【連載】vol.5 聖書学・キリスト教史研究者に向けた本書の読み方ガイド(宮川創) - DHへの誘い〜『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』専門分野別読書ガイド〜

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vol.5
聖書学・キリスト教史研究者に向けた
本書の読み方ガイド

文●宮川創


はじめに

皆さんこんにちは、本書の第3部を書かせていただいた、コーパス言語学者・キリスト教文献学者・エジプト学者の宮川です。今回は、本書『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』のなかから、聖書学・キリスト教史に活用できる記事をご紹介していこうと思います。


デジタル・ヒューマニティーズと聖書・キリスト教文献

DHの黎明期からキリスト教文献は真っ先にデジタル化されました。コンピュータで初めてデジタル化された人文学資料は、『神学大全』で著名な中世イタリアのキリスト教神学者トマス・アクィナスのキリスト教神学の諸著作です。これは、イエズス会のロベルト・ブサ神父がIBMと協力して1949年に始まりました。ブサ神父はコンピュータを用いてトマス・アクィナスの神学書のすべての単語をインデックスしていき、それらの単語をコンコーダンス検索できるようにしました。コンコーダンス検索とは、検索した単語の、コーパスにおける全ての出現例を前後の文脈付きで一覧として表示する方法です。これによって、検索した単語の用法を調べることができます。このブサ神父のデジタルツールはIndex Thomisticusと呼ばれ、https://www.corpusthomisticum.org/it/index.ageで使用することができます。

現在では、トマス・アクィナスの諸著作は、ブサ神父の仕事を引き継いで、形態情報・統語情報など様々な情報が付与されているものが公開されています。ロベルト・ブサ神父によるデジタル・ヒューマニティーズにおける先駆的功績については、宮川創「3-5 聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ─聖書研究ソフトウエアの現状─」の第2節「宗教文献がデジタル・ヒューマニティーズの発展を牽引する」をご覧ください。

デジタル・ヒューマニティーズの先駆者としてロベルト・ブサ神父は国際的に称えられています。ブサ神父の名を冠したものとして、国際デジタル・ヒューマニティーズ学会連合(ADHO)のブサ賞があります。このブサ賞に関しては、宮川創「3-14 複雑性が人々をインスパイアし、共同作業を促進させ、DHを発展させる:Dgital Humanities 2019 ユトレヒト大会」をご参照ください。


聖書学のためのソフトウェア

キリスト教において最も重要視される書物といえば、聖書です。この聖書を閲覧し、分析するソフトウェアは、80年代から出回っていました。その後、数多くのソフトウェアが出現し、BibleWorksなど有力ソフトウェアで開発が停止されたものもあります。現在、よく使われている聖書研究ソフトウェアは、Logos Bible SoftwareAccordance Bible Softwareです。

Logosはどちらかといえば、牧師や神父、教会の教職者に、Accordanceは研究者に向いているようにも言われた時期もありましたが、この2つの機能とコンテンツの差は縮まってきています。どちらも、ギリシア語新約聖書および、ヘブライ語旧約聖書を、単語ごとに語釈付きで表示させることができます。そして、分からない単語があれば、クリックやマウスオーバーでその単語の意味や文法情報を出し、さらには単語の使用頻度のグラフなどを表示することができます。追加で聖書の写本の翻刻、ギリシア語やヘブライ語などの辞書、多言語の翻訳、図表ツール、聖書に関連する研究文献などを購入することもできます。詳しいことは、本書の宮川創「3-5 聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ─聖書研究ソフトウエアの現状─」をご覧ください。


聖書の諸写本研究ツールVirtual Manuscript Room

LogosやAccordanceと言った商用ソフトウェアに対して、近年ではドイツ研究振興協会などの公的機関の助成を受けて、無料でだれでもアクセスできる聖書閲覧・分析のウェブアプリケーションが発達しています。特に、数多くの新約聖書の翻訳の底本になっているネストレ=アーラント版を編纂しているミュンスター大学新約聖書本文学研究所のNew Testament Virtual Manuscript Roomでは、様々な聖書写本の写真と翻刻を見ることができます。いくつかの写真は所蔵機関の権利関係から完全公開されていないものもありますが、翻刻はすべて見ることができます。

