【連載】vol.4 西洋中世研究者に向けた本書の読み方ガイド(纓田宗紀) - DHへの誘い〜『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』専門分野別読書ガイド〜

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vol.4
西洋中世研究者に向けた
本書の読み方ガイド

文●纓田宗紀


はじめに

みなさんこんにちは。『欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』共編者の一人、纓田宗紀(おだそうき)です。わたしの専門は、中世ヨーロッパ世界におけるローマ教皇権を対象とする歴史研究で、現在ドイツに留学して博士論文を執筆しています。本書の読み方ガイド第4回では、中世を対象とした人文学研究をおこなう読者に向けて、本書の注目ポイントを紹介します。


「時代から知る」中世編

本書の第2部「時代から知る」には中世編が配置されています。中世学の何らかの分野を専門領域とする読者のみなさんは、まずはここに収められた7本の記事に目を通すことでしょう。古書体学(永井正勝)、インキュナブラ研究(安形麻理、徳永聡子)、TEI講習(長野壮一)、データベースの作成と活用(纓田宗紀)、研究支援ツール(赤江雄一、長野壮一)といったトピックに関する、いずれも簡にして要を得た読みやすい内容となっています。

なかでも安形麻理「1-12. ヨーロッパの初期印刷本とデジタル技術のこれから」徳永聡子「1-13. インキュナブラ研究とcopy-specific information」は、DH研究の最先端に参画する日本人研究者からの刺激に満ちた実践報告として必読です。

もちろん、この7本の記事でデジタル中世学の全容を見通せるわけではないのですが、これらを読めば、ご自身の研究とDHのつながりをみつけることができるはずです。以下では、本書を入口としてDHの世界に足を踏み入れようとするみなさんが本書をさらに活用するために、中世編7本とトピックを共有する他の記事を紹介しながら、デジタル中世学の世界を垣間見たいと思います。


デジタル中世学の長い歴史

実は、DHは中世学から生まれたといっても過言ではありません。DHの歴史を語るとき、その起源のひとつとして必ず言及されるのが、イエズス会研究者であるロベルト・ブサ神父(1913-2011)が1940年代後半にIBM社と共同でおこなったトマス・アクィナスの著作の索引作成プロジェクトです。これについては、宮川創「3-5. 聖書学とデジタル・ヒューマニティーズ--聖書研究ソフトウエアの現状--」でも触れられています。

DHをフランスにおける歴史学の展開に位置づけた長野壮一「2-29. フランス現代歴史学におけるDHの伝統」からも、DHと中世学のつながりが読み取れます。「近い将来、歴史家はプログラマになるだろう、さもなくばもはや何者でもないであろう」というフランスの著名な中世史家エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの引用で始まるこの記事は、1960年代から70年代のフランスにおいて、大量のデータを処理する数量的手法と情報技術を融合させた中世研究がさかんだったことを紹介しています。この研究潮流が、その後の人文学テクストのマークアップやデータベース構築につながっていきました。


手書き文字の解読

さて、人文学の史資料を扱うわたしたちデジタル・メディーバリストが気になるのは、やはり手書き文字の解読技術でしょう。中世編の最初の2本永井正勝「2-8. デジタル技術を用いた古書体学--シンポジウム参加報告--」赤江雄一「2-9. 中世写本のラテン語の難読箇所を解決するEnigma」も、古書体学(パレオグラフィー)をテーマとしています。

翻刻支援ソフトウエアの開発は近年急速に進んでおり、そのなかでも人文学研究でもっともよく用いられているのがTranskribusというものです。宮川創「3-16. 歴史文書の手書きテクスト認識(HTR)に関して」は、Transkribusが開発された背景にあるOCR技術の限界や、このツールのもつ可能性を伝えています。Transkribusについてさらに知りたい方は、本書にも多数の記事を寄稿している小風綾乃さんの実践報告「Transkribusを使った18世紀フランス語手稿史料の翻刻実践」(『西洋史学』269号、2020年、78-80頁)も参照することをおすすめします。


おわりに

欧米圏デジタル・ヒューマニティーズの基礎知識』の出版によって、はじめてデジタル中世学に関する日本語の情報をまとめることができました。しかし、本書がカバーしているのは、デジタル中世学のほんの少しの領域でしかありません。一冊の書物で全容を把握することはもとより不可能だとはいえ、もっと多くのトピックを日本語で紹介し、関心を集めていくことが望ましいと思います。

わたしも微力ながら日本における中世研究とDHの橋渡しに貢献したいと考え、西洋中世学会若手セミナー「西洋中世学研究者のためのデジタル・ヒューマニティーズ入門」(共催:歴史家ワークショップ、Tokyo Digital History)の企画を立ち上げましたが、コロナ禍により延期となっています。いずれ必ず実現させたいと思っています。

本書やこのガイドを読んで、さらにデジタル中世学の世界を知りたいという方は、ぜひウェブコミュニティDigital Medievalistや、中世研究の学際的な情報を発信するブログサイトMittelalter - Interdisziplinäre Forschung und Rezeptionsgeschichteで、関心のあるトピックを探してみてください。そして一緒に勉強しましょう。