日本近代文学館:芥川龍之介展ー文庫目録増補改訂版刊行記念ー(2024年4月6日(土)〜6月8日(土))
Tweet展覧会情報です。
●公式サイトはこちら
https://www.bungakukan.or.jp/cat-exhibition/14552/
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※詳細は上記サイトをご確認ください。
開館時間 午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
観 覧 料 一般300円(団体20名様以上は一人200円)、中学生・高校生100円
休 館 日 日曜・月曜(祝日は開館)・4/25(木)・4/30(火)・5/7(火)・5/23(木)
編集委員 庄司達也
主 催 公益財団法人 日本近代文学館
思惟することを求める「力」
芥川龍之介は、百年の時空を超えて読み継がれている文学者の一人です。氏の生前から行われてきた外国語訳の書籍の出版は、現在では世界五〇ヵ国以上でなされ、中国や韓国では翻訳版『全集』の刊行も果たされました。芥川文学を原作とした二次創作は、テレビドラマや映画、ネットチャンネルの多種多様なコンテンツ、歌舞伎や新劇、オペラ、人形劇、紙芝居などとジャンルを問わない広がりを持ち、日本のみならず世界各国で行われています。
芥川龍之介の歩みと芥川文学創出の背景には、日本の近代化が進み、相応の結果を見せようとする時代の推移がありました。それまでの伝統的な世界(観)と、新たに立ち上がってきた性急な近代化とがもたらしたひずみの中、芥川龍之介がその全力を傾けて向き合い、格闘し、掴み取った「知」と「美」と「情」の世界の集積として芥川文学は生まれたのです。それ故、芥川文学には、読者をして、人々をして、何ものかに向き合い深く思惟することを求める普遍的な「力」があるのです。
本展で展観する「芥川龍之介文庫」は、芥川家の比呂志氏、瑠璃子氏、耿子氏が一九六四年より数次にわたって寄贈されてきた芥川龍之介・比呂志関係資料に、龍之介の甥の葛巻義敏氏が保管されてきた資料を含めた資料群です。それらを通して芥川龍之介と芥川文学が内包する世界(観)を、発現されたその魅力の淵源を明らかにしようとすることが、本展の目論見です。
「原稿と初版本」「蔵書」「交友」「生涯」を柱とする四部構成とし、芥川龍之介と芥川文学の全貌を明らかにします。資料自身が物語るドラマを、それらの資料を守り伝えてきた人々の思いと共に受けとめてくださることを願っています。(編集委員:庄司達也)
● 部門構成
第1部 原稿と初版本でたどるその軌跡
「芥川龍之介文庫」には、作品の創作に関わるメモ、ノート、草稿、入稿原稿が多く所蔵されています。これらの資料が示す思考の軌跡を辿ることで、作品の創作の秘密が明らかになるのです。たとえ一枚の紙片であっても、一語たりとも疎かにせず、幾度も推敲を重ねて作品の完成に向かった作家芥川龍之介の、文章との苦闘の跡が、確かな痕跡として認められるのです。
また、作家芥川龍之介は、自身の作品が読者に届く「モノ」としての書籍に、随分と意を傾けた人でした。自ら装幀を行った第一創作集『羅生門』は、師と仰いだ夏目漱石の「霊前に献ず」ことを中扉に掲げ、第一高等学校時代の恩師で能書家の菅虎雄に揮毫を依頼した一書ですが、漱石『漾虚集』の造本に倣ったと云われています。第三創作集『影燈籠』は、知人の呉服商に装幀を依頼し、美しい一冊を作り上げました。画家の小穴隆一との知遇を得た後は、自らの美意識に通じる彼に積極的に装幀を依頼するなどしました。
若い頃からさまざまな装幀の書籍に慣れ親しんだ芥川は、作品を読者の手元に届ける処までが創作者の務めであると同時に、自らの世界観を伝えるための手段の一つとして、書籍の装幀というものを考えていたのかも知れません。
・主な出品資料:『羅生門』から『澄江堂遺珠』にいたる初版本、「青年と死と(戯曲習作)」草稿、「侏儒の言葉」原稿、「文芸的な、余りに文芸的な」断簡、「歯車」原稿・草稿・断簡、「続 西方の人」原稿、夏目漱石書簡(1916.2.19、1916.5.9.2)、小穴隆一画「白衣」[芥川龍之介肖像]、遺愛のマリア観音像、没時枕頭にあった『旧新約全書』など
第2部 旧蔵書に見る「知」の宇宙
「芥川龍之介文庫」に所蔵されている書籍は、和漢籍474点(1809冊)、洋書645点(821冊)を数えます。もちろん、生前に知人らに貸したが返されないでいるままの書籍や、佐藤春夫に形見分けのつもりで贈った『イエローブックス』の一冊のように自らの意思で手元から離した書籍が、そしてまた、死後に遺族によって分け与えられたり、意図せずに散逸してしまった書籍のようなものもあるでしょうし、芥川資料を多く所蔵する山梨県立文学館や、神奈川近代文学館にも、幾冊かの旧蔵書籍が確認されていますので、この文庫により旧蔵書の全てを見渡せるわけではありません。しかしながら、今ある「芥川龍之介文庫」に確認される書籍群は、文学者芥川龍之介が手にした、或いは手にしようとした「「知」の宇宙」の豊かな世界を、我々に開き見せてくれます。