また、聖書の校異情報を表やグラフを用いて視覚化することもできます。このデータベースは、Virtual Manuscript Roomというソフトウェアを用いています。Virtual Manuscript Roomは、他にもゲッティンゲン学術アカデミーのコプト語訳旧約聖書デジタル編纂プロジェクトでも用いられています。Virtual Manuscript Roomに関しては、本書の宮川創「3-6 デジタル聖書写本学の新潮流─Virtual Manuscript Room─」と、宮川創「3-1 コプト語文献学・言語学のデジタル・ヒューマニティーズ」の第5節「写本の翻刻をウェブアプリで行う」をご参照ください。


形態素情報・統語情報・情報構造・語釈付きの聖書コーパス

古代ギリシア語、ラテン語、サンスクリット語、ゴート語、古ノルド語など、インド・ヨーロッパ語族の古層の言語の形態素解析・語釈・情報構造が付与されたコーパスおよびツリーバンクである、オスロ大学のPROIELでは、形態素情報・語釈・統語情報・情報構造の表示付きでギリシア語新約聖書を閲覧・検索することができます。ギリシア語以外にも、ゴート語訳、アルメニア語訳、またその他のキリスト教文献も同じように閲覧・検索することが可能ですPROIELに関しては、宮川創「3-17 PROIELというインド・ヨーロッパ語族における古層の諸言語のインターリニア・グロス付きテクスト・コーパスとツリーバンク」をご参照ください。

主語、述語など、テキストコーパスの語同士の統語関係を解析することを係り受け解析と言いますが、本書は、古代のキリスト教文献に応用できる、ギリシア語およびラテン語のテキストの係り受け解析ツールにも触れています。ライプチヒ大学のArethusaでは、Universal Dependenciesという普遍的統語解析枠組みを用いてギリシア語およびラテン語テキストの係り受け解析を行います。Arethusaに関しては、小川潤「2-6 【形態・統語情報をテキストに付与する】Arethusa による古典語の言語学的アノテーション―構文構造の可視化と広範なデータ利活用の実現―」をご覧ください。

どのような言語でも同じ形式の係り受け関係で統語情報を記述するUniversal Dependenciesについては、宮川創「3-19 統語情報、語の情報をマークアップするUniversal Dependencies─依存文法ツリーバンクの世界標準─」および「3-20 Universal Dependencies の統語記述の特徴と自動統語解析」をご参照ください。

コプト語訳聖書や初期・古代末期キリスト教文献のコーパスが主体のコプト語タグ付き多層コーパスCoptic SCRIPTORIUMでもUniversal Dependenciesは用いられています。Coptic SCRIPTORIUMについては、宮川創「3-3 スウェーデンとアメリカで古代末期関連のDHプロジェクトの作業を行った」の第2節「Coptic SCRIPTORIUMというプロジェクト」をご参照ください。


IIIFとキリスト教文献デジタル・アーカイブ

本書では、聖書翻訳や古代末期のコプト語キリスト教文献を中心とする、ヨーロッパのIIIFのデジタル・アーカイブ についても紹介しています。IIIF(トリプルアイエフ)とは、国際的画像相互利用参照枠組みのことで、世界の数多くの図書館や博物館や美術館のデジタルアーカイブ が取り入れていて、日本でも多くの図書館や博物館や美術館が取り入れているものです。これを用いると、あるデジタル・アーカイブ にあるIIIF画像を他のデジタル・アーカイブ で表示させたり、EuropeanaJapan Searchのように、様々なデジタル・アーカイブ を横断して画像を検索することができます。

