの分析から歴史を探る―「武鑑全集」における「差読」の可能性―
北本朝展(ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター/国立情報学研究所)
chapter4 歴史データをひらくこと―オープンデータ―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter5 歴史データをひらくこと―クラウドの可能性―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter6 歴史データはどのように使うのか―災害時の歴史文化資料と情報―
天野真志(国立歴史民俗博物館)
●column.2 歴史データにおける時空間情報の活用
関野 樹(国際日本文化研究センター)
chapter7 歴史データはどのように使うのか―博物館展示とデジタルデータ―
鈴木卓治(国立歴史民俗博物館)
chapter8 歴史データのさまざまな応用―Text Encoding Initiative の現在―
永崎研宣(人文情報学研究所)
chapter9 デジタルアーカイブの現在とデータ持続性
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
●column.3 さわれる文化財レプリカとお身代わり仏像―3Dデータで歴史と信仰の継承を支える―
大河内智之(和歌山県立博物館)
chapter10 歴史情報学の未来
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
おわりに

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