2025年12月におこなわれたオンライン学術シンポ「動物とかたち――漢魏晋南北朝の文化と思想」について、視聴者から寄せられた感想・質問に対して、登壇者が回答いたします。

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2025年12月におこなわれたオンライン学術シンポ「動物とかたち――漢魏晋南北朝の文化と思想」について、視聴者から寄せられた感想・質問に対して、登壇者が回答いたします。

※2023~25年に実施したシンポの内容は書籍化を予定しています(2023「古代中国の祥瑞文化と図像」、2024「吉凶とかたちー古代東アジアの自然観と動物観ー」、2025「動物とかたち――漢魏晋南北朝の文化と思想」)。


◆回答者:【発表①】高芝麻子(横浜国立大学)

Q1:大変興味深いお話ありがとうございました。
猫の質問ではなく恐縮なのですが、話の冒頭で犬と化け犬の話があり、犬の異類婚姻譚や「犬はすぐに怪異を起こす」という話がありました。日本ではイエイヌに関してあまりそのような話は耳にしませんが、中国では野犬や狂犬病などで犬と死のイメージが近かったということなのでしょうか。

A1:ご質問ありがとうございます。犬と死の関わりについて私が依拠したのは松本信廣氏と鈴木健之氏のご研究です。松本信廣氏は「犬が龍と密接に考えられ、水の神の信仰に関連されて連想されてくる」(「槃瓠伝説について」『日本民族文化の起源第三巻 東南アジア文化と日本』所収、講談社、一九七八年、初出は『東京人類学会・日本民族学会連合大会第四回紀事』、一九四〇年)、「黄泉と云つて冥界を泉と観じた古代支那人は犬が水と縁故のある動物でなければ之に地下界への案内の役を託さなかつたであらう」(「槃瓠伝説の一資料」『加藤博士還暦記念 東洋史集説』所収、冨山房、一九四一年)と指摘して、犬・龍・水神・黄泉というイメージの繋がりを想定しておられます。鈴木健之氏は松本氏に賛同し、「見えざる世界を探知する」という犬の嗅覚により、犬は「死後の世界、人知を超えた霊の世界」からの使者であり、「霊妙な神獣」とみなされていたとも論じています(「古代における導犬の観念について」『東京学芸大学紀要 第2部門 人文科学』第30集、一九七九年)。ただし、ご指摘の通り、犬の全体的なイメージを考えていく上では、狂犬病などについても検討する必要はあろうかと思います。『春秋左氏伝』伝襄公十七年に「国人逐瘈狗」(人々は狂犬(瘈狗)を追い回した)とあるように、狂犬病の危険性が認識されていたのも間違いありません。ご指摘を踏まえ、犬についてもより深めてまいりたく存じます。
 なお、犬のイメージの変遷を含む犬文化については桂小蘭『新装版 古代中国の犬文化 食用と祭祀を中心に』(大阪大学出版会、二〇〇五年)に大変詳しく書かれています。桂先生によれば、犬のイメージは六朝ごろまでは畏敬の念が強くあったものの、次第に変遷していき、南宋ごろには汚れたものと認識されるようになっていたそうです。そういう側面から見ても猫と大きく異なるイメージの変化には、興味深いものがあります。


Q2:唐代のリビアヤマネコ系の猫には「外国、特に西域から来た」というイメージはあるのでしょうか。

A2:ご質問ありがとうございます。隋唐の猫に関する記事で明確に「外国、特に西域から来た」ものという扱いをされている例は思い当たらないので、もしかしたらあるとき急に導入されたのではなく、数百年かけて次第に伝播してきたものであるのかもしれません。そうであれば、エキゾチックな存在とは感じられず、土着の生き物のように受け入れられることになっただろうと想像されます。ただし、宮中で則天武后が鸚鵡と猫を一緒に飼っていたのは、やはり希少で高級な外来生物というイメージがあったからかもしれません。その点を踏まえ、今後検討していく必要がありそうです。
 また、宋代以降には次第に毛色や瞳の色の珍しい猫がもてはやされるようになり(北宋・銭易『南部新書』巻七など)、時として権力者に飼い猫を奪われまいと抗って死んでしまう人がいたり(清・徐岳『見聞録』巻二「義猫」など)、毛色を偽って大金をだまし取る詐欺が行われたり(明・馮夢龍『智嚢補』巻二七「千紅猫」など)という逸話が語られています。一部の猫は貴重な飼育動物とみなされるようになっていたわけです。その貴重な猫のひとつ、「獅猫」と呼ばれる長毛の猫などは、西から来た舶来の猫とする説もあります(清・黄漢『猫乗』に見える清・張孟仙の注釈など)。このような語られ方から想像するに、猫は隋唐以降も様々なルートで繰り返し持ち込まれてきたのだろうと思われます。


