新入社員週報第4回「海外日本研究通信(仮)その2(East) Asian Studiesの歴史を追ってみた」(渡辺哲史)

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こんにちは。文学通信の渡辺哲史です。
新入社員週報第4回のお届けです。
前回に引き続き、「海外日本研究」をテーマに書きます。

海外、とくに英米で日本研究に従事している人の多くは大学、そのなかでもAsian StudiesまたはEast Asian Studiesという名称の機関に属しているかと思いますが、今後、海外の日本研究を追っていくにあたって、改めてそれぞれの大学の(East)Asian Studiesのサイトを訪ねてみました。

各サイトではそれぞれの機関で実施されるイベントや本などの成果物の情報が発信されていたのですが、とりわけ目を惹いたのが、それぞれが自らの機関としての起源・沿革をHistoryとして語っていたことです。以下、ほんの一握りですが、それぞれの(East)Asian Studiesの機関の起源・沿革を記していたサイトへのリンクです。

Columbia
Harvard
UC Berkely 
UCLA
Princeton 
SOAS
Stanford
Yale

コロンビア、ハーヴァード、そして特にバークレーのサイトが充実していました。
角田柳作、朝河貫一、エドウィン・ライシャワー、ドナルド・キーンなどの著名人の名前もちらほら。

各大学によって(East)Asian studiesを発足させた詳しい経緯やその時期について当然ばらつきがあり、この膨大な学問の流れを一括りにすることはできませんが、ざっと眺めてみてあえてそれぞれが語る歴史に共通する部分を挙げるとすれば以下の3点があるように思われます。

1.日本研究に先行する中国研究
2.図書資料の整備
3.冷戦期の国家防衛教育法による資金援助

1.日本研究に先行する中国研究
(East)Asian Studiesの多くは19世紀末〜20世紀前半にかけて各大学に設置されたようですが、その中心は多くの場合Chinese Studies(Sinology)であったことがそれぞれの沿革を見るとわかります。指揮をとる学部長の多くも当然中国学の研究者でした。
そしてこのChinese Studiesが巻き起こした波に同じ「アジア」という括りでJapanese Studies(Japanology)が続くことが多かったようです。

2.図書資料の整備
(East)Asian Studiesを学部として発足させるにあたって他の学部(たとえば歴史学部)から研究者をひっぱってくることもあれば、中国や日本からの研究者が着任するケースがあったようですが、人だけでなく、図書資料を整備することも喫緊の課題でした。
その際、研究者自身が資料収集にあたるケース(コロンビアの角田、イェールの朝河)が多かったようです。コロンビアに至っては日本の皇室と三菱の岩崎が資金援助したとありました。学問の根幹を支える図書の存在、そしてそれを収集できるだけのお金の問題はやはり無視できません。

3.冷戦期の国家防衛教育法による資金援助
3点目、これが調べていて一番興味を引いたのですが、1958年に制定されたアメリカの国家防衛教育法(National Defense Education Act)が北米の(East)Asian Studiesを発展・強化させたものとして挙げられていました。

国防のための教育でなぜAsian Studiesが発展?と思いましたがブリタニカによると、1957年のソ連によるスプート二ク打ち上げ成功に触発されたアメリカは、その対抗策として、国防のニーズにあった教育の強化を掲げました。主な対象分野は数学、化学、工学、そして外国語(とりわけロシアと中国語)。各学問分野を対象とした援助のみならず、奨学金、助成金、ローンといった制度整備も進められたようです。

バークレー、コロンビア、スタンフォードらの(East)Asian Studiesは上記の流れにより予算を獲得(Historyには書いてはいないがおそらく他の大学の多くも)。すべての大学がこの恩恵に与れたわけではないと思いますが、いくつかの大学にとっては間違いなく(East)Asian Studiesの発展に寄与したようです。

以上、今週は海外日本研究の歴史の一部を非常におおざっぱかつ局所的にではありますが遡ってみました。より広範かつ詳細な「日本研究」史については江上敏哲氏の『本棚の中のニッポン 海外の日本図書館と日本研究』(笠間書院)、特に第4章をご参照ください。※現在オープンアクセスで公開されています。

「海外の日本研究最前線!」的なものをお届けするつもりがなんだか盛大に逆走してしまいました...。
それではまた来週。