公益財団法人本間美術館:【企画展】「南画と写生画」(2024年9月6日(金)~10月29日(火)、本間美術館・美術展示会場)
Tweet展覧会情報です。
●公式サイトはこちら
https://www.homma-museum.or.jp/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/ai1ec_event-2552/
--------------------
※詳細は上記サイトをご確認ください。
会期/2024年9月6日(金)~10月29日(火)本間美術館・美術展示会場
主催/公益財団法人 本間美術館共催/山形県・(公財)山形県生涯学習文化財団後援/酒田市・酒田市教育委員会開館時間/午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
入館料/一般/1,100円(990円)高・大学生/500円(450円)小・中学生/無料※( )内は15名以上の団体入館料上記入館料で国指定名勝「本間氏別邸庭園(鶴舞園)」「清遠閣」もご覧いただけます。
休館日/なし
中国の文人に魅せられ南宗画様式に種々の流派を取り入れ、日本独自に発展した[南画]と、円山応挙が日本絵画に中国と西洋の写生技法を融合させた[写生画]の数々を展示いたします。
江戸時代は太平の世が続き、安定した社会の中で経済が発達し、武家から庶民まで生活を楽しむことのできる時代でした。そして、芸術文化が盛んとなり、特に絵画は黄金時代と言われるほど、様々な流派が興り、多彩な才能ある画人が輩出し、それぞれ個性ある作品を遺しています。
本展では、実証主義精神が時代思潮となった十八世紀、江戸時代中期以降に画壇の二大潮流となった「南画」と「写生画」を取り上げます。「南画」は、中国の文人に憧れて、南宗画の様式を基本としながらも、北宗画や日本の様々な流派に西洋画も取り入れ、日本独自に発展した絵画です。「写生画」は、円山応挙が日本絵画の伝統に、中国と西洋の写生技法を融合させて確立した新しい絵画です。品があり分かりやすい画風は皇室から庶民にまで支持され、画壇に大変革を与えます。応挙の「写生画」は現代から見ると普通に感じてしまいますが、当時は革新的なもので、現代の日本画の源流になります。今回は画壇の二大潮流となった「南画」と「写生画」を代表する池大雅、円山応挙をはじめ系譜に連なる画人たちの作品も展示します。江戸絵画の楽しさを感じていただければ幸いです。
池大雅
池大雅(1723~1776)は、京都の銀座役人の下役・池野嘉左衛門の子。名は無名、号は霞樵、九霞山樵など。少年期より書画に才能をみせ、京都・黄檗山万福寺に出入りして中国文化に触れます。中国の古画や画譜を独学し、やまと絵や琳派など日本の諸画派や西洋画の技法を習得して、独自の画風を形成。また遠近法も取り入れ、のびやかな筆致による現実感あふれる空間を表現しました。与謝蕪村とともに日本の文人画(南画)の大成者と称されています。
福原五岳
福原五岳(1730~1799)は、備後国尾道に生まれる。上京して池大雅に師事し、後に大坂に来て大雅風を広めました。大坂では名だたる儒学者や詩人と交友があったことから、当時から画家として高い地位にあったと考えられ、人物画の名手として知られています。
円山応挙
円山応挙(1733~1795)は丹波穴太村(京都府亀岡市外)の農家に生まれ、京に出て石田幽汀について狩野派を学びました。さらに西洋画と中国画の写実法を研究。写実を重視し、清新な現実感を伝統的な装飾様式に融合させ、平明で情緒的な新様式を創造し、円山派の祖となりました。
森狙仙
森狙仙(1747~1821)は、生まれは大坂または長崎の説があります。名は守象、号は祖仙のち狙仙、霊明庵など。絵は父・森如閑斎、狩野派の山本如春斎に学んだのち、円山応挙の写実的画風に影響を受け、細密でユーモアに溢れる独自の画風を確立します。動物の絵を得意とし、特に猿絵の名手として知られ、大坂を中心に活躍しました。甥の森徹山が跡を継ぎ、森派を形成しました。
長沢芦雪
長沢芦雪(1754~1799)は江戸中期の画家。名は魚、字は氷計・引裾、別号は于絹・于州魚者。京都に出て円山応挙に絵を学び、師の画風を完璧に身につけつつも、機知にあふれた鋭い個性的な表現をみせて応挙門下に異彩を放ちました。現在は「奇想の絵師」の一人として数えられ、鋭い観察眼と機知的感覚で傑作を数多く遺しました。
岸駒
岸駒(1749又は1756~1839)は加賀(石川県)に生まれ、京都へ上る。独学で南蘋派の花鳥画を学び、諸派折衷し個性的な画風を確立し岸派を開きました。彩色、墨画とも技巧に優れ覇気がある。岸駒は、本物の虎に迫ろうとする一心で追求し、虎の皮、頭蓋骨、四本の足を手に入れ、虎の形状や細部の大きさや長さを研究しました。