Q3:興味深く、また楽しく拝聴しました。狸と猫とが別な動物であったのか、同じだったのか気になります。狐狸はキツネとタヌキと書いている漢和辞典もあって(『新字源』など)、混乱します。先秦は、いずれにしても「四つ足」という感じで、大差なく認識されていたと考えるのが自然なんでしょうかね。

A3:ご質問ありがとうございます。猫を意味する語(文字)については、注釈や先行研究も多く、ご指摘の通り、大変複雑です。実際に用例をたどり、分類しようとしても、時代・地域などによっても恐らく差異があり、さらには、同じ人物でも「猫」「狸」「狐狸」を併用して使い分けていないように見えたり、文脈により同じ語を別の意味で使っていたりと、もともと「柔軟」な語であったため、端的に説明するのは難しいと言わざるを得ません。とはいえ、「狸」についていえば、少なくとも六朝ごろまでは「鼠などを捕食する雑食・肉食の中型の哺乳類群」が中心的な意味合いだったのではないかと思います。隋唐以降、ネコだけ独立し、曖昧で広範な「狸」とは異なる文脈で語られるようになっていったため、「狸」はネコであるのか違うのかというそれまでにはあまり意識されなかった区分の問題が生じ、より一層複雑さを増したのではないかと考えています。


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◆回答者:【発表②】楢山満照(女子美術大学)

Q1:猿への印象の、現代と古代の違い、古代における『猿』とはなにか・どのような存在かというお話、大変興味深く拝聴しました。
 「猿は神仙的であり、世俗的存在として描かれている」いうお話を伺い、壁画は人を猿に置き換えて描いたものなのか?だとすれば何故、猿に置き換える必要があったのか?という疑問が湧きました。
 人を描いてはいけない事情があったのか?人を猿(あるいはその他の動物)に置き換えることが流行りであったのか?
 カクの話では、異類婚姻譚から異民族による誘拐結婚との読解を伺い、どの国にも似たような話があるのだなと感じました。

A1:ご質問、ご指摘ありがとうございます。
 つたない発表であり、私の説明が不足していた部分も多かったかと思います。漢代のサルは仙界のイメージが伴う享楽的な動物でもあり、そのような存在や仙界の赴くことにあこがれるのは当時の民衆たちの世俗的な願望といえます。よって発表の中では「神仙的かつ世俗的なイメージ」という言い回しを用いました。壁画や画像石のなかで人間をサルに置き換えているというわけではなく、あくまでも願望の表象としてサルが登場する、と私は考えています。人間に見た目が似ているため、率直な願望がサルの姿に投影される、ということはあったかもしれません。
 世俗的な願望を投影した存在でありながら、おっちょこちょいでいたずら好き、物を盗んで逃げていく、などのネガティブなイメージもつきまとい、そうした人に類した二面性も、画像としてモチーフに選ばれる理由なのだと考えます。


Q2:四川画象石を分析されたご報告,ありがとうございました.猴は関中辺縁に位置する旬邑県の後漢時代の壁画墓では,馬とともに描かれており,猴が馬を蘇生させたという『晋書』郭璞伝の記述を想起させます.猴の神異性でしょうか.魏晋以降,この壁画墓など関中の影響下に河西の画像塼墓や壁画墓が営まれますが,永昌の乱墩子灘一号墓や,酒泉丁家閘五号墓などでもモチーフに選ばれます.とくに後者ではご承知のように,裸女とともに描かれ,神異性が保持されたままだったと思われますが,先生のお考えをうかがいたくぞんじます.

A2:ご質問とともに多々ご教示くださり、ありがとうございます。勉強不足ゆえ、私は後漢の、その中でも四川の画像石を主体とした作例しか把握できておらず、ご指摘は大変勉強になりました。
 発表でも紹介しましたように、後漢の成都の作例でサルと馬組み合わせを確認することができ、私は「サルが馬にちょっかいを出してからかっているようだ」と説明いたしました。この組み合わせに何か理由や意図があるようにも思うのですが、いまだ明確な答えにたどりつけておりませんでした。魏晋以降、文献でも猴と馬の組み合わせが出てくるのは大変興味深く、裸女とともに登場する作例もそうですが、私はやはり、サルの神異性は漢代から永続していたと考えます。金絲猴など、深山に棲んで、なおかつ人に似て高貴な雰囲気をまとうサルは、異界のイメージをまとう動物だったのではないでしょうか。
 その一方で、おっちょこちょいでいたずら好き、物を盗んで逃げていく、などのネガティブなイメージもつきまとい、そうした人に類した二面性も、画像としてモチーフに選ばれる理由なのだと考えます。


