column.2 歴史データにおける時空間情報の活用(関野 樹)★『歴史情報学の教科書』全文公開
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歴史データにおける時空間情報の活用
関野 樹(国際日本文化研究センター)
1. 歴史データのための空間情報基盤
Google MapsのようなWebブラウザで手軽に扱える地図アプリの普及により、研究者のみならず、社会一般でも空間情報が身近なものとなっています。さらに、距離や標高、面積などの空間情報に基づく高度な解析を行うための本格的な地理情報システム(Geographic Information System (GIS)例:ArcGIS[01]やQGIS[02]など)も、さまざまな研究分野で活用が進んでいます。ところが、これらは現代の情報を扱うことを前提としているため、歴史データを地図アプリやGISで扱おうとすると、相応の工夫が必要となります。
地図アプリも含め、GISで扱われる情報は、場所を緯度経度で表すことが前提です。現代であれば、カメラなどのさまざまな機器にGPS(Global Positioning System)が内蔵され、そこから緯度経度を直接得ることができます。また、住所を緯度経度に変換するための地理参照サービスが民間や研究機関から提供されています。
一方、歴史データで場所の手掛かりとなるのは主に地名ですが、それらの緯度経度を得るのは容易ではありません。村や字などの地名は統廃合などにより、頻繁になくなったり変わったりします。社寺、城、橋、道といった建物や人工物も場所を特定する手掛かりになりますが、これらも場所や名称が変わります。山や島などの自然地形は、名称こそ変わるものの、場所が変わることはありません。ただし、川や池は、治水や用水のためにしばしば場所も変わります。歴史データにおいて地名は場所を特定する重要な手掛かりではありますが、それらが実際にどの場所を指すのかは、当時の史料などを使って確認する必要があります。
こうした、歴史データでの地名の扱いを解決する取り組みとして、歴史地名辞書の構築が行われています。2018年3月に人間文化研究機構から公開された歴史地名辞書[03]では、大日本地名辞書(吉田東伍編纂、1900年刊行)や、陸軍陸地測量部(国土交通省 国土地理院の前身)が明治から昭和初期にかけて発行した5万分の1地形図などが当時の地名とその場所を特定するための資料として用いられました[04]。結果として、約30万件の近代(明治・大正)の地名が収録されました。これらには、明治期まで残っていた江戸末期の地名も含まれていると考えられます。適用可能な時代こそ限られているものの、歴史データをGISで可視化したり解析したりするには欠かせない基盤データです。
発掘調査や文化財情報のデータも、場所の特定に利用することができます。遺跡などが存在する土地で土木工事が行われる際には、埋蔵文化財の発掘調査が行われ、それぞれ報告書が作成されています。また、学術的な目的で行われた発掘調査や文化財に関する調査も多数行われており、それぞれ報告書がまとめられています。これらの報告には正確な位置情報が含まれているため、うまく活用すれば、手元の歴史データの場所を特定する手掛かりになるかもしれません。もちろん、これらの報告書には空間情報以外にも有用なデータが含まれています。こうした報告書をデータベース化して活用する取り組みが奈良文化財研究所などで行われており[05]、今後の利用拡大が期待されます。
2. 空間情報を用いた歴史研究
歴史データを扱うための基盤構築が進む一方で、歴史データを用いたさまざまな研究も展開されています。空間情報を含む歴史データといえば、まず、古地図や絵図が思い浮かぶかもしれません。絵図には、その当時に重要だったり注目されていたりする土地や建物が大きく書かれる傾向があります。これらの絵図と現代の地図と比較し、実際の面積との違いから、その当時何が注目されていたのかを知る手掛かりとする研究がなされています[06]。これには、京都の街並みや行事などを描いた洛中洛外図屛風を使った研究などもあります[07]。
歴史データを使って当時の景観や地域社会を再現する研究も盛んです。古写真を使った研究では、撮影された場所や方角をその時代の地図上で特定し、当時の景観を復元した研究があります[08]。こうした古写真を使った研究を支援するため、古写真と現在の景観をタブレット端末上で直接照合するアプリの開発も行われています[09]。また、当時の城下町の様子[10]や都市形成の過程[11]を再現する研究、過去の人口の分布や移動を再現する研究でも、空間情報は欠かせないものとなっています。さらに災害の状況を復元する研究、例えば、津波や洪水による浸水域を、古記録、発掘データ、地形図を使って再現した研究が多数行われています。これらは、単なる学術研究としてだけではなく、防災という点から現代のわれわれの生活に大きな意義を持つものとなっています。
3. 歴史データのための時間情報基盤
空間情報と同様に、歴史データを扱う上では時間情報も重要です。時間情報では西暦が時間軸上の共通の座標として用いられます。一方、国内の歴史データでは、時間は和暦で示されています。これらを西暦に変換するためには、対応表やWeb上の変換サービスなどが利用可能できます(HuTime暦変換サービス[12]など)。ただし、少々注意を要するのが「西暦」の定義です。西暦と称しているものには閏年の置き方が異なるグレゴリオ暦(400年間で97回の閏年)とユリウス暦(400年間で100回の閏年)があり、現代ではグレゴリオ暦が標準となっています。グレゴリオ暦が使われ始めたのは、1582年10月15日からですが、ユリウス暦から一斉にグレゴリオ暦に切り替わったわけではなく、その時期は国により異なります。また、実際にグレゴリオ暦が使われる以前にさかのぼってグレゴリオ暦を適用する時間表現の方法(先発グレゴリオ暦)もあります。16世紀以前の日付を変換する際には、どの「西暦」に変換するのかを統一しておかないと、前後関係に矛盾が生じる場合があります。
