宮川創「3-5. 聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ─聖書研究ソフトウエアの現状─」●『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』より公開

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2021年7月に刊行しました『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』より、宮川創「3-5. 聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ─聖書研究ソフトウエアの現状─」を公開します。ぜひお読みください!

●詳細はこちら
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【監修】一般財団法人人文情報学研究所
【編集】小風尚樹/小川潤/纓田宗紀/長野壮一/山中美潮/宮川創/大向一輝/永崎研宣
『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』
ISBN978-4-909658-58-6 C0020
A5判・並製・496頁
定価:本体2,800円(税別)

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3-5
聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ
─聖書研究ソフトウエアの現状─

文●宮川創


1.聖書文学学会国際大会と欧州聖書学会の共同大会に参加
 先日、2018年7月31日から8月3日にかけて、著者はヘルシンキ大学で行われた聖書文学学会国際大会(Society of Biblical Literature, International Meeting)[注1]と欧州聖書学会(European Association of Biblical Studies)[注2]の共同大会に参加し、8月2日にデジタル・ヒューマニティーズのセッションで研究発表を行った。セッションの名称は「聖書学、初期ユダヤ教、および、初期キリスト教学におけるデジタル・ヒューマニティーズ」(Digital Humanities in Biblical Studies, Early Jewish and Christian Studies)であり、私の発表はゲッティンゲン大学コンピュータ科学研究所のマルコ・ビュヒラー(Marco Büchler)との共同発表だった。発表内容は、コプト語文学で最も多作であった、紀元後4世紀から5世紀に活躍した修道院長シェヌーテのコプト語文献の中にある古いコプト語訳聖書からの引用と引喩のコンピュータを用いた自動探知による新発見、および、その結果の文献学的な分析である。聖書文学学会はアメリカを中心とする聖書学や聖書に関係する文学の学会であり、欧州聖書学会はヨーロッパで最も大きい聖書学の学会である。両者ともに伝統ある学会であるともに、多くの研究発表が聖書研究の長い伝統にのっとったものである。しかしながら、近年では、デジタル・ヒューマニティーズのセッションの拡充および、デジタル技術を駆使した革新的な研究が目立つようになってきた。

2.宗教文献がデジタル・ヒューマニティーズの発展を牽引する
 デジタル・ヒューマニティーズの父と呼ばれ、ADHO(The Alliance of Digital Humanities Organizations)のRoberto Busa Prizeに名を残している人物といえば、イタリアのイエズス会士、ロベルト・ブサ(Roberto Busa)[注3]である。DHの泰斗となった彼の最も有名なプロジェクトは、Index Thomisticusという、中世哲学およびカトリック神学の大学者である聖トマス・アクィナスの著作の索引のデジタル化のプロジェクトであった。これが開始されたのは、1946年という、初期のコンピュータができてまもなくの時代であった。学問が宗教から独立すべきであることは、客観性・中立性を保つ上で大変重要であるが、人文学は、人間の文化といった精神面を主に追求する以上、宗教も重要なトピックの一つとなってくる。ヨーロッパの大学は、中世では神学を中心に発展し、ルネサンスになると、既存の宗教的枠組みの再構築が推し進められた。このような背景があり、宗教に肯定的か、否定的か、それとも中立的か、といった各人のスタンスは脇に置いておいて(もちろん中立的なのが最も望ましいが)、ことに宗教的な文献は、神学はもちろんのこと、人文学の分野でよく研究されてきた。
 デジタル・ヒューマニティーズは、日本では大蔵経など仏教経典が興隆の中心の一つとなったが、宗教文献がその発展を牽引するものとなったのは、このように、ヨーロッパでも同じである。キリスト教で最も重要な書物である聖書は、早くからデジタル・ヒューマニティーズの分野で研究された。そして1980年代からさまざまな機能を備えた聖書研究用のソフトウエアが現れた。冒頭で述べたヘルシンキの学会では、Logos[注4]とAccordance[注5]という2018年時点での二大聖書研究ソフトウエアのブースが商用スペースにあり、また、Accordanceのワークショップが大会のセッションの一つとして開催された。ここでは、これらの聖書研究用のソフトウエアについて述べる。