古今東西の書物にその題材を得たと云われる芥川文学の基底部分に辿り着こうとするとき、この旧蔵書群へのアプローチは必須のものとなります。本展では、和漢籍については須田千里氏、洋書については澤西祐典氏と小澤純氏のご協力を得て展示を構成しました。三氏はいずれも、それぞれの書籍群の悉皆調査を行った方々で、その作業では多くの新たな事実の発見が報告されています。
・コラム:芥川龍之介の愛読した漢詩文、『芭蕉全集』(須田千里)/旧蔵書から浮かぶ〈考える人〉(小澤純)/芥川龍之介と辞書とメランコリー、アナトール・フランス本を巡って(澤西祐典)
・主な出品資料:「芭蕉雑記」草稿・断簡、「Melancholia」原稿、手書き回覧雑誌「一束之花」第一輯、和漢洋の旧蔵書、旧蔵書に挟まれていたメモ、押し花など
第3部 書画と来簡に見る交友
芥川龍之介は、「文士」という言葉の似合う文学者と云われています。俳句や歌をものし、俳画なども少なくは無い数の作品が残されています。中でも、芥川自身の姿を重ねて描かれたとも云われる「河童図」は、芥川の肖像画のように扱われることすらあるようです。それらは、その時代が文学者芥川龍之介に求めたある種のイメージに沿うようなところも見受けられますが、彼自身の好みや、交友の有りようからも推察されるところです。
第三部では、芥川龍之介が、或いは知人や友人らと共に描いた書画や、夏目漱石をはじめとした周囲の人々から届いた書簡を展観し、その交友や親交の有りようと、そこから想像される豊かな芥川文学の世界を垣間見ます。
知友たちとの交流が、小説ばかりではなく俳句や歌、書画など、芥川文学を形作る諸相の多様性を齎していたことに気付かされることでしょう。
・主な出品資料:芥川龍之介あて夏目漱石書簡(1916.8.24 久米正雄と連名あて)、斎藤茂吉書簡(1919.8.6.2)、佐藤春夫書簡(1926.2.27)、芥川龍之介書 俳句・短歌書軸・短冊、書画[娑婆を逃れる河童]、「化物帖」、「行燈之会 第一集」(寄書き画巻)、夏目漱石書[陶淵明 「読山海経十三首其一」]、菅虎雄書「我鬼窟」扁額、下島勲書「澄江堂」扁額、斎藤茂吉書短歌書軸・短冊、土屋文明、佐藤春夫、室生犀星書短冊、香取秀真作 螭(みずち)文花瓶、浜村蔵六刻 蔵印、菅虎雄書 ペン皿(茶箕)など
第4部 生涯
芥川龍之介には、実父新原敏三と養父芥川道章という二人の「父」がおりました。云いかえれば、新原家と芥川家と云う二つの「家」があり、芥川龍之介はその双方の「家」の長男であったということなのです。もちろん、事実としては、明治三十七年の裁判により「新原家」を離れて正式に「芥川家」の一員となったのですが、実態としては、終生のこととして「二つの「家」」の「長男」としての役割を果たした人でした。新原敏三は、周防(現、山口県)の農家の出で、維新の後に東京で牛乳搾取販売業を営み、実業家としての成功をおさめた人です。芥川道章は、江戸以来の士族の家柄を守り、維新後には東京府の役人を勤め上げた有能な官吏であったのです。芥川自身をモデルとした作品群「保吉物」の一つに数えられている未定稿作品「紫山」には、「幸ひにも純一無雑に江戸つ児の血ばかり受けた訣ではない。一半は維新の革命に参した長州人の血もまじつてゐる」と綴られています。
日本の近代化がようやく整えられつつあった明治中期に誕生し、大正期に作家として活躍、不安な時代の到来が感じられた昭和初頭に自ら「死」を選んだ芥川龍之介の生涯は、これまでも時代や社会、世相との連関の中で解され、語られてきました。
本部門では、この対極的な位置にある二人の「父」=二つの「家」を起点として、芥川龍之介の三十五年の短くとも激しく生きた生涯を見つめます。
・コラム:「若き日の芸術体験から」(庄司達也)
・主な出品資料:細木龍池編写「絵入江の島鎌倉紀行」、狩野勝玉画「芥川俊清像」、「孤独地獄」断簡、森鷗外書簡(1919.1.29)、回覧雑誌「日の出界」、推定家督相続人廃除請求裁判判決書(1904.5.10)、養子縁組届[控] (1904.8)、縁談契約書(1916.12)、自筆履歴書(下書き、1918.11)、家族あて書簡、斎藤茂吉作成の処方箋、里見弴画 「澄江堂大人倚窓仮眠中之像」、「或旧友へ送る手記」 原稿、文夫人あて・遺児あて遺書、菊池寛・泉鏡花弔辞、小穴隆一画 [死の床の芥川龍之介]など