本書で紹介したヨーロッパ諸国のキリスト教文献を所有する図書館などの著名なIIIFの導入の例は、「3-8 ボドマー・コレクションが写本のオンライン・データベースを公開/ハンブルク大学が写本学のエクスツェレンツクラスター(ドイツ研究振興協会)を開設へ」の第1節「BodmerLab について」(スイスのボドマー・コレクション)、「3-10 ドイツ語圏のパピルス文献で著名なデジタル・アーカイブ」ベルリン・エジプト博物館とパピルスコレクションハイデルベルク大学図書館オーストリア国立図書館など)、「3-12 IIIF に対応したコプト語文献のデジタルアーカイブ(1)―バチカン図書館―」バチカン図書館)、および「3-13 IIIF に対応したコプト語文献のデジタルアーカイブ(2)―フランス国立図書館と Biblissima―」フランス国立図書館など)をご覧ください。

ヨーロッパの数多くのデジタルアーカイブ の画像の横断検索を可能にしたEuropeanaについては、西川開 「1-10 【データベースのビジネスプラン】 Europeana の変革」、および、西川開「1-11 【データベースの評価】 「デジタルアーカイブ」の価値を測る―Europeana における「インパクト評価」の現状―」をご照覧ください。


聖書関連文献・キリスト教文献の研究に使える諸ツール

古代および中世のキリスト教文献は、ギリシア語とラテン語の文献が多いですが、それらにはPerseusに含まれているものがあります。このデータベースを使えば、テキストと訳の閲覧、文法情報、語彙情報などを調べることができ、語彙の使用頻度の統計なども取ることができます。

Perseus Digital Libraryについては小川潤「2-4【これまで存在しなかったシステムを構築する】Perseus Digital Libraryのプロジェクトリーダー Gregory Crane氏インタビュー」および吉川斉「2-2【人文情報学の先駆的電子図書館】 Perseus Digital Library」をご覧ください。

また、古代および古代末期のキリスト教に関連するものを含むギリシア語パピルス文書も、PapyGreekPapyri.infoについて見ることができます。PapyGreekについては小川潤「2-7【ギリシア語のコーパス】PapyGreekによる歴史言語研究のためのギリシア語コーパス構築の試み―文書パピルスの言語学的アノテーション―」をご照覧ください。

キリスト教資料を含む、ギリシア語やラテン語、コプト語などの文献資料の編集の際には、ライデン記法がよく使われてきました。そして、このライデン記法を機械可読にするために、TEI XMLのサブセットのEpiDocが作られました。TEI XMLはデジタル・ヒューマニティーズで人文学資料のマークアップの国際標準となっている形式で、詳しくは、小風尚樹「1-8【データ構造化】 書簡資料のデータ構造化と共有に関する国際的な研究動向―TEI2018 書簡資料 WS を通じて―」およびJames Cummings(著)・永﨑研宣(訳)「1-12【教育と教育組織】 イベントレポート TEI の教育―訓練からアカデミックなカリキュラムへ―」をご覧ください。

TEI XMLのサブセットであるEpiDocは、PapyGreekやPapyri.infoなど古代および古代末期の資料のデジタル翻刻で非常によく用いられています。EpiDocについては、髙橋亮介「2-1【英国の墓碑情報をどうマークアップするか】 イベントレポート Digital Classicists / ICS Work-in-progress seminar」をご参照ください。そしてEpiDocに相互変換可能な形で、より人文学者の目線に立って表記を簡略化したLeiden+という記法がPapyri.infoなどで使われ、脚光を浴びています。Leiden+については、小川潤「2-5【紙媒体の校訂記号をデジタル校訂に利用する】西洋古典・古代史史料のデジタル校訂とLeiden+―デジタル校訂実践の裾野拡大の可能性―」をご覧ください。

その他、個々のキリスト教文献のデジタル化についても本書は数多く述べています。初期のキリスト教の重要な文献である『師父たちの金言』のデジタル化については、宮川創「3-3 スウェーデンとアメリカで古代末期関連のDHプロジェクトの作業を行った」の第1節「ルンド大学のデータベースMonastica」で詳しく述べています。