3.開発が終了したBibleWorks
 聖書研究ソフトウエアとして、学者によってよく用いられるものに、BibleWorks、Logos、そしてAccordanceがある。著者はこの三つとも所有しており、よく比較している。このうちBibleWorks[注6]は、数多くのユーザを残しながら、2018年6月15日にそのサービスを終え、今後アップデートがなされる目処は立っていない。いまでも、プロダクトキーの購入者は、サイトからこのソフトウエアをダウンロードし、インストールすることができるが、もはや公式なサポートはなされない。このBibleWorksは、聖書の本文研究に特化している。BibleWorksのユーザー・インターフェース内には、左のサーチ・ウィンドウ、中央のブラウズ・ウィンドウ、右のアナリシス・ウィンドウがある。中央のブラウズ・ウィンドウでギリシア語、もしくは、ヘブライ語の聖書本文で語の上にカーソルを置くと、その語の品詞・活用/曲用・意味情報が表示されるほか、右のアナリシス・ウィンドウでは、Louw and Nidaの辞書[注7]など、学者によってよく用いられる辞書でその単語の意味を引くことができる。また、日本語の新改訳聖書を含むさまざまな言語の聖書とパラレルに表示することも可能である。さらに、新約聖書の主要な写本の写真のほか、最新版であるBibleWorks 10では、旧約聖書のレニングラード写本の写真も見ることもでき、これらの写真には、節単位で、ブラウズ・ウィンドウの聖書の本文とのリンクが付されてある。そして、聖書の諸写本の異読の情報もアナリシス・ウィンドウのタブを切り替えることでパラレルに表示し容易に比較することができる。

4.LogosとAccordanceを比較する
 著者は、三つのソフトを所有しながらも、このBibleWorksのシンプルさに惹かれ、これを長年愛用していたが、サポートの終了に伴い、ほかの二つのソフトLogosとAccordanceのどちらかをメインに使うことに決めた。聖書本文の研究では、LogosとAccordanceのどちらも大差はないように思えるが、起動やレスポンスはAccordanceの方が速い。また、単語の下に語釈やグロスなどを表示するインターリニア・ビューでは、Logosの方が美しく表示されるものの、Accordanceの方がより柔軟にカスタマイズできる。ただし、Accordanceは、文字の大きさの加減でレイアウトが崩れることもあるのに対し、Logosのレイアウトは磐石である。単語の統計などの視覚化はLogosの方が美しい。このように、ヴィジュアル面ではLogosの方が優れている。このように、実用面で優れているAccordance、視覚面で優れているLogos、とコントラストをつけることができる。
 BibleWorksが主に聖書本文の閲覧・研究に特化していたのに対し、LogosとAccordanceは聖書本文だけでなく、巨大な専門書・学術書のeブック・ライブラリを有し、eブック・リーダーとしても大変優れたソフトウエアである。両方ともよく研究に用いられる優れた書籍を多数有している。さらに、Logosには新約聖書や七十人訳旧約聖書の独自の翻訳などがあるが、日本語の聖書はAccordanceの方が豊富であり、新改訳や新共同訳を追加することもできる[注8]。BibleWorksも文法書などを見られることは見られるのだが、数は限られている。これに対し、LogosとAccordanceはeブックのライブラリは巨大であり、その表示も大変滑らかでスタイリッシュである。ライブラリの充実度では、Logosに軍配が上がる。
 Logosでは、購入する際にパッケージを選ぶことができるが、それぞれの教派に特化した使用にすることもできる。例えば、カトリックのパッケージであるVerbumを選ぶと、カトリックの神学者たちの重要な著作や、中世のカトリック教会の著名な神学者や哲学者の著作、そしてローマ教皇の回勅などのeブックが付いてくる。正教会ヴァージョンは金口イオアン(ヨハンネス・クリュソストモス)などの重要なギリシア教父、改革派版はカルヴァンの著作など、それぞれの教派の重要な著作が充実している。選択肢には、正教会、カトリック(Verbum)、聖公会、メソジストとウェスレヤン、バプテスト派、ペンテコステ派とカリスマ派、ルター派、改革派、セブンスデー・アドベンチスト、そして教派に偏らないStandardがある。ライブラリのサイズは、Basic、Starter、Bronze、Silver、Gold、Platinum、Diamond、Portfolio、Collector's Editionという段階で選ぶことができ、これらの段階が上がるごとに値段も相応に上がっていく。ちなみに、最小のBasicは無料であるのに対し、一番豊富なライブラリであるCollector's Editionは10,799,99ドルである(2018年8月14日現在はセールで8,099,99ドルになっている)。このCollector's Editionは5,132のeブック、聖書写本の写真、地図、聖書本文朗読の音声などを有している。追加で個別のコンテンツを購入することも可能である。
 これに対して、Accordanceは、目的ごとに異なるシリーズがある。英語の聖書翻訳の研究にはEnglish、ギリシア語聖書の研究にはGreek、ヘブライ語聖書の研究にはHebrewシリーズといったラインナップがあり、ライブラリの多さに基づいて、それぞれLite、Basic Starter、Starter、Learner、Discoverer、Pro、Expert、Master、All-in-Allというレベルが用意されていて、レベルが高くなるにつれて値段も高くなる。最大のAll-in-Allは、1283のコンテンツを持ち、2018年8月14日現在37,999米ドルである。また、Add-On Collectionsなどで特定の分野に特化した複数のコンテンツを一気に追加できるほか、Logosと同じように個別のコンテンツを追加購入することも可能である。

