chapter 7 歴史データはどのように使うのか −博物館展示とデジタルデータ−(鈴木卓治)★『歴史情報学の教科書』全文公開

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chapter7

歴史データはどのように使うのか
−博物館展示とデジタルデータ−

鈴木卓治(国立歴史民俗博物館)

1. はじめに
 資料を保管し、専門家または一般の方に供覧する施設としては、博物館のほか、美術館、図書館、資料館、文書館など[01]さまざまありますが、「博物館」といわれたら、「展示」を連想しない方はまずおられないのではないでしょうか。
 本章では、国立歴史民俗博物館(歴博)の展示で活用されているデジタルデータならびにそれをもとにしたデジタルコンテンツの事例をいくつかご紹介することで、博物館とデジタルデータについて考えてみたいと思います。博物館展示に関する考え方や手法は、その博物館が取り扱う学問分野や対象によって大きく異なりますので、ここでご紹介するのは「日本のとある歴史系博物館におけるひとつの事例」としてご理解ください。「これが正解」とか「こうすべき」ということではなく、「こういうやり方もあるのか」という観点からお読みいただければ幸いです。

2. 展示は資料を見る最良の手段ではない
 博物館といえば展示、と申し上げましたが、資料のすみずみまで詳しく見たいと願うとき、残念ながら資料の展示は最良の方法ではありません。このことを、歴博が所蔵する「江戸図屛風」を例に考えてみましょう。
 「江戸図屛風」は、江戸時代初期の江戸の市街地および近郊の景観が描かれた屛風です。高さ約180cm、幅約380cmの屛風の左右一組(左隻と右隻)から構成され、そのほぼ全面に細かく絵が描かれています(図1)。絵の作者、絵が実際に描かれた時期、経緯はよくわかっていませんが、江戸幕府の第三代将軍である徳川家光の事蹟があちこちに描かれていることから、江戸幕府や家光に関わりの深い人物が作らせたものであろうといわれています。

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 (左隻)                     (右隻)
図1 江戸図屛風

 「江戸図屛風」は、歴史学や美術史の研究資料として貴重な存在です。長く未来に伝えていかなければならないことを考えると、資料の保存に万全を期す必要があり、従って、資料の閲覧や展示は強い制約を受けることになります。
 歴博では、「江戸図屛風」を収蔵庫から出して展示をしてもよい期間を年間4週間と定めています。自館での展示も、他館の展示への貸し出しも、すべてこの枠内で考えます。歴博の資料は、研究者が申請して熟覧することができますが、「江戸図屛風」は人気の高い資料で、なかなかご要望に応えることができないのが現状です。
 展示においては、決められた温度・湿度の範囲に調整された展示ケース内に展示することはもちろん、当てる照明の強さも、照度計を用いて厳密に調整します。ガラスケースの中の「江戸図屛風」は、その圧倒的な存在感やまばゆい金の輝きなど、本物の資料でなければなかなかわからない、博物館資料としての魅力に満ち溢れています。しかし、ガラス越しに決して明るくない照明の中で、描画の細部を詳しく見ていくことはかなりつらいことも事実です。
 末永く後世に伝える、見たい人びとにわけへだてなく、などの条件のもとでは、博物館展示という方法は、最善を目指すやり方のひとつではあろうと思います。しかし、資料を細部までじっくり見たいという面からはさまざまな制約があり、決して最良の手段ではないことがわかります。

