東京大学ヒューマニティーズセンター(HMC)オープンセミナー 「生と技術芸術のあいだ:周作人、三木清、鶴見俊輔」(2025年9月16日(火)14:00 - 17:00、Zoomオンライン開催)

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研究会情報です。

●公式サイトはこちら
https://hmc.u-tokyo.ac.jp/ja/open-seminar/2025/140-between-life-and-art/
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※詳細は上記サイトをご確認ください。

日時:9月16日(火)14:00 - 17:00
開催形式:Zoomオンライン開催
登録先(セミナー中でも登録可能):https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/meeting/register/xVCmxDn9TNq9cN0-Cm81Jw
登壇者
コーディネーター:伊藤徳也(東京大学教授)
ゲスト:秋富克哉(京都工芸繊維大学教授)、梶原駿(大阪樟蔭女子大学助教)
言語:日本語
主催:東京大学ヒューマニティーズセンター

【概要
周作人の言う生活の芸術というのは、お酒の飲み方や、性愛のあり方、道徳、出処進退のあり方などの日常生活の諸形式を指す日常感覚の実践哲学のようなもので、三木清はそうした日常生活の諸形式を、技術の範囲に含めて熱弁しています。三木清は、技術といえば往々にして科学技術や産業技術ばかりが議論されるが、それ以外の社会技術も技術として正当に考えられるべきだと力説し、『人生論ノート』の「娯楽」では、生活の技術は生活の芸術でなければいけないと喝破しました。時代背景と社会状況の違いを超えて、周作人と三木清の議論は絶妙に共鳴しているように思われます。

周作人の言う芸術は現在の日本語で言うなら、芸術というよりは、技術に近いのですが、一方で「生活を一種の芸術とみなし、微妙に美しく生活する」という生き方を生活の芸術として提示してもいます。そこには、デューイが言うところの「美的経験」が深く関わっているように思われます。デューイも、周作人と同じように、芸術を、狭義の芸術の枠に閉じ込めずに、「経験としての芸術」を論じました。その際に鍵となったのが「美的経験」です。ただし、周作人、三木清の二人といっしょに突き合わせて考えるなら、比較対象として妥当なのは、デューイよりも限界芸術論の鶴見俊輔でしょう。

美学倫理学的あるいは哲学的に、普遍的一般的な概念に即して垂直に掘り下げていくというよりは、比較文化論的に、個別的で特殊な諸条件に目配りをしながら、周作人、三木清、鶴見俊輔の思想と実践を、3つの円の中心にしながら、なるべくそれぞれの円を水平方向に拡大させ、重なり合うところと重なり合わないところを確認しつつ討議を深めていただければと思います。】