東洋大学日本文学文化学会 日本文学文化学会 2025年度大会のご案内(2025年7月12日(土)13:30~、東洋大学白山キャンパス 6210教室)

研究会情報です。
●公式サイトはこちら
http://nichibungakkai.blog.fc2.com/blog-entry-86.html
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※詳細は上記サイトをご確認ください。
日本文学文化学会 2025年度大会のご案内
以下の要領で今年度大会を開催いたします。
3名の方による研究発表に加え、
宇沢美子氏(慶應義塾大学名誉教授)のご講演を予定しております。
【日時】 2025年7月12日(土)13:30より 開催
【会場】 東洋大学白山キャンパス 6210教室
~大会プログラム~
●開会の辞● 13:30
会長 東洋大学日本文学文化学科教授 野呂 芳信
●研究発表● 13:35
・藤原定家の「源氏取り」考
――『京極中納言相語』の「本歌を求めむとも思はず」をめぐって――
奥澤 友菜(大学院博士後期課程)
・石川淳における散文芸術論の変遷
――戦時下の「歴史小説」批判を中心に――
春日 渓太(大学院博士後期課程)
・大正教養主義研究と出隆という研究対象
松井 健人(東洋大学文学部日本文学文化学科助教)
●講演● 15:50
「異文化遠足に行こう
――ボストン美術館内にかつて造られた不思議の「日本」空間再訪」
慶應義塾大学名誉教授 宇沢 美子
●閉会の辞● 17:20
東洋大学日本文学文化学科 第1部学科長 ソーントン 武・アーサー
●総会● 17:30より ※会員の方のみ御出席ください。
※懇親会の開催はございません。
【研究発表概要】
藤原定家の「源氏取り」考
――『京極中納言相語』の「本歌を求めむとも思はず」をめぐって――
(奥澤 友菜)
本発表は、藤原定家の「源氏取り」について、年代別の観点から考察を行うものである。定家は、和歌以外も含め、多方面で『源氏物語』と接点を持っており、特に和歌においては、生涯にわたって「源氏取り」歌を多く詠んだ歌人であると考えられてきた。しかし、その一方で、定家は、晩年期に(『源氏物語』に対して)「本歌を求めむとも思はず」という記述をも残している。この内容は、定家が「源氏取り」の歌を多く残していることとは矛盾を感じうるものであり、先行研究でもこの記述の解釈をめぐって検討が重ねられてきた。本発表では、この問題点に対して、新たに年代別の観点から「源氏取り」歌を整理することで、定家は晩年期にむかって徐々に「源氏取り」に消極的になっていくということ、そして、この晩年期にかけての「源氏取り」への消極的な変遷こそが、晩年期の「本歌を求めむとも思はず」という記述へつながっていることを示す。
石川淳における散文芸術論の変遷
――戦時下の「歴史小説」批判を中心に―― (春日 渓太)
石川淳は昭和三十年代に「紫苑物語」(『中央公論』昭和三一・七)を皮切りとして中世を舞台とした〈物語〉作品を書き連ねていく。一方で、作品発表が断絶していく戦時下では「歴史小説について」(『新潮』昭和十九・八)などの一連の評論において「歴史小説概念」を痛烈に批判している。さらに遡れば、太平洋戦争開戦期に上梓された『森鷗外』(昭和十六・十二)では鷗外の「史伝」をいち早く評価するとともに、石川淳自身の散文芸術論が開示されてもいる。本発表では、石川淳における散文芸術論を「歴史小説」への批判と応答という点から整理し、また同時代における坂口安吾の実践とも比較しつつ、〈物語〉作品へと結実していく変遷を捉えたい。坂口安吾が「桜の森の満開の下」(『肉体』昭和二十二・六)を自ら「歴史小説」と呼んだように、石川淳の〈物語〉作品もまた、戦時下の「歴史小説」ブームなどの影響下で培われた問題意識が通底しているのである。
大正教養主義研究と出隆という研究対象 (松井 健人)
本発表では、大正教養主義研究について、研究状況を整理するとともに、その課題を提示する。同時にこれを通して、出隆という人物が狭義の日本思想史研究の研究対象人物としてのみならず、大正教養主義研究にとってどのような意義を有し得るのかについても検討を行う。
大正教養主義研究においては、R・ケーベルをはじめとして、東京帝国大学周辺の人物群(阿部次郎・安倍能成・岩波茂雄ら)から構成される緩やかな思想潮流・活動グループが検討対象とされた。従来の研究では彼らが記した著作、とりわけ阿部次郎『三太郎の日記』のベストセラー化などに着目し、それが大正期の読書文化形成に貢献したことを評価してきた。一方、阿部次郎らの議論あるいは活動自体は基本的に重視されてこなかった。発表者は上記の研究状況が、結果としてどのような課題を有するのか、そして上記の状況に対して出隆がどのような固有性を持ちうるのかについて検討する。
【講演者紹介】
宇沢 美子(うざわ よしこ)
●略歴:慶應義塾大学文学部名誉教授、博士(文学)。専門は、アメリカ文学・文化史研究、ジャポニズム研究、日米比較文化論。著書『女がうつる ヒステリー仕掛けの文学論』(1993年)、『ハシムラ東郷 イエローフェイスのアメリカ異人伝』(2008年、ヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞)のほか、論文「語るミイラのスキャンダル―"Some Words with a Mummy"(1845)の人種科学」(『ポー研究』、2019年)、「野口米次郎の翻案探偵小説探訪―『幻島ロマンス』(一九二九年)の東京府地図」(『アジア系トランスボーダー文学』所収、2021年)など、多数の業績がある。
●講演概要:ボストン美術館が現在の場所であるハンティントン通りに10年の歳月をかけて移転し、新館オープンしたのが1909年冬のことでした。革新的に新しい展示方法と豊富なアジア美術所蔵品を誇るこのボストン美術館新館の誕生は、ヨーロッパに文化的に何かと遅れをとっていたアメリカの美術館史において、実に貴重な歴史的一ページとなったのです。その一ページのなかで当時は大々的に宣伝されながらも、今日まったく忘れ去られているのが、中国・日本美術部門の中央部に増設された、The Japanese Courtとよばれた不思議の日本空間でした。1970年代には喪失してしまい、唯一残っていた壁上の痕跡なども、ここ数年の改装で完全に無くなりました。しかしこの空間、実に面白い日米文化交流の一幕を垣間見せてくれる場所なのです。本講演ではこの空間がどのようなものだったのか、その歴史的、日米文化交流史的意義を資料をもとにひもといてみようと思います。美術館の役割、そこで提示された「日本建築史観」、この空間利用を組み込んだ児童向け異文化遠足プログラムと、そのおりに紹介された日本猫、その名もなぜか「ゴン」!の物語からわかる異文化翻訳のおもしろさ・おかしさなど、この空間に連なる話題を取り上げる予定です。