3. 資料の画像の撮影と管理
 「江戸図屛風」を題材とした研究を行いたい、しかし実際の資料の閲覧には強い制約がかかっている、ということで、ならばせめて画像を、ということになるでしょう。しかし、研究利用に耐える品質の資料画像を得ることは、皆さまが想像するよりずっと大変なことなのです。
 例えば、歴博における博物館資料の撮影は、経験豊富な博物館資料専門のプロカメラマン(本館職員)が、資料担当の教員の指導を受けて実施しています。ただ単に写真を撮るだけでは、資料が持つ潜在的な情報を十分に引き出すことができません。どの角度から、どの解像度で、何枚ぐらいあればよいか、という判断は、資料担当者の知見とカメラマンの経験の深さがものをいうからです。資料の種類によっては、1枚のシャッターを切るのに数時間かけて照明や背景などの撮影環境を検討することもあります。
 歴博では、資料の撮影は、企画展示の図録の作成や研究利用に必要とされる場合に実施しており、網羅的にすべての資料を撮影することは行っていません[02]。歴博のような歴史民俗系の博物館は一般的に収蔵資料点数が多いこともあり、メモ写真程度であればともかく、研究利用や借用に耐える品質の撮影は不可能と判断してのことです。
 撮影された写真の管理も実は大変です。デジタル画像の実用化以前、資料の写真はフィルムにより撮影されていました。フィルムはいわゆる「ビネガーシンドローム」と呼ばれる劣化を起こします。この劣化はいったん始まってしまうと進行を止められないため、フィルムの保管に携わる人たちは細心の注意を払い発生を防ぐ努力をしています。歴博は専用のフィルム保管庫を持ち、温湿度を厳密にコントロールして保存しています。加えて、数万枚に及ぶフィルムを管理するには、さらに整理の過程が肝要となります。歴博では写真管理のデータベースと紙ベースの写真管理台帳の両方を作成して、希望する資料の写真が即座に取り出せる体制を維持しています[03]
 歴博では現在、資料画像の利用を有償で受け付けています[04]。世界的に進行するオープンデータ化の潮流の中で、博物館資料のデジタル画像を無償で自由に利用させる動きが広がっていますが、上記で述べたように、資料画像の提供は博物館にとって負担の大きい作業であり、一方でシステムを維持するための金銭的・人的資源の確保は博物館の自助努力に委ねられています。自由な利用を促進したいが、しかし"ない袖は振れない"という板挟みを強く感じています。インターネットの爆発的な普及を考えれば、オープンデータ化は必然の流れといえますが、その進展にあたっては、正しくコストを見積もった、必要な支援体制を社会インフラとして整えていくことまで含めた議論が行われることを、情報発信に責務を持つ博物館の一員として、切に願います。

4. 「江戸図屛風」の超拡大コンテンツ
 一般公衆向けのサービスとして1996年11月に歴博の公式Webサイトが開設されましたが、そのとき同時に、「江戸図屛風」の比較的詳細なデジタル画像を公開しました[05]。日本の博物館美術館では先駆的な試みのひとつであったと思います。
 「江戸図屛風」の最も高精細な写真は、4インチ×5インチサイズのフィルム48枚で撮影されています。これをフィルムスキャナでスキャンしてデジタルデータ化し、 900×700画素の画像432枚(48枚の画像を3×3分割)として提供しました。実資料に対する解像度は80dpi程度でした(図2)。WWW(World Wide Web)が持つ、画像と文章をレイアウトした「ページ」を伝送できる機能は、まさに博物館のためにあるような仕掛けであり、これを生かすコンテンツとして考えたものです。しかし当時の通信環境では、900×700画像1枚の伝送に2~3分かかる場合もあり、いささかやりすぎであったかもしれません。また、見たい対象がちょうど写真のつなぎ目にあたってしまう(例えば図2の例では日本橋が写真のつなぎ目にかかっていてうまく見えない)こともあり、いつかこれを解決したいと考えていました。

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図2 歴博Webサイトにおける江戸図屛風の画像の提供

 そのチャンスは2000年の夏にめぐってきました。東京ビッグサイト(東京国際展示場)において開催された「21世紀夢の技術展」(日本経済新聞社主催)[06]に、歴博は「超拡大!江戸図屛風」というデジタルコンテンツを出品しました。「江戸図屛風」のどの部分でも、研究利用に耐える解像度で画像を見られる"超拡大コンテンツ"とするために、画像に必要とされる解像度について検討を行いました。図3は、日本橋の近くにあった魚河岸を描いた部分の画像です。左がWebサイトで公開している解像度約80dpiの画像、右がフィルムを高画質でスキャンして得られた解像度約300dpiの画像です。近世史の先生を交えての議論の結果、図像に何が描かれているかを精密に読み取るためには、300dpi程度の画像が必要である、という結論に達しました。

