新入社員週報第9回「源氏物語・ファイナルファンタジー10・ゲームアーカイブズ」(渡辺哲史)
Tweetこんにちは。文学通信の渡辺です。
先日河出書房新社さんの日本文学全集が『源氏物語 下』の刊行をもって無事完結したようです。おめでとうございます。『源氏物語』といえば、これまでいくつかの現代語訳が出ていますが、英語にも複数回訳されています(Arthur Waley, Edward Seidensticker, Royall Tyler, Dennis Washburnらによって)。
英語版の最新の訳者であるデニス・ワッシュバーン氏がこれまで書いた書籍や論文、翻訳リストをなにげなく眺めていたところ、とても気になるタイトルがありました。
「想像される歴史、消えゆく記憶:ファイナルファンタジー10のナラティブを極める」(原題:Imagined History, Fading Memory: Mastering Narrative in Final Fantasy X)
プレステ2の稀代の名作FF10に関する論考!?これは読まねばならぬ。ということでさっそく探してProject Museからダウンロード。(もともとはMechademia というアジアのポピュラーカルチャーを対象にした研究雑誌に掲載されていました)
しかし、勇んで読み始めたはいいものの、私の英語力と知識ではこの論文を咀嚼することは難しい...。概要だけ無理やりまとめると、「デジタル技術の発達により、放送、通信、出版などの様々なメディアが一つに収斂していく「メディア・コンバージェンス」の時代において、人々の記憶や共有される歴史は大きく変容しており、FF10のゲームプレイとナラティブはこのことを考えるうえで格好の材料となる。」といったところでしょうか。
いずれにせよ、論文を読みながら雷平原で何回もミスった記憶やワッカの髪型、CMを見てうっとりしている和室の少年とかいろんな思い出がいろいろこみ上げてきます...久々にFF10をやりたくなりました。
しかしFF10に関するこの論文、たまたま自分は実際にソフトをプレイしたことがあるけど、プレイしたことない人にとっては理解するのはなお難しい気もします。いくら著者が丁寧にあらすじ、世界観やシステムを説明しても、実際のゲームのプレイに勝る体験はないように思います。加えて時間が経てばハードやソフトはさらに入手しづらくなり、ますますこの共有は難しくなるでしょう。
このゲームのプレイ体験の共有の難しさについて、ゲーム研究においてもきっと話題というか課題になっているに違いないと思って安直なGoogle検索をしたところ、やはりいくつかの論文や記事がひっかかってきました。
ゲーム開発者が自ら語る、アーカイブ化されずに日々ゲームが消えゆく悲哀
インタビューや記事を読んで特に面白かったのが、
・コンピュータシステムやゲーム機の進化は速く、ゲームの保存方法を確立することはゲーム研究において喫緊の課題。
・ゲームの現物保存には限界があるので、実際のハードウェアと同じ動きをする「エミュレータ」によってゲームをプレイできるようにする試みがおこなわれている。
・ハードウェアの設計図は、ゲーム機メーカーにとっては当然企業秘密なので、「エミュレータ」の開発には困難が伴う。
・未来人が「マリオが飛び上がったけど、それの何が面白いの?」と感じることを考慮して、ゲームをプレイしている人の様子を映像として保存する動きもある。
ゲーム機やソフトそのものを資料として保存する動きと並行して、ゲームの核心であろうプレイ体験を保存・再現する試みも出てきているようです。
上記のような過去のゲームを未来のプレイヤーに向けてつなげる営みと、『源氏物語』がその時代の読者にむけて翻訳され続ける営みに、どこか共通する思いを感じ取った次第です。
今週は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。
それではまた来週。
※次回週報の最終回となります
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