日本文学協会 国語教育部会公開シンポジウム 「文学教材の「〈読み〉の価値」とは何か ――「主体的で対話的な深い学び」を問う ――」(2019年5月18日(土)13時開場・13時半開始・17時終了、三重大学教育学部4階)
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日時 2019年5月18日(土)
13時開場・13時半開始・17時終了( 終了後、懇親会)
・会場 三重県津市栗真町屋町1577
三重大学教育学部4階
・実践報告 入澤佳菜(奈良教育大附属小)
山中勇夫(宇都宮市立御幸小学校)
・司会 山下航正(広島商船高等専門学校)
・交通 1 津駅東口バス乗り場「4番」から三重交通バス三重大学前下車 徒歩5分
2 津駅からタクシー 約10分
・参加費 無料(事前申し込みは不要です)
・連絡先 日本文学協会国語教育部会 中村
【 新『学習指導要領』では、授業改善の視点として、「主体的で対話的な深い学び」が掲げられています。一読したとき納得できる文言です。しかし、ひとたび授業で「主体的」とは何か?「対話的」とは何か? 「深い学び」とは何か? に直面すると、一筋縄ではいかない事態を抱え込んでしまいます。
国語教育部会の実践研究の原点は、「読みに正解はないとしながらも、正解の範囲内で読みは自由である? 」としている私たちの国語教室の矛盾にありました。具体的には、「文学作品を教室で読むことに価値はあるのか・・・・、ないのか・・・・。もし価値がある・・なら、それはどのような〈読み方〉なのか、何処に深まっていくのか」の諸問題です。
これまで部会は文学研究者とも対話し、授業実践で模索してきました。そこでの最大の難問は、読むことの主観性の問題です。読者の主観から読みが逃れられないならば個人の読書でよいことになります。国語教室で読みを深める必要はないのです。
一人ひとりの読者が作品について書いた〈本文ほんもん〉が、唯一の作品世界を認知できる手がかりです。しかし、正解である〈原文げんぶん〉は誰も書けません。〈本文〉は「〈原文〉の影」の現象といえます。
また、認識行為は脳内での現象です。相対化はできません。読者は物語世界に連れ去られて初めて作品の「できごと」を認知します。そしてその物語の因果の「なぜ?」(謎)に立ち止まります。さらに再読で読者が、その「なぜ?」に〈仕掛け〉られた新たな作中の〈仕組み〉を発見するなら、それまでの自分の〈本文〉は壊れてしまい、読者は自分自身の深層世界に「いのち」や「生きること」の価値を再び問うことになるのではないでしょうか。
今回の公開シンポジウムでは、教室での読みの実践で「文学教材の〈読み〉の価値とは何か」(「深い学び」とは何か)を、子どもたちの〈本文〉を焦点に語り合いたいと思います。
文学教材の読みに関心をお持ちの多くの方々の参加で、日々の文学の授業の新たな地平が拓ける公開シンポジウムになることを期待します。】