俳文学会東京研究例会:第483回(2025年12月20日(土)午後2時30分~午後5時、江東区芭蕉記念館会議室)
研究会情報です。
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○生田慶穂氏「ブラジル移民俳人石川芳園―『萬緑』『曲水』への投句に注目して―」
ブラジル日系移民社会では日本語で俳句が詠み継がれ、その作品は主に移民文学・国際俳句の分野で紹介・研究されてきた。本発表では、山形出身のブラジル移民俳人石川芳園(1893-1976)を取り上げたい。芳園は戦前移民のひとりで、家政婦として働き、帰国することなくサンパウロで没した。ブラジル俳壇においては、当初は虚子門の佐藤念腹の『木蔭』に属していたが、のちに反念腹派の『万象』に活動の場を移した。投句を通して日本俳壇とも関わり、最初は『ホトトギス』に投句、のち中村草田男に私淑して『萬緑』に入会、投句を続け最終的に同人となった。『曲水』にも投句していた。日本の俳誌に載ったブラジル移民俳句はどのように読まれたのか、あるいは読みうるのか。「郷愁」「異国」というフィルターに晒されがちな移民俳句であるが、その範疇に収まらない石川芳園の作品の魅力について論じたい。また、ブラジル特有の題材・季語の問題にもふれる。
○伊藤善隆氏「戸谷双烏と河村文鳳『京畿攬賞』―地方名士と京都画壇・文壇の接点―」
戸谷双烏(安永3年から嘉永2年)は、武蔵国本庄宿の人。本名は戸谷半兵衛光寿、通称を中屋半兵衛といい、豪商として知られている。芭蕉堂闌更一門や春秋庵系の俳人と親しく、経済的な援助も惜しまなかった。その双烏が京へ商用で出かけた折、河村文鳳に描かせたものが『京畿攬賞』(文化3年成)である。これは京都の名所絵(肉筆)を貼り込んだ画帖だが、同じく文鳳の『帝都雅景一覧』(文化6年刊)に先行する点で興味深い。また、俳人として知られた双烏だったが、じつは京都画壇・文壇との繋がりはなかったようだ。『京畿攬賞』によれば、画帖制作を双烏に斡旋したのは雄擇甫(雄崎良選)であったこと、その舞台となったのは東山の書画会であったらしいことなど、双烏の(俳諧以外の事象ではあるが)活動の一齣と当時の文化的状況の一端を明らかにすることができる。


































































