黒澤 勉・小松靖彦編『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む』(文学通信)

このエントリーをはてなブックマークに追加 Share on Tumblr

3月中旬刊行予定です。

9784909658715.jpg

黒澤 勉・小松靖彦編
『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録
 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む』
ISBN978-4-909658-71-5 C0036
四六判・並製・252頁
定価:本体2,400円(税別)

★楽天ブックスで予約受付中です★
https://books.rakuten.co.jp/rb/17048712/


「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければならないと言うことが私の責任であるのだ」......第三部・「開拓忌三十三年」(堀忠雄)より

ほとんどの開拓団が悲惨な逃避行を体験することになったが、五福堂開拓団は現地住民の襲撃にあったものの、致命的な被害を受けることはなかった。それはなぜだったのか――。

満蒙開拓団の悲惨な歴史の中にあって、異彩を放つ移民団・五福堂開拓団の団長・堀忠雄の未刊の著作『五福堂開拓団十年記』をはじめて紹介する書。
五福堂開拓団は、ほとんどが未墾の土地に入植し、一部の既墾地については、現地住民がそのまま耕作を続けることを認め、現地住民たちとの間に良好な関係を築いた。それは堀の「日本人も中国人も農民は農民同士」という方針による。敗戦後、堀団長は、団員全員が生き抜くことを指針とした。ソ連軍による女性の供出要求もはっきりと拒否した。

常に理性的行動をとった堀の内側にあった感情のゆらぎの記録として、また、敗戦以前の五福堂開拓団の暮らしの記録として極めて貴重な書。堀は本書執筆の三年後の一九七二年、すべての公務を辞し(堀は敗戦後岩手県で開拓の指導に当たった)、かつての団員の訪問を開始した。『五福堂開拓団十年記』は、満蒙開拓団の歴史の真実を明らかにするための旅に先立ち、堀自身の心の整理を試みたものであった。

悲劇的な満蒙開拓団の歴史の中に、なおも存在していた人間の「可能性」を伝える新資料。「唄う村民にしよう。歌う村を創ろう」と、宮澤賢治に通ずる理想を掲げて開拓に取り組んだ堀の考え方と行動の背後から、満蒙開拓団の歴史にもう一歩近づくことができる。





PayPalでお支払い(各種クレジットカード対応)
入金を確認次第、すぐに発送(送料無料)。
案内をメールでお送りいたします。




b1.jpg

b3.gif

b4.gif

【著者プロフィール】

堀 忠雄(ほり・ただお)

1910年、山形県酒田市生まれ。東京帝国大学農学部実科卒業。1934年、満洲国奉天北大営の農場主任として満洲に渡る。賓県農芸訓練所長などを務めたのち、1937年、五福堂新潟村移民団長に任命される。敗戦後の1946年に本土に帰国。岩手県職員、農協中央会営農部長などを務めたのち、1965年、定年退職。2003年没。
編著に『満洲開拓追憶記』(第1集〜第28集)、『榾火(五福堂団史)』(五福堂団史「榾火」刊行会)、共著に『山の上の神々』(あづま書房)など。

【編者プロフィール】

黒澤 勉(くろさわ・つとむ)
 
1945年、青森県十和田市生まれ。県立三本木高校を経て東北大学文学部国文学科卒。岩手県内の高校に22年間勤務した後、岩手医科大学で20年間文学、日本語表現論などを教え、2011年に定年退職。退職後、中国の大連に合わせて9か月短期留学。(定年前著書)『日本語つれづれ草』『盛岡言葉入門』『言葉と心』『東北民謡の父 武田忠一郎伝』『病者の文学 正岡子規』『子規の書簡上・下』『宮澤賢治作品選』など。(定年退職後)『大連通信』(盛岡タイムス連載)『陣中日記』(月刊俳句界連載)『マイコプラズマ肺炎日記』(詩集)『オーラルヒストリー 拓魂』『岩手山麓開拓物語』『木を植えた人・二戸のフランシスコ ゲオルク・シュトルム神父の生活と思想』『満洲開拓民の悲劇』(ツーワンライフ)など。

小松靖彦(こまつ・やすひこ)

1961年生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
青山学院大学教授。博士(文学)。
著書に、『萬葉学史の研究』(おうふう、上代文学会賞、全国大学国語国文学会賞受賞)、『万葉集 隠された歴史のメッセージ』(角川選書)、『万葉集と日本人 読み継がれる千二百年の歴史』(角川選書、古代歴史文化賞受賞)、『戦争下の文学者たち--『萬葉集』と生きた歌人・詩人・小説家』(花鳥社)など。

【目次】

はしがき─満蒙開拓団の悲劇の中の人間の「可能性」(小松靖彦)
「国策」だった満蒙開拓団/異彩を放つ移民団、五福堂開拓団と堀忠雄/堀忠雄の新たな資料/表紙には妻の着物/本書の構成

凡例

第一部 堀忠雄の生涯
【五福団開拓団長・堀忠雄は一九一〇年(明治四三)に、現在の山形県酒田市の農家に生まれた。東京帝国大学農学部実科に進学した堀は、満洲農業移民の指導者・加藤完治(かとうかんじ)に出会い、「満洲国」での農業指導を志す。第一部では、堀の感性と知性を培ったものと、敗戦による帰国後も保ち続けた開拓精神を見つめる。】