5.商用・非商用とDH
 今回紹介した聖書研究ソフトウエアはすべて有料であり、オープン・アクセス、オープン・データ、および、オープン・ソースを推進させているデジタル・ヒューマニティーズの一スタンスには商業主義的に映るかもしれない。ただ、これらのソフトウエアを開発しているのは、民間企業であって、学術機関ではない。また、これらのソフトウエアに搭載されているコンテンツ自体、出版社から出版された書籍をデジタル化したものがほとんどであり、このようなコンテンツを有する限り、有料化は免れえないし、パッケージで購入すれば、すべてのコンテンツを書籍で買うよりも安くなる。加えて、LogosとAccordanceに収録されているコンテンツには、次回で説明するが、DHのプロジェクトで作成されたオープン・データがうまく活用されているものがある。そして、聖書研究ソフトウエアの開発元とタイアップしている研究機関もある。例えば、教皇庁立聖書研究所はLogosのカトリック版であるVerbumと協定を結び、研究所の教授陣はVerbumのコンテンツの選定に大きく関わると同時に、研究所の学生は少額を研究所に支払うことで、8,000ユーロ程度する、高額のVerbum最上位パッケージを使用することができる[注9]。このように、研究のための商用ソフトウエアの開発元とうまく相互連携していくのもDHの一つの道であろう。
 次回は、研究機関が開発を進めている、使用料が無料である聖書研究ソフトウエア、および、ウェブアプリを紹介するほか、DHの観点から聖書学を研究するヨーロッパとイスラエルの諸研究機関の取り組みを紹介する。

▶注
[1]"2018 International Meeting: Helsinki, Finland," Society of Biblical Literature, accessed July 20, 2020, https://www.sbl-site.org/meetings/Congresses_ProgramBook.aspx?MeetingId=32.
[2]"Home," EABS: European Association of Biblical Studies, accessed July 20, 2020, https://www.eabs.net/.
[3] Busaの日本語表記の仕方は、ブーザ、ブーサ、ブザ、ブサの4通りが考えられる。イタリア語の母音間のsは、casaのように有声音でも無声音でも読むことが可能である。
[4]"Logos," Logos Bible Software, accessed July 20, 2020, https://www.logos.com/.
[5]"Accordance Bible Software," Accordance - Bible Software for Windows, Mac, Android & iOS, accessed July 20, 2020, https://www.accordancebible.com/.
[6]"BibleWorks - Bible software with Greek, Hebrew, LXX, and more! Software for Bible study and exegesis," BibleWorks, accessed 20 July, 2020, https://www.bibleworks.com/.
[7] Johannes P. Louw, Eugene A. Nida, Rondal B. Smith, and Karen A. Munson, eds., Greek-English Lexicon of the New Testament, Based on Semantic Domains. 2 vols. (United Bible Societies, 1988).
[8] Logosでは、一定数のPre-Orderが集まったものが電子化され、追加可能になる、というシステムを取っている。現在、日本語訳では、新改訳のPre-Orderが募集されている("Shinkaiyaku Japanese Bible," Logos Bible Software, accessed August 17, 2018, https://www.logos.com/product/36473/shinkaiyaku-japanese-bible)。
[9] ". . . the Institute has made a deal with Verbum (the Catholic 'section' of the Logos platform). As based on this agreement, the student can receive a 'package' containing critical editions of the biblical texts, indispensable dictionaries, the main extrabiblical texts (targumim, Qumran, . . .) and about 200 commentaries chosen by the PBI professors. The value for the hardcopy/paper versions of these resources would total around 8000 Euros." ("Rome, Academic Fees, 2018-19," Pontifical Biblical Institute, accessed August 18, 2018, https://www.biblico.it/fees.html)。

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宮川 創(みやがわ・そう)
1989年生まれ。京都大学大学院文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター助教・情報ネットワーク管理室助教兼任。京都大学大学院文学研究科言語学専修博士後期課程研究指導認定退学。ゲッティンゲン大学エジプト学コプト学専修博士課程。修士(京都大学・文学)。ドイツ研究振興協会特別研究領域研究員、関西大学アジア・オープン・リサーチセンターPDを経て現職。論文に、「コプト教父・アトリペのシェヌーテによる古代のコプト語訳聖書からの引用」(『東方キリスト教世界研究』第5号、2021年)、「ローマ・ビザンツ期エジプトのデジタルヒストリー : コプト語著述家・アトリペのシェヌーテを中心に」(『西洋史学』第270号、2020年)、'Optical Character Recognition of Typeset Coptic Text with Neural Networks'(筆頭著者、Digital Scholarship in the Humanities 34, Suppl. 1、2019年)など。

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