近代文学合同研究会論集第15号「ゴジラ対シン・ゴジラ」(2018.12.15発行)

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近代文学合同研究会さまよりいただきました。

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近代文学合同研究会論集第15号「ゴジラ対シン・ゴジラ」(2018.12.15発行)
A5判・並製・90頁
ISSN 1880-4667

頒布価格1000円+送料

◇通信販売について
【頒布方法】
1)「問い合わせフォーム」より、お名前、ご住所、希望の号数と冊数をお知らせください。
2)郵便局で以下の振替口座に論集代と郵送費をお振込みください。入金の際には通信欄に「論集○号代」とご記入ください。
 口座番号:00160―1―266888(郵便振替)
 口座名義:近代文学合同研究会(キンダイブンガクゴウドウケンキュウカイ)
3)入金を確認次第、論集をお送りします。発送は「ゆうメール」を使用します。

【頒布価格】
論集1冊 1000円+送料215円  計1215円
  2冊 2000円+送料300円  計2300円
  3冊 3000円+送料350円  計3350円
※4冊以上の価格はお尋ねください
※振込手数料はご負担ください

◇論集バックナンバー総目次はこちら
http://goudouken.blog66.fc2.com/blog-entry-38.html

近代文学合同研究会
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【目次】

【特集論文】
『シン・ゴジラ』における虚構と現実(藤田直哉)
芹澤科學研究所の「ユタカテレビ」―初代『ゴジラ』再論―(片岡 力(樫辺 勒))
更新されるゴジラ・ノート(松村良)

《書き起こし》
近代文学合同研究会第17回シンポジウム
「ゴジラ対シン・ゴジラ」全体討議

書き起こし:師田昌子・中山新也・西貝怜・余吾育信
構成:服部徹也

【自由論文】
三島由紀夫「黒蜥蜴」論―『豊饒の海』への序曲―(田中あゆみ)

投稿規定
編集後記

【◇参考: 本特集のもととなったシンポジウムの趣旨文

現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)。 ―― 『シン・ゴジラ』(2016)の劇場ポスターのフレーズは、まるで預言のようだった。同作には『新世紀エヴァンゲリオン』(1995-1996)シリーズで大爆発による首都壊滅後の「第3新東京市」を舞台に「決戦」を描いた庵野秀明監督の、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012)以来の監督作としても期待が集まっていた。現代の首都「東京」を直撃する災厄を描いた『シン・ゴジラ』が公開されるや否や、人々は熱に浮かされたように虚構と現実を結びつけ、あるいは混濁させるような発言を繰り返した。
 大災害、核の不安、緊急事態宣言、自衛隊とアメリカ軍など、さまざまな要素を織り込んだポリティカル・フィクションとして同作を精緻に分析した批評家・藤田直哉の『シン・ゴジラ論』(2017)は、その止みがたい熱狂に「ニュータイプの日本浪曼派」としての「耽美的パトリオティズム」を指摘した。と同時に藤田は、映画の細部を注意深く読みとるよう促し、止みがたいロマン主義的情熱を無害化し飼いならす努力としての戦後サブカルチャーの葛藤と両義性――たとえば牧博士の残した宮澤賢治『春と修羅』の一節(まことのことばはここになく/修羅のなみだはつちにふる)に映画や時代そのものへの否定性を読みとること――に抵抗の契機を見出してみせた。では藤田の『シン・ゴジラ論』が拓いた視座から過去のゴジラを眺め返し、静野孔文監督による新作アニメーション『GODZILLA』(2017)まで視野に収めた時、一体何が視えるだろうか。
 第1作『ゴジラ』(1954)が公開されて以来、ゴジラは長らく映像としての戦後日本に存在し続けていた。アメリカの水爆実験など、ゴジラの誕生に関わる様々なコンテクストは、戦前の日本にまで遡る歴史的視野をもつ。松村良「震災・ゴジラ・原発」(『昭和文学研究』2017・9)によれば、ゴジラ映画のシリーズ化に伴い、ゴジラには「英霊」や「原爆」や「南洋」にまつわる様々なイメージが加わり、「戦争の記憶」と「戦後の復興」をつなぐ「文化象徴」になったという。ところが第16作『ゴジラ』(1984)はあえてゴジラ作品史を第1作まで巻き戻し、「破壊者」ゴジラを再襲来させた。「ゴジラ細胞」が「不死なるもの」をイメージさせるようになり、ゴジラのメルトダウンに終わる「平成ゴジラ映画」は「核」と人類との共存不可能性を体現すると松村良はいう(「原発と「不死なるもの」―「平成ゴジラ映画」ノート」『近代文学合同研究会論集第8号』2011)。ならば新たにゴジラ初襲来を描き直した『シン・ゴジラ』の結末が、「アンダー・コントロール」というにはあまりに居心地の悪い余韻を残すことをどう受け止めたらよいのだろうか。
 今回のシンポジウムでは藤田直哉氏をゲストに招き、『シン・ゴジラ』(2016)の投げ掛けた「現実 対 虚構」の問いに徹底して向き合いたい。また松村良が『ゴジラ』(1954)および『ゴジラ』(1984)を中心にゴジラ作品史を再検討する。さらに、科学文化史の観点から西貝怜がコメンテーターを務める。これらの視座から『シン・ゴジラ』の時局性(アクチュアリティ)と『ゴジラ』に潜在するものとを対峙させ、総合的な検討を試みたい。】