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図3 歴史研究利用に必要な画像の解像度の検討

 そこで「江戸図屛風」の分割写真(4×5フィルム48枚)の高精細スキャニング画像から、トリミングおよび倍率・ひずみ・明るさの補正を施して合成し、96,000×22,500画素(約310dpi)のひとつなぎの画像を作成しました[07]。さらにこれを閲覧するための専用のプログラムを作成し、「超拡大!江戸図屛風」としてまとめました(図4)。

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図4 「21世紀夢の技術展」における「超拡大!江戸図屛風」

 このシステムは、マウスなど一般のポインティングデバイスから利用することができますが、大型タッチパネルディスプレイからの利用を想定して開発されています。大型タッチパネルディスプレイを利用することで、手の動きと画面の動きを合わせやすく自然な感覚で操作ができることと、身体を大きく動かして操作することで利用者の積極的な態度や強い印象を引き出せることとを狙ったものです。

5. 超拡大コンテンツを用いた展示
 この「超拡大!江戸図屛風」は館の内外で好評を博しました。2000年秋に行われた歴博の企画展示「天下統一と城」[08]において、江戸図屛風の実資料と「超拡大!江戸図屛風」を並べて展示したところ、実際の資料で資料の質感や大きさなどを知り、肉眼で見づらいところを超拡大コンテンツで確認する、という使い方が有効であることがわかりました。以来、展示室において超拡大コンテンツを使用する場合は、なるべくもとの資料と合わせて出展するようにし、画像が先行して資料の見方が"頭でっかち"にならないように注意しています。
 また、江戸図屛風以外の資料についても、超精細画像を撮影してデジタル化し、超大画像自在閲覧システムbyobu.exe(「超拡大!江戸図屛風」の後継ソフトウエア)を用いて閲覧する「超精細デジタル資料」を積極的に制作するようになりました(図5)。

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図5 byobu.exeによる超拡大コンテンツの例

2000年以降2014年度までに、のべ63種類の超精細デジタル資料が制作され、この期間に開催された企画展示・特別展示・館外共催展示74件のうちほぼ半数(のべ39件)で利用されました。
 2008年に全面的なリニューアルが行われた常設の第3展示室(近世)においては、新たにbyobu32x.ocx[09]が開発され、28台ある情報端末のうち22台において、byobu32x.ocxによる超精細デジタル資料の提供が行われています(図6)。

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図6 第3展示室情報端末における超大画像自在閲覧機能の提供

 このように歴博では、資料のどこでも明るく・大きく見ることのできる超拡大コンテンツが、常設展・企画展のいかんを問わず、展示の主要な要素として導入され利用されています。おそらく、あまり技術的な難しさを利用者に感じさせず、もっと明るく大きく見たい、という自然な要求に素朴に応えているところが、支持されている理由ではないかと考えています。

6. 超拡大コンテンツ技術の可能性-準3次元表示を例に
6.1. 江戸の髪形かつら資料
 超大画像自在閲覧システムbyobu.exeは開発から15年あまり歴博の展示における中核のひとつとして機能し続け、さまざまな内容のコンテンツに対応するため、byobu.exeの改善と機能拡張が継続的に行われました。

