第七回 昌平黌(しょうへいこう)の古賀侗庵を探ります - 木場貴俊の新・怪異学入門
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昌平黌の古賀侗庵を探ります
いま私が勤めている国際日本文化研究センターには、河童に遭遇した人たちの記録集『河伯俗話』という資料が所蔵されています。編者は、稲垣寒翠(1803~43)。
●儒官が何故、河童の資料をつくったのか
寒翠は、美作国津山藩(現岡山県津山市)の儒官であり、後に町奉行も務めた人物です。そんな彼が何故こんな資料をつくったのでしょうか。
それは、『河伯俗話』内にある「劉氏水虎考略抄」という別題から窺うことができます。劉氏とは、寒翠の師である昌平黌の儒者、古賀侗庵のことです。『河伯俗話』の序によれば、侗庵は儒者でありながら、「喜んで山魅水怪の談を聴」いていたとあります。そして、師の編んだ『水虎考略』という河童に関する資料集を思い出し、『河伯俗話』を書いたといいます。実は、『河伯俗話』は『水虎考略』にある「河童聞合」の抜き書きなのです。
そんないまの職場と因縁浅からぬ、古賀侗庵について書いたのが、『怪異をつくる』第10章「古賀侗庵」です。彼は、19世紀前半の文化史研究のなかで近年注目されている人物なのですが、一般的な知名度はほとんどありません。そこで、侗庵がいかなる人物なのか、そして怪異とどのような関係があるのかを、今回は紹介してみたいと思います。
●「天下一ノ奇書」古賀侗庵『水虎考略』の意図
古賀侗庵(1788~1847)は、18世紀末に老中の松平定信が行った寛政の改革の一つ、寛政異学の禁に関わった儒者古賀精里の三男です。父精里のもとで儒学を学び、後に江戸幕府の学問所である昌平黌(昌平坂学問所)の御儒者(教授)を務めました。世襲制ではないので、侗庵は実力で御儒者の職を勝ち取ったのです。
当時の日本は、ラクスマンの渡来をはじめ、貿易を求めてロシアが南下してくる事態に見舞われていました。そうした国際情勢をきっかけにして、侗庵は儒学だけではなく蘭学も学ぶようになり、当時有名な蘭学者だった大槻玄沢らと交流しながら、独自の世界認識や海防に関する論説を著していきました。こうした側面が、近年学界で注目されています。
その一方で、侗庵は怪異に関心を持っていました。この面にいち早く注目した人物に、柳田國男がいます。『山島民譚集』(1914刊)の中で、先に述べた『水虎考略』を「天下一ノ奇書」と評しています。
侗庵の怪異への関心は、水虎=河童だけに留まりません。天狗や雷獣などの論説を記すだけでなく、怪談集『今斉諧』や『水虎考略』の続編『水虎考略後篇』も編んでいます。
それでは何故、侗庵はここまで怪異に関心を寄せていたのでしょうか。また、怪異に関する資料を編んだり、論説を記したりすることで何を主張したかったのでしょうか。そこには、単なる好奇心ではなく、彼の学問意識が根差していたのです。
それは、『怪異をつくる』で具体的に検討していますが、ここではそれを考えるヒントを提示しておこうと思います。『今斉諧』に載っている話を引用してみます。
羽州米沢金華山、有薬師堂、一日雷震堂側、既而雲散雨霽、有一奇獣、彷徨屏営、如失路者、会山下民入山伐薪、避雷于此堂、見之、急趨与之搏、遂生獲之、獣大不逾獺、赤黒毛、尖喙長尾、日光熒熒然、顔状綦醜、蓋所謂雷獣者也、遂鳴于官、吏悪其詭怪、命放之、香坂維直説(高橋明彦「翻刻・古賀侗庵『今斉諧』(乾)」『金沢美術工芸大学紀要』44、2000より引用)
これは、米沢藩士で精里の門人だった香坂維直が語った米沢での雷獣の話です。もともと維直が口頭で話したものですが、一見してわかるように漢文で書かれています(読点も後に朱色で打たれています)。漢文に馴れていなければ読み方はわからないし、難読の漢字も含まれています。
実は、漢文体で怪異を記すことが、上記の侗庵に関する問いの答えになっているのです。
拙著を通して、古賀侗庵という人物について広く知っていただけることを切に願っています。
今回で、コラム「新・怪異学入門」は一区切り。
もしかすると、いつか戻ってくるかもしれません。たとえ、あなたが信じようと信じまいと。
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●木場貴俊の新・怪異学入門 全話構成
第一回 怪獣大談義(2020.04.03公開)
第二回 政(まつりごと)(2020.04.10公開)
第三回 産女が姑獲鳥に変わるとき (2020.04.17公開)
第四回 ばけものばなし話してた。(2020.04.24公開)
第五回 河内屋可正とは何者か(2020.05.01公開)
第六回 すごい男も語っていた(2020.05.07公開)
第七回 昌平黌の古賀侗庵を探ります(2020.05.15公開)
●絶賛発売中!
ISBN978-4-909658-22-7 C0020
A5判・並製・カバー装・396頁
定価:本体2,800円(税別)
【書いた人】
木場貴俊(きば・たかとし)
[略歴]
1979年、岡山県倉敷市に生まれる。2007年、関西学院大学大学院 文学研究科博士後期課程日本史学専攻単位取得退学。2012年、博士(歴史学 関西学院大学)。現在、国際日本文化研究センタープロジェクト研究員。2020年3月に『怪異をつくる 日本近世怪異文化史』(文学通信)を刊行。