時間の前後関係は因果関係の傍証となることもあり、歴史データで時間情報を使った研究事例は枚挙のいとまもありません。近年は、従来の歴史研究だけでなく、地質学、地球化学、生物学などの自然科学系の分野と連携することにより、古地震や古気候の研究も盛んに行われるようになっています。これらの研究の進展には、分析技術などの発達により、自然科学系のデータの時間解像度が古記録などの歴史データと対応できるようになってきたことも大きく寄与しています[13]。一方で、こうしたさまざま分野のデータを時間に基づいて解析する技術が一般化されておらず、空間情報におけるGISのような仕組みが時間情報ではありません。このため、時間情報の可視化や解析を行うための統合的な環境の開発を目指した研究(時間情報システムHuTime[14]など)が進められています。
ここまで述べてきたように、歴史データでは、空間情報でも時間情報でも、現代のデータとは精度や情報量の点で大きな違いがあります。このため、現代のデータを処理することを前提に作られたGISなどの解析環境がそのまま使えるとは限りません。地図上にデータを表示するだけでも膨大な手間が必要となることもあります。それゆえ、「歴史データを使って何を明らかにしたいのか」を明確することが重要です。その上で、目的やデータの特性に応じた可視化や解析の方法を工夫することが、歴史データを使った研究では必要となります。
─注(Webページはいずれも2018-10-8参照)
[01]Esriジャパン,"ArcGIS", https://www.esrij.com/products/arcgis/.
[02]QGISプロジェクト,"QGISプロジェクトへようこそ!",https://www.qgis.org/ja/site/.
[03]人間文化研究機構,"歴史地名データ",https://www.nihu.jp/ja/publication/source_map.
[04]関野樹・原正一郎「デジタル歴史地名辞書の公開とその活用」、『研究報告人文科学とコンピュータ(CH)』2018-CH-118(9)、2018年8月、1-4頁。
[05]奈良文化財研究所,"データベース",https://www.nabunken.go.jp/research/database.html.
[06]塚本章宏「近世京都の刊行都市図に描かれた空間」、HGIS研究協議会編『歴史GISの地平』、2012年3月、121-130頁。
[07]塚本章宏「GIS を用いた歴博甲本洛中洛外図屛風に描かれた空間の定量的分析」、『情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH)』2008(47(2008-CH-078))、2008年5月、53-60頁。
[08]西村陽子・北本朝展「『乾隆京城全図』と古写真を用いた北京古景観の再現」、HGIS研究協議会編『歴史GISの地平』、 2012年3月、95-107頁。
[09]北本朝展・西村陽子「Digital Criticism Platform: エビデンスベースの解釈を支援するデジタル史料批判プラットフォーム」、『人文科学とコンピュータシンポジウム論文集:じんもんこん2015』2015年12月、211-218頁。
[10]平井松午「洲本城下絵図のGIS分析」、HGIS研究協議会編『歴史GISの地平』、 2012年3月、109-120頁。
[11]柴山守「ハノイ都市形成過程:GIS-4D分析」、HGIS研究協議会編『歴史GISの地平』、 2012年3月、177-188頁。
[12]関野樹,"HuTime暦変換サービス",http://www.hutime.jp/basicdata/calendar/form.html.
[13]中塚武「高分解能古気候データを用いた新しい歴史学研究の可能性」、『日本史研究』 646、2016年6月、3-18頁。
[14]関野樹,"時間情報システムHuTime",http://www.hutime.jp/.
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【全体目次】
ご挨拶○新たな学の創成に向けて(久留島 浩)
はじめに(後藤 真)
chapter1 人文情報学と歴史学
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
chapter2 歴史データをつなぐこと―目録データ―
山田太造(東京大学史料編纂所)
chapter3 歴史データをつなぐこと―画像データ―
中村 覚(東京大学情報基盤センター)
●column.1 画像データの分析から歴史を探る―「武鑑全集」における「差読」の可能性―
北本朝展(ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター/国立情報学研究所)
chapter4 歴史データをひらくこと―オープンデータ―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter5 歴史データをひらくこと―クラウドの可能性―
橋本雄太(国立歴史民俗博物館)
chapter6 歴史データはどのように使うのか―災害時の歴史文化資料と情報―
天野真志(国立歴史民俗博物館)
●column.2 歴史データにおける時空間情報の活用
関野 樹(国際日本文化研究センター)
chapter7 歴史データはどのように使うのか―博物館展示とデジタルデータ―
鈴木卓治(国立歴史民俗博物館)
chapter8 歴史データのさまざまな応用―Text Encoding Initiative の現在―
永崎研宣(人文情報学研究所)
chapter9 デジタルアーカイブの現在とデータ持続性
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
●column.3 さわれる文化財レプリカとお身代わり仏像―3Dデータで歴史と信仰の継承を支える―
大河内智之(和歌山県立博物館)
chapter10 歴史情報学の未来
後藤 真(国立歴史民俗博物館)
おわりに