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図7 江戸の髪形かつら資料の準3次元表示

 例えば図7は、2002年夏に開催された歴博の企画展示「男も女も装身具-江戸から明治の技とデザイン-」[10]に出展した、準3次元表示と呼んでいる「まわして見られる超拡大コンテンツ」の例です。題材は江戸時代の女性の代表的な髪形を示したかつら資料です。簪などの髪飾具や特徴的な髪の結い方について、前からも横からも後ろからもよく見たい、という要望から開発しました。まず、かつら資料をターンテーブルの上に置き、少しずつ回転させながら、各資料につき2度おきの画像180枚をデジタルカメラで撮影します。次に、これらの画像に角度情報を加えて、180個の超精細デジタル資料を作ります。最後に、byobu.exeを改造して、かつら資料の回転を指示するためのインターフェイス(スライドバーならびにボタン)を追加し、指定した角度に対応するデジタル資料を次々と切り替えて呼び出すようにしました。これで、これまでの画像の拡大と移動の機能に加えて、資料の回転という自由度が加わったことになります。もう少し撮影枚数を減らして、途中の画像を画像処理の技術(モーフィングなど)で機械合成する方法もありますが、表示されるどの画像も(架空の画像でない)実際の資料撮影画像となるように考えて作成しました。
6.2. 蒔絵万年筆資料
 準3次元表示が最も効果を発揮した例として、2016年春に開催された歴博の企画展示「万年筆の生活誌-筆記の近代-」[11]に出展した、歴博所蔵の蒔絵万年筆資料のコンテンツをご紹介します。
 19世紀に実用的な万年筆がアメリカで完成すると、日本でも明治時代の終わりごろから国産化が進みましたが、万年筆の胴体に使われたエボナイトは、硬くかつ成型が容易という利点の半面、紫外線に弱く汗などに反応して変色する弱点がありました。そこで日本では、エボナイトの表面を保護するために漆が用いられるようになり、さらに色漆・蒔絵・螺鈿細工などによる装飾を施した美麗な万年筆が作られ国際的に好評を博しました。企画展示では、民俗学をベースにさまざまな観点から万年筆が取り上げられましたが、職人の優れた技を来館者に知らせる上で、歴博が所蔵する蒔絵万年筆資料をよりわかりやすくかつ美しく展示する工夫が必要となりました。
 万年筆は小さい資料です。長くてもせいぜい20cm弱、多くは14,5cm程度、太さは最も太いものでも2cmほどで、1cmに満たないものも多くあります。微小な細工が施されたものゆえ、なるべく資料の近くであらゆる角度から眺めてお楽しみいただきたいのですが、残念ながら実際に資料を手にして見ていただくことはできません。そこで、万年筆の高精細デジタル画像を撮影し、これを自由に閲覧してもらおうと考えました。
 任意の角度から見た万年筆の画像を撮影するための簡単な撮影補助装置(図8)を制作しました。下側は回転ステージになっていて、100分の1度の単位で正確に角度を指定して回転させることができます。上側はねじになっていて、これを回して万年筆を上下から挟みます。小さいプーリー(網戸の戸車などに用いられる、軸の部分が自由に回る小さい車)を万年筆の押さえに使うことで、ねじりの力が極力万年筆にかからないようにしています。また、万年筆の当たる部分にスポンジ(家具の足に貼り付けて床が傷つくのを防ぐもの)を貼り、万年筆をしっかり固定するとともに、万年筆が傷つかずかつ滑らないように工夫しました。

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図8 万年筆撮影用の治具

 文化財写真専門のプロカメラマン(本館職員)がデジタルカメラ(Nikon D810)を用いて撮影を行いました。黒地の上に光沢のある樹脂面を持つ蒔絵は、周辺の環境光がそのまま映り込んでしまいます。そこで不要な映り込みを避けるため、暗幕で周囲を覆い、照明は上からストロボ光で与えるようにしました(図9)[12]

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図9 万年筆の撮影環境

 万年筆は、5度刻みで回転させ、1資料あたり72枚のマルチアングル画像を撮影しました(図10)。回転の操作を筆者が担当したのですが、万年筆を撮影して、回して、また撮影して、という一連の作業をミスなく行うためにはかなり集中力が必要でした。回転のスピードが速すぎると、上下で挟んでいるところが滑って正確な角度が出なくなりますし、逆に遅すぎると、撮影時間がかさんでしまいます。また、間隔を置かず点灯するストロボライトに相当の負担がかかることもわかり、想定していたよりもずいぶん苦労して撮影を行いました。