拓魂─堀忠雄の生涯(黒澤 勉)
堀家の子/母の思い出/小学校から中学校へ/東根幾久子/大学卒業から渡満に至るまで―加藤完治と堀忠雄/史子との結婚生活/賓県農芸訓練所長/五福堂新潟村移民開拓団の団長/我が家への生還/杉の古木/戦後の生活と活動/忠雄の著作/拓魂の生涯

第二部 『五福堂開拓団十年記』を読む
【一九三七年(昭和一二)六月に、新潟県派遣五福堂開拓団の先遣隊が龍江省(りゅうこうしょう)通北県(トンペイけん)に到着。未墾地での村づくりが始まる。第二部では、「歌う村を創ろう」という堀の理想のもと、さまざまな困難に見舞われながらも開拓を進める堀たちの姿を一九四二年まで記録した『五福堂開拓団十年記』を翻刻・紹介する。】

拓務省第六次 五福堂開拓団十年記(巻一)(元団長 堀 忠雄)

緒言/五福堂新潟村歌/先遣隊員/拓務省第六次五福堂、新潟村移民団の結成/五福堂開拓団幹部会議/佐々木平三郎の被弾死/北安会談/開拓道路の予算要求/第一回移民団長会議/トラクター開墾/黒河商談/部落分散/中村長一郎事件/五福堂移民団の営農統計/沃土万里/大陸の花嫁達/通北県開拓団一覧表/いぶき寮/野火/青年道場

第三部 五福堂開拓団のその後
【一九四五年(昭和二〇)八月、敗戦を知らされた堀忠雄は、五福堂開拓団員を守り抜くことを決意、そのために「満洲国軍」、ソ連軍、中国共産党と次々に変わる為政者たちと緊迫した交渉を行った。第三部には、敗戦後の開拓団の動向と、開拓団の歴史に関わった者としての思いを記した堀の文章を収める。】

私は終戦にこう対処した(堀 忠雄)
満洲開拓団受難を考える(堀 忠雄)
開拓忌三十三年(堀 忠雄)

解説
堀忠雄『五福堂開拓団十年記』について
―未墾地に入植した満蒙開拓団長の心の記録―(小松靖彦)

一 満蒙開拓団について
満蒙開拓団の派遣/満蒙開拓団を待ち受けていたもの
二 堀忠雄と『五福堂開拓団十年記』
現地住民と良好な関係を築いた開拓団/団長・堀忠雄の判断/書物としての『五福堂開拓団十年記』
三 堀忠雄の満洲農業移民についての考え
中国語による交渉/開拓団の本務は営農/封建制からの脱皮
四 『五福堂開拓団十年記』の注目される記事
史料的意義のある記事/自然描写の魅力

あとがき

【『五福堂開拓団十年記』主要脚注一覧】

那須皓/加藤完治/茨城県友部日本国民高等学校/五福堂新潟村歌/松村義人/五族協和/日満文化協会/松井七夫/松井石根/家の光協会/南京事件/奉天北大営日本国民高等学校/饒河少年隊/川原侃/熱河作戦/入植当時は黒龍江省であった/省公署/神尾弌春/農協法〔開拓協同組合法〕/石原莞爾/北満依蘭軍/東宮鉄男/第二次武装移民団/謝文東/朝鮮拓殖会社/満鉄〔南満洲鉄道株式会社〕/橋本伝左衛門/青年義勇隊訓練所/飯島連次郎/松川五郎/北五道崗山形/満人/哈爾浜王兆屯中央訓練所/開拓団法、開拓農業協同組合法、農場法/盛岡拓訓/苦力/特務曹長/対匪戦/「国境の唄」/満拓〔満洲拓植公社〕/山形自治講習所/山崎延吉/筧克彦/拓務省/中村孝二郎/高木秀雄/麻布三聯隊/二・二六事件/把頭(棒頭)/朝鮮妃/伊拉哈大訓練所/第一回移民団長会議/中央ホテル/野々山彦鎰/〔満洲〕移住協会/〔日満〕軍人会館/菊花紋章/植田謙吉/東條英機/移民団連盟を結成したき主旨/弘子洋行/松野傳/康徳会館/〔満洲〕拓植委員会/稲垣征夫/片倉衷/綱領/花井脩治/防人/萬葉和歌/アジヤ号特別列車/名古屋ホテル/松村三次/海倫ホテル/報徳思想/農会技手/この頃、黒河には、....../ハルピン訓練所/中村長一郎/共産党転向者/リットン卿/日活映画「沃土万里」/倉田文人/江川宇礼雄/佐藤円治/加藤久男/宗正雄/東京高等農林学校/梶原勢一/大同学院/山の彼方の空遠く....../新規開田、百町歩、....../おけさ節/詩吟「平忠度」/尾崎紅葉/やすき節/甚句/中村越郎/笠置山/ヨハン・ボイエルの「移民」/〔満洲国〕協和会/吉岡清/ツォータカナイ、リーベン官吏、ワンバダーン/小嶋正雄/〔北海道〕十勝に於て実習所を経営し/菊子〔西崎キク〕女史/報国農場/傷痍軍人/バイコフ/青森開拓団/満軍〔満洲国軍〕/ここは皇国の何百里......