新入社員週報第5回「海外日本研究通信(仮)その3 ロナルド・ドーアとダルウィッチ・ボーイズ」(渡辺哲史)
Tweetこんにちは。文学通信の渡辺です。
前回に続き「海外日本研究」をテーマに書きたいと思います。
先週はJournal of Japanese Studiesの最新号が発刊され、そのなかにオープンアクセスタイトルとしてD. Hugh Whittaker氏による「ロナルド・ドーアの日本」と題する論考が掲載されていました。
ロナルド・ドーア(1925-2018)はイギリスのSOAS出身の日本の経済・社会を専門とする社会学者で『都市の日本人』や『江戸時代の教育』をはじめ多数の著作があります。
上記の論考ではドーアの研究史が振り返られ、そして彼自身と日本との関係の変遷を追っています。
論考のなかで特に目を惹いたのがドーアを「ダルウィッチ・ボーイズの最後の生き残り」として紹介していた点です。
ダ、ダルウィッチ・ボーイズ??と疑問に思う私のような読者のために論考には以下のような注が付されていました。
8. "Dulwich boys" were scholarship students who boarded at Dulwich College and studied Japanese (or Chinese or Turkish) at SOAS during World War II.
第二次大戦中にSOASで日本語(あるいは中国語かトルコ語)を学び、ダルウィッチカレッジに下宿していた奨学生らのことをどうやら「ダルウィッチ・ボーイズ」(以下、DB)と呼んでいたようです。
Who Were the Dulwich Boys? によれば、DBとして挙げられているのはドーアの他に、
• Peter Parker:英国鉄道の会長(1976-83)、のちに三菱電機イギリス支社の会長(1984-96)
• Michael Morgan:フィリピン駐在の英国大使(1981-85)
• Edward Youde:香港総督(1982-86)
らがいました。
DBについてもう少し調べてみると、2016年の2月にSOASで日本研究100周年を記念してDBであるドーアをはじめ、かつてSOASで学んだ人らが中心となって開かれたシンポジウムがあったことがわかりました。
Dulwich Boys and beyond: 100 Years of Japanese Studies at SOAS
また、当シンポジウムの司会者であるNick Highamはその前年にBBCで同様にDBについて報道しています。
• How the UK found Japanese speakers in a hurry in WW2
• The Dulwich Boys BBC Radio
シンポジウムとBBCの報道の内容の特に印象に残った点を挙げると、
• 1941年の開戦段階でイギリスには日本語を教えられる人材がほとんどいなかった。
• 日本語を唯一教えていた機関であるSOASでも実際に日本語を教えられたのはわずか二人。Frank DanielsとSaburo Yoshitake。しかしYoshitakeはすぐにいなくなってしまう。
• Danielsは海軍時代に日本に滞在。その際に彼の妻となったOtome。DBは主にこの二人に日本語を教えてもらっていた。
• 日本語や中国語の他に、トルコ語・ペルシャ語が教えられた理由は日本軍がどこまで進軍するか予想できなかったから。
• まともな教科書もなかったようで、教材として子ども向けの雑誌で捕鯨船内を案内されている女学生に関する記事を使っていた。
• 戦後になってDB、そして彼らに日本語を教わった人は政治・経済・学界レベルで活躍。日英交流の基盤となった。
以上のイギリスの日本研究の系譜を辿ってみると、
開戦までイギリスにとって日本の存在感はかなり薄くて、慌てて対応したこと、
ある国を研究するにはまず何よりもその言葉を理解する必要があること、
日本側からしたらもっとも敵にまわしたくなかった相手が、ひるがえって戦後最大の理解者・協力者になってくれたことがよくわかります。
「日本研究」という言葉の持つ意味が、まるでオセロのように、周りとの関係性によって白から黒へひっくり返ってしまう。しかし時代や情勢によって研究の意味・目的が変わってしまう恐ろしさの一方で、それが歩み寄りの行為にも変わりうる、変わってきたことの尊さに今回触れたような気がします。
今週は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。
来週は海外の「在野研究」を取り上げる予定です。
それではまた来週。
【これまでの週報】
新入社員週報第1回「中途半端なエクソフォニー」
新入社員週報第4回「海外日本研究通信(仮)その2 (East)Asian Studiesの歴史を追ってみた」