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図10 撮影した万年筆の例(72枚)

 撮影したマルチアングル画像をもとに、作成した万年筆の準3次元表示コンテンツの画面を図11に示します。映り込んでいるスポンジの除去は手作業で行いました。美しい蒔絵や螺鈿の細工をすべての方向から高精細に熟覧することができ、展示に大きく貢献することができたと思います[13]。

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図11 万年筆資料の準3次元表示コンテンツ


6.3. 錦絵版木資料
 準3次元表示の少し変わった応用についてもご紹介します。2008年に開催した歴博の企画展示「錦絵はいかにつくられたか」[14]では、多色刷りである錦絵の版木を展示しましたが、これに合わせて、版木の凹凸をよりわかりやすくご紹介するために、準3次元表示の仕掛けを応用した超拡大コンテンツを作成しました。
 版木とそれを撮影するコピースタンドをまるごとターンテーブルに載せ、一方向から光を当てます(図12)。すると版木の凹凸によって影が現れるので、この影を含めて版木を撮影します(図13)。ターンテーブルを回すと、光の当たる方向が変わるので、影の出方も変わります[15]

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図12 版木の撮影方法

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図13 撮影した版木

 このようにして撮影した画像から作成した超拡大コンテンツを、準3次元表示と同じ要領で切り替えてやる(byobu.exeを改造し、光の方向を選んで切り替えられるようボタンを追加しました)ことで、版木の凹凸を実感することができるようにしました(図14)。

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図14 光の当たる方向を変えて版木の凹凸を確かめられるコンテンツ

回転しているのは資料ではなくて照明というわけです。さらに撮影枚数を増やせば、連続的に照明の方向を変えて表示させることも可能でしょう。資料表面に微妙な凹凸のあるものや、金属やガラスなどの独特の光沢を持つ資料に対して、この方法は有効であると考えています。

7. 超拡大コンテンツをインターネットで楽しむ時代にあって
 超拡大コンテンツがスムーズに動作するためには、高精細の画像データに高速にアクセスする必要があります。現在のインターネットは、高品質の動画像再生にも耐える高速なものをワイヤレス通信で利用できるようになりました。これを受けて2000年代の終わりごろから、Zoomify[16]やDeepZoom[17]などの、インターネット経由で利用できる高精細画像の配信・表示技術が利用できるようになってきました。IIIF[18]はこれらの技術を踏まえて、画像の権利に関する情報などまで含めてやりとりできるようにすることで、超拡大コンテンツの「健全な利用」を促進しようとするムーブメントと見ることもできるかと思います。
 2018年にウェールズ国立博物館で行われた「KIZUNA: JAPAN|Wales|Design」展[19]では、スマートフォンやタブレット端末で利用できる江戸図屛風の超拡大コンテンツを出展しました(図15)。これはDeepZoom形式の画像データをOpenSeadragon[20]というソフトウエアを用いて表示させています。これから新しく作成する超拡大コンテンツについては、 OpenSeadragonベースで制作していく予定です。それまでのbyobu.exeやbyobu32x.ocxが独自の画像データ形式で超高精細画像を扱っていたのに対して、IIIFでも広く利用されるDeepZoomベースの画像データに切り替えていくことで、歴博の資料画像データの標準化を図り、可用性の向上に努めていきたいと考えています。

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図15 タブレット端末上で動作する江戸図屛風の超拡大コンテンツ

 これまで展示場で公開していた超拡大コンテンツを、広くインターネットに公開していくことは意味があることであり、その普及拡大に努力していきたいと考えています。ただし、資料によっては取り扱いに注意が必要なものもあり、資料を担当する教員や当該分野の研究者との慎重な調整が必要となります。カメの歩みになってしまうかもしれませんが、広く支持を得られるように、着実に歩みを進めていきたいと思います。
 また、インターネットで公開するから、展示場ではもはや超拡大コンテンツは必要ない、ということではないと思っています。資料と人間の橋渡し役として、これからも存分に活用すべきであると考えています。

