【連載エッセイ】其の四「大量生産される紙」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉
Tweet
[コーナートップへ]
其の四
大量生産される紙
■砂になった漢籍
書物にまつわる恐ろしい出来事として、今でも時折夢にみてうなされるのが「砂になった漢籍」の話です。暖炉の上にあった漢籍を読もうとして、帙(ちつ)ごと取り出したところ、中身の紙がザっと落ちてしまったとか。手に残ったのは空っぽの帙だけ、足元には砂のような物質に変わっていた竹紙の、サラサラとした細かい粒子が山のように積もっていたそうです。
竹紙の繊維を知っていると、これが作り話とは全く思えません。大陸での出来事とうかがっていますから、推測するに暖炉の上に長期間縦置きしていたのでしょう。横置きならば紙の状態が常にみえるので、劣化に気がついていたはず。粒子レベルに変質した紙はどんなに腕の良い書医でも治せません!
【和漢書は横積みが基本 撮影協力:神保町・大屋書房】
■印刷と紙の深い関係
竹紙の歴史は印刷技術に関連しています。唐代(618年〜907年)にはすでに竹紙があるものの、本格的な発展・普及は宋代(960~1279年)に入ってからになります。印刷は紙を大量に使用することになり、カジノキなどの樹皮を原料とする棉紙(めんし)では、その需要に応じる供給が出来ません。そこで成長の早い竹を原料とした竹紙が紙質を向上させながら普及していきます。
清代の書誌学者たちは宋版の紙と墨の美しさを褒めたたえていて、紙は「白くて厚みがある」ことが珍重されました。紙が多種多様になることは、中国の書誌学者・葉徳輝(しょうとっき)がいう「文化の盛行」なのですが、やはり手間暇をかけることができた時代の書物と、スピードと量を重視して作られた書物では、前者をありがたいと思ってしまうのが世の常です。
明代には麻沙本(まさぼん)といわれる、誤刻(ごごく・板木に文字の彫り間違いがある、いわば誤植)が多い粗悪な漢籍が出回りました。麻沙本は現在の福建(ふっけん)省で刊行されていて、これは竹紙の産地と隣接しています。紙、特に製紙所と印刷の関係については前著『紙が語る幕末幕末出版史』(文学通信、2018年)で触れましたので、興味にある方はご一読ください。
【竹紙の繊維(100倍)】
【韓紙(コウゾ原料)の繊維(100倍)】
『書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〔クロニクル〕』(以下『書医』)の勝(すぐり)一族は大陸渡来という設定で、代々陰陽五行(いんようごぎょう)説の「木火土金水」という順番に従って名前がつけられています。
祖父「錦之助」は「金」、父「清志」は「水」で、本来なら息子は「木」を含んだ漢字で命名されるはずなのに、清志さんが「葵」と名付けてしまいました(連載エッセイ其の一「見えない原料」参照)。あづさとさくらは、その命名法に気づいた母のナオさんが出産直後につけた「木」にまつわる名前です。
■書物は身の回りにある植物からできる
『書医』付録第6講で紙以前の書写材料に触れたように、記録媒体は人間の生活圏内にある物質を利用していました。中国では竹が生えない地域で木簡(もっかん)が使われました。日本でもコウゾの栽培は東北・北海道では難しくなります。どちらも植生の問題で、植物は緯度と高度で生育域が異なります。
中国では南宋時代に首都が浙江(せっこう)省の臨安(りんあん)へ移ります。北宋の首都である河南(かなん)省の開封(かいほう)は北緯34度、日本だと四国・和歌山・奈良あたりです。臨安は北緯30度で鹿児島あたりです。書物をはじめ、紙を最も消費するのは首都ですから、遷都先でもっとも生産力のある竹紙が主流となり、その後も多くの漢籍が竹紙で印刷されました。とはいえ真白な棉紙がなくなったわけではなく、上質紙本として販売されています(前掲『紙が語る幕末幕末出版史』で詳述)。
印刷用の板木に使われたとされる「梓」も中国と日本では異なります。漢字は同じでも、北緯30度近辺は亜熱帯もしくは熱帯ですから、中国の「梓」はノウゼンカツラ科の樹木、ほぼ北緯35度に位置する日本の首都近辺の「梓」は温帯に生育するカバノキ科の樹木になります。日本では堅牢な山桜が板木に使用されるようになりました。
『書医』の勝家兄妹は、紙が先に誕生し(葵)、その後に中国の印刷(あづさ)、そして日本の印刷(さくら)という順になっています。
■木材パルプの登場
竹紙に限らず、製紙は原料となる植物が生育する近辺で行われるのが一般的です。東日本大震災の時、少年ジャンプが臨時休刊する事態が発生しました。印刷工場が被災したためです。あの時は印刷ができないだけではなく、紙の輸送もストップしました。日本では明治期以降、木材パルプを原料とする紙は北海道で生産され、北前船(きたまえぶね)のルートで運搬されていました。21世紀になってもその名残があるわけです。
現在、私たちの身の回りにある紙は、針葉樹の木質部から抽出したパルプが主流です。
【木材パルプの繊維(100倍)】
北海道が木材パルプの主産地になったのは、最初にパルプを開発・使用したヨーロッパの植生に関係します。地中海で温暖なイメージがあるナポリですら、実は北京や秋田と同じ北緯40度です。同質の木材を求め、さらには領地という利権に悩まされることが少ない北海道に、機械で大量生産が可能な洋紙の製紙工場が作られた理由がここにあります。
→[【連載エッセイ】其の五「料紙観察と紙の多様性」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉]へ