Q3:たいへん楽しく拝聴いたしました。(前半、画面共有のトラブルがありましたので、何らかの形で前半のスライド画像を共有していただければと思います。)
 発表スライド画像の中に出てきた「異獣」はサイのようにも見えますがいかがでしょうか?白居易の新楽府に「馴犀」があり、南方より献上されるサイ(通天犀)について詠じられておりますし、「通天犀」については『抱朴子』に記述があることが指摘されております。
 また、「人心に感応する」という点について、文学的な視点だと、擬人法のようなレトリックとも相関しているのかなと考えました。例えば、杜甫の「春望」の「恨別鳥驚心」の「鳥」について、鳥を主語として擬人法で読む立場があります。猿でいうと杜甫の「登高」の第一句「風急天高猿嘯哀」も同様の解釈があります。「義心と音色に涙する猿」の画像を見ると、このような擬人法(あるいは天人相感応すというような思想)は儒教道徳の枠組みの中にあるのかなという印象を受けました。(これは感想です。)

A3:ご質問、ご指摘ありがとうございます。
 ご指摘のように、「異獣」はサイである可能性は大いにあるように思います。摩滅により画像が不鮮明ではありますが、日傘(天蓋?)のようなものを持つ人物はおそらく南方系異民族であり、サイやゾウである可能性が考えられます。ただ、前脚上部に翼のような表現もみられ、想像上(あるいは伝説上)の大型有翼獣なのかもしれません。
前漢時代の南越王墓からは明らかにサイをかたどった玉器が出土しており、後漢時代の特に南方では、サイの姿態はある程度知られていたと私も考えます。


Q4:スライドの表示に不具合があったが、オンラインの都合上仕方のない事と思う。いくつかの理由が複合しているケースがほとんどだから、リアルタイムでの修正には基本的に時間がかかる。今回のケースでは報告が入ってから修正まで十分な早さだったように思う。
 異民族の表象としてのサルと言う観点に目を開かされた。敷衍して考えれば、人間が自分たちと似た「異」の表象として何を選択したかによって、その民族の世界観を推し量ることも可能かもしれない。人間を人間たらしめるものは何か、また華夷思想以外にどのような理由を持って排斥するのかという問題について大きな示唆を与えてくれた。

A4:ご指摘ありがとうございます。
 画面共有のトラブルについては、大変ご迷惑をおかけしました。発表内容をご理解いただくうえで、ご不便をおかけしました。申し訳ありません。
 サルは身近な動物の中でも特に人間に見た目が似ているため、一般民衆の率直な願望がその姿に投影される、ということがあったのだと私は考えます。発表でも触れたように、仙界のイメージを投影させたポジティブな存在であり、同時に、おっちょこちょいでいたずら好き、物を盗んで逃げていく、などのネガティブなイメージもつきまとう存在でもあり、そうした人に類した二面性も、画像としてモチーフに選ばれる理由なのだと考えます。
 異民族の表象である点に関しては、ネガティブなイメージが投影された例です。自他を区別し、いわば「マウント取り」のような使い方でサルの図像を用いています。ご指摘の通り、「華夷思想以外にどのような理由を持って排斥するのか」という問題について、私は漢代画像の例からこれからも考察していきたいと思います。今回のご指摘につきましては、私のほうこそ気づかなかった観点に目を開かされました。ありがとうございました!


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◆回答者:【発表③】齋藤龍一(東京芸術大学)

Q1:今回も貴重な講演を聴く機会を作って頂き、ありがとうございます。以前フクロウについてのお話があった時、漢代において殷代の青銅器リバイバルがあったと伺った記憶があります。仏教の影響だけでない、中国にある既存のイメージも関わっている可能性があるのではないかと今回お話があったので、その事が関わる事もあったのでしょうか。回答頂けると幸いです。よろしくお願いします。

A1:ご質問ありがとうございます。象の図像について、漢時代に青銅器のリバイバルがあったという指摘や研究は、管見の限り見たことがありません。フクロウとは異なる図像的展開をしたのだろうと思われます。


Q2:西洋の古代から中世にかけての象についての博論を書いたものですから、大変興味深くご発表を拝聴いたしました。塔を背に乗せる象、神や英雄的存在の乗り物としての象、駱駝とセットで登場する象など共通する部分が非常に多く、また本物を見ることがなくなった時代に描かれるデフォルメされた象の姿に、東西で非常に似たものが多く見られることなど、色々と勉強させていただきました。お聞きしたいことは山のようにあるのですが、大きくは以下の三点です。