8. おわりに
 本稿では、超拡大コンテンツを中心に取り上げ、博物館とデジタルデータについて考えてみました。歴博ではこれ以外にもさまざまな種類のデジタルコンテンツを制作し、企画展示などに出展しています。別の機会にご紹介できればと思います。
 最後に「江戸名所見比べコンテンツ」というデジタルコンテンツをご紹介して、本稿を閉じたいと思います。このコンテンツは、2017年春に筆者が展示代表者を務めた歴博の企画展示「デジタルで楽しむ歴史資料」[21]に出展したもので、「江戸図屛風(江戸時代初期)」「江戸名所之絵(江戸後期)」「再刻江戸名所之絵(江戸末期)」の3つの絵図(いずれも本館所蔵)を、そこに描かれた江戸の名所に注目して比較することで、時代による景観の変遷や、目線の違い(武士目線か、庶民目線か)による描かれ方の違いを見比べることができます。

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図16 「江戸名所見比べコンテンツ」でみる品川の景観の比較

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図17 「江戸名所見比べコンテンツ」でみる増上寺の景観の比較

 例えば、図16は品川の景観の見比べの様子です。幕末の景観を描いた「再刻江戸名所之絵」には、外国船を打ち払うために設けられた「お台場」が描かれていますが、19世紀初頭の景観を描いた「江戸名所之絵」には描かれていません。お台場はまだ築かれていなかったからです。図17は芝の増上寺の景観の見比べの様子です。「江戸図屛風」は徳川幕府三代将軍家光に近しい人物が描かせたとされており、徳川家の菩提寺である増上寺が詳細に描かれているのに対し、観光地図である「江戸名所之絵」「再刻江戸名所之絵」では、目印となる建物が大きく描かれるにとどまり、目線の違いがよくわかります。
 このコンテンツでは、参照する絵図と見どころ(江戸名所)の設定は、展示の目的(3つの絵図の見比べ)に即して固定されていますが、もしこれが、インターネットなどを介して利用可能な任意のデジタルデータが、付与された情報を手掛かりに、与えたキーワードにより検索され、自動的に画面にレイアウトされて表示された結果だとしたら、と想像してみてください。わたしはこれが総合資料学の目指す、来るべき「デジタル人文学研究環境」のひとつの典型、と考えていいのではないか、と思います。インターネット上のデータが互いに組み合わされて、それを見る人の新たな発見や思索の深化を導いていく、そんなデジタルデータの活用は、人類の幸福と平和に寄与するテクノロジーのあるべき利用の姿のひとつだろう、と思うのです。