中世のラテン語キリスト教関連文献については、赤江雄一「2-9【中世写本のラテン語の難読箇所を解決するEnigma】中世写本のラテン語の難読箇所を解決するEnigma」をご覧ください。コプト語によるキリスト教文献の、タグ付きコーパスとその視覚化については「3-1 コプト語文献学・言語学のデジタル・ヒューマニティーズ」の第6節「コプト語の形態素解析を行い、各形態のレンマや品詞を分析」および「3-3 スウェーデンとアメリカで古代末期関連のDHプロジェクトの作業を行った」の第2節「Coptic SCRIPTORIUMというプロジェクト」をご照覧ください。

地中海世界では、キリスト教が成立した紀元後1世紀から、紀元後8世紀頃までに数多くのキリスト教文献や聖書写本が作られました。これらの文献資料は、ギリシア語、ラテン語、コプト語、シリア語などの言語で書かれています。そして、それらの文献資料を検索し、所蔵館や翻刻出版情報などを調べるのに欠かせないウェブデータベースとしてTrismegistosがあります。このTrismegistosに関しては、宮川創「3-11 Trismegistosという紀元前8世紀から紀元後8世紀までのエジプト語・ギリシア語・ラテン語・シリア語などの文献のメタデータや関連する人名・地名などのウェブ・データベース群、および、Linked Open Data のサービス」をご参照ください。

初期キリスト教のコプト教父の文献における聖書からの引用の自動探知についても本書で詳述しています。宮川創「3-7 デジタル・ヒューマニティーズにおけるテクスト・リユースと間テクスト性の研究」および「3-9 テクスト・リユースと間テクスト性研究の歴史と発展」をご参照ください。

古代だけでなく、キリスト教は、西洋中世・近代にも非常に大きな影響力を持っており、西洋中世・近代のデジタルヒューマニティーズのプロジェクトでも聖書やキリスト教に関連する文献を扱ったものがかなり多くあります。それらデジタルアーカイブやデジタルツールに関しては、例えば、長野壮一 「2-10【史料批判の精度を高めるためのTEI】 リヨン高等師範学校講義「中世手稿のデジタル編集」参加記」および長野壮一 「2-11【分野横断的基軸としてのデジタル人文学】 フランスのDH―リヨンCIHAMを中心として―」TEI Critical Appratus ToolboxなどのツールやSermones latinsなどのキリスト教の史料コーパスが紹介されています)、そして、安形麻理「2-12 【デジタル技術を使って新しい問いを立てる】 ヨーロッパの初期印刷本とデジタル技術のこれから」および徳永聡子「2-13 【書物史の新たな知見を広げる】 インキュナブラ研究とcopy-specific information」(グーテンベルク聖書など西洋の初期印刷本のデジタル化が紹介されています)、さらに纓田宗紀「2-14【元データがAPIとXMLファイルで提供される目録】 Regesta Imperii Online の活用」(中世ドイツを中心としたキリスト教史料を多数含む)をご覧ください。


おわりに

聖書およびキリスト教は紀元1世紀以降の西洋史において大きな影響力を持ちました。これは、アメリカ、古代末期ローマ帝国、イギリス、西洋中世においても同じです。本連載の第1弾「アメリカ研究者に役立つ本書の読み方ガイド」(山中美潮)第2弾「古代史研究者などに役立つ本書の読み方ガイド」(小川潤)第3弾「イギリス研究者に向けた本書の読み方ガイド」(小風尚樹)第4弾「西洋中世研究者に向けた本書のガイド」(纓田宗紀)を本稿と併せてぜひご照覧ください。

聖書学・キリスト教文献学は、デジタル技術が適用されるのが早い分野でしたが、現在も次々に新しいプロジェクトが生まれてきている活発な分野です。例えば、古典シリア語の聖書やキリスト教文献を中心とするSyriaca.orgは、リンクト・オープン・データ(LOD)やTEIの応用で非常に注目されています。他にも、貴重な最初期の聖書断片などを有するダブリンのチェスタービーティー図書館などより多くの図書館や研究機関が、IIIFを用いて、貴重なキリスト教文献を公開してきています。これからも、欧米圏のキリスト教文献のデジタル化はどんどん発展していくでしょう。