1)歴史書、仏教教典に現れる象について挙げてくださっていますが、象の生態などについての言及はあるのでしょうか。西洋ではアリストテレスがアレクサンドロス大王の東征によって実見された象の情報を元に生態について詳しく書いていますし、時代はかなり降りますが医学者ガレノスは実際に象の解剖も行っているのではないかと言われています。象の薬効についてもさまざま記述があります。中国では象についての生物学的情報についての記録があるのかご教示いただければと思います。

2)西晋の羽の生えた象についてですが、たとえばペガサスの様に翼があるのではなく、身体中に小さな羽が描かれているという理解でよいのでしょうか。天翔るということであれば大きな翼を持つことが自然だと思われるのですが、身体中に羽毛をつけているという記述がどこかにあるのでしょうか。あるいは、中国美術では一般的な描き方の羽が象の全身にたくさん描かれているということなのでしょうか。ちなみに西洋では古代ローマ後期になると象の全身に格子模様やハッチングが描かれることがあるのですが、それは象の皮膚の皺の様子を表そうとしているのではないかと思っています。「⽢粛・仏爺廟湾⻄晋墓画像磚⽻の⽣えた⽩象」の画像を検索しましたがうまくヒットせず、ご発表のスライドの記憶だけで考えたことですので、的外れの質問でしたら申し訳ありません。

3)象の図像がペルシャの装飾やヘレニズム美術を経由して入ってきたということはあるのでしょうか。先生のご発表のスライドではありませんでしたが、海馬(ヒッポカンポス)などの描かれているソグド人の墓のレリーフには象も描かれているようです。

長文になって申し訳ありません。急ぎませんのでお時間のある時にご教示願えればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

A2:ご質問ありがとうございます。象について本格的に研究したことがないため、きちんとお答えができないことをお許し下さい。

① おそらく中国古代に象を解剖したという記録は無いと思います。と申しますのも、中国南北朝時代の南朝宋(劉宋―5世紀)に成立したとされる、漢方薬の加工方法を示した雷斅『雷公炮炙論』に、「象の胆嚢」が挙げられ、胡人が白象の胆嚢を取り乾燥させて中国にもたらすと記述されています。実際には象に胆嚢は無いそうですが、中国では宋時代に入っても象に胆嚢があり、それが季節によって体内を移動する、と考えられていたようです。

② ご指摘の通り、西晋画像磚の白象にはいくつもの小さな羽があります。象の羽に関連する文献史料は管見の限りみあたりません。古代ローマ後期、象の全身に格子模様やハッチングが描かれ、それが象の皮膚の皺を表そうとしているというご見解は大変参考になります。そもそも象に羽を生えさせる必要も無く(羽が無くとも神仙世界の乘物として描かれている)、ひよっとすると西方からなんらかの非仏教的意匠が影響を及ぼしたのかもしれません。なお中国南北朝時代以降の仏教美術における「象」には羽が無く、こうした有翼の象という図像は、(現時点では)西晋以降無くなったと考えられます。

③この点についてもご指摘通りで、中国南北朝時代のソグド人墓葬では、彼らの生活情景を描く石造浮彫屏風に象が表されています。屏風の図像は、西方からの直接的な影響を見せていることが指摘されています。
 そもそも北魏を代表する仏教石窟寺院・雲岡石窟の第9・10窟(5世紀後半)前面は列柱が並んでおり、インドのアジャンター石窟さらには、はるか西方ヨルダンのペトラをも彷彿とさせるファサードです。中国古代より、西方から様々な図像・装飾がもたらされてきたことは歴然とした事実だと思います。ただ経由地・ルートは多様で、要素が改変あるいは加除されるなど、伝播の様相は複雑です。今現在の考古資料から考えれば、ソグド人墓葬などを除き、中国で表される仏教美術以外の象の図像は、概ね中国で生み出された可能性が高いと思われます


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◆回答者:【発表④】会田大輔(明治大学)

Q1:興味深くご発表を拝聴しました。キツネが女に化けるのは、それが毛皮として使われていたことと関連性がないでしょうか。女性がその毛皮を使った衣類を所望していたことがあったという故事が頭に浮かびました(鶏鳴狗盗で著名な狐白裘)。いかがでしょうか。また男性が髪を切られたということについては、杜甫「春望」の「白頭搔けば更に短く、渾て簪に勝えざらんと欲す」が頭に浮かびました。官吏として冠がさせないことを象徴するように、官吏になれないことを髪がなくなることはやはり象徴していると思います。

A1:ご質問・ご感想ありがとうございます。狐の毛皮と女性の関連性ですが、狐の毛皮は女性だけでなく、男性も用いていました。そのため、狐=女性の主原因とは考えにくいかと思います。古代中国における禿頭と官僚については、レジュメでも引用した柿沼陽平論文が詳しく論じています。杜甫も中国の髪の象徴性が念頭にあったものと思われます。