─注(Webページはいずれも2019-2-3参照)
[01]動物や植物などの生き物やその標本まで広げて考えれば、動物園、植物園、水族館ももちろん含まれます。
[02]国立民族学博物館が標本(資料)の3面撮影を網羅的に実施しているのとは対照的なスタンスといえます。
[03]財政緊縮が続く中、いつまでこの管理システムが維持できるか先行きは不透明であり、博物館として強い危機感を抱いています。
[04]資料写真の使用申請, https://www.rekihaku.ac.jp/education_research/gallery/material/procedure.html.
[05]「れきはくWEBギャラリー」, 『歴博』207, 2018年, 20-23頁, https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/rekihaku/207/witness.html.
[06]https://web.archive.org/web/20000816002038/http://www.nikkei.co.jp/events/yumetech/(Internet Archiveより).
[07]その後修復が行われたのを機会に資料の再撮影とデジタル化が行われ、約84億画素(194,874×43,089画素;解像度約630dpi)の画像が作られています。
[08]国立歴史民俗博物館編『天下統一と城(展示図録)』, 2000年, https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/001003/index.html.
[09]超大画像自在閲覧機能が組み込まれたInternet Explorer用プラグインソフトとして開発されました。byobu.exeにはない、画面のレイアウト機能を有しています。
[10]国立歴史民俗博物館編『男も女も装身具-江戸から明治の技とデザイン-(展示図録)』, 2002年, https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/020723/index.html.
[11]国立歴史民俗博物館編『万年筆の生活誌-筆記の近代-(展示図録)』, 2016年, https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/160308/index.html.
[12]このような撮影の工夫は、カメラマンの知識と経験によるところが大きく、博物館におけるカメラマンの重要性は、いくら強調しても足りないと感じています。あちこちでデジタルアーカイブの重要性が唱えられていますが、一番重要な情報の入口としての資料撮影について、欠かざるべきインフラストラクチャとしての認識を共有できればと思います。
[13]このマルチアングル画像を使って、万年筆を切り開くようにして図案を平面に表した展開図の作成も行いましたが、本稿では割愛しました。ご興味のある方は、「蒔絵万年筆資料のマルチアングル画像撮影ならびに展開図作成のための技術開発」(『国立歴史民俗博物館研究報告』206、2017年、39-59頁、http://doi.org/10.15024/00002334)をご参照ください。
[14]国立歴史民俗博物館編『錦絵はいかにつくられたか(展示図録)』, 2009年, https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/090224/index.html.
[15]こうして撮影した画像から、版木の凹凸を求め、さらにそれを用いて、この版木で実際に刷るとどのような絵が現れるかの再現が、奈良先端科学技術大学院大学の眞鍋佳嗣准教授(当時;現千葉大学大学院教授)によって試みられました。詳しくは眞鍋佳嗣「画像計測による錦絵の再現」(国立歴史民俗博物館編『錦絵はいかにつくられたか(展示図録)』2009年、70-73頁)をご参照ください。
[16]Zoomify, http://www.zoomify.com/.
[17]DeepZoom, https://www.microsoft.com/silverlight/deep-zoom/.
[18]IIIF, https://iiif.io/. 日本語による解説は、永崎研宣氏(人文情報学研究所)によるブログ記事「今、まさに広まりつつある国際的なデジタルアーカイブの規格、IIIFのご紹介(2016-04-28)」、http://digitalnagasaki.hatenablog.com/entry/2016/04/28/192349がわかりやすいです。
[19]KIZUNA: Japan | Wales | Design, https://museum.wales/cardiff/whatson/10055/KIZUNA-japan--WALES--design/.
[20]OpenSeadragon, https://openseadragon.github.io/.
[21]国立歴史民俗博物館編『デジタルで楽しむ歴史資料(展示図録)』, 2017年, https://www.rekihaku.ac.jp/exhibitions/project/old/170314/index.html.


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【全体目次】

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ご挨拶○新たな学の創成に向けて(久留島 浩)
はじめに(後藤 真)
chapter1 人文情報学と歴史学
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
chapter2 歴史データをつなぐこと―目録データ―
山田太造(東京大学史料編纂所)
chapter3 歴史データをつなぐこと―画像データ―
中村 覚(東京大学情報基盤センター)
●column.1 画像データの分析から歴史を探る―「武鑑全集」における「差読」の可能性―
北本朝展(ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター/国立情報学研究所)
chapter4 歴史データをひらくこと―オープンデータ―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter5 歴史データをひらくこと―クラウドの可能性―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter6 歴史データはどのように使うのか―災害時の歴史文化資料と情報―
天野真志(国立歴史民俗博物館)
●column.2 歴史データにおける時空間情報の活用
関野 樹(国際日本文化研究センター)
chapter7 歴史データはどのように使うのか―博物館展示とデジタルデータ―
鈴木卓治(国立歴史民俗博物館)
chapter8 歴史データのさまざまな応用―Text Encoding Initiative の現在―
永崎研宣(人文情報学研究所)
chapter9 デジタルアーカイブの現在とデータ持続性
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
●column.3 さわれる文化財レプリカとお身代わり仏像―3Dデータで歴史と信仰の継承を支える―
大河内智之(和歌山県立博物館)
chapter10 歴史情報学の未来
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
おわりに

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