【連載エッセイ】其の一「見えない原料」 - 白戸満喜子の料紙観察の手控〈メモ〉

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其の一
見えない原料


今週から全5回にわたり、『書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〔クロニクル〕』(以下『書医』)でお伝えできなかった紙に関する追加情報や隠しネタ、裏設定などをご報告いたします、著者の白戸満喜子です。

■「パピルス」は紙じゃない!?

まずは「紙」というモノについてお伝えしようと思います。

紙を知らない方はいなくても、紙とはどんなものか、という質問に即答できる方は少ないはずです。私たちの身近にある紙とおぼしきモノには紙ではないものがあります。

選挙の際に投票用紙を触って「おやっ」と思われた方、素晴らしい感性です。現在使用されている投票用紙は名称こそ「紙」になっているものの、紙として定義されているモノには当てはまりません。

書医』の付録「浅利先生の書誌学講座」第6講にでてくる「水素結合」という化学結合により「植物を原料とした繊維」の一本一本がくっついている、シート状の物質を紙といいます。紙は原料となる植物を細かくバラバラにした繊維を水中に入れ、その際に生じる水素結合の作用でシート状にした物質です。

もうひとつ、紙ではないモノがパピルスです。

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【手前・右がパピルス】

パピルスはナイル川の河口周辺、エジプトで作られていました。カヤツリグサ科の植物の一種であるパピルスは、長さは6,000キロメートル以上に及ぶナイル川周辺に生育しています。ただ、記録媒体として白色のシート状にすることができるのはエジプト周辺だけでした。これにはナイル川河口のバクテリアが関連しているといわれています。

ラテン語のpapyrusが、英語のpaper(紙)やフランス語・ドイツ語のpapier(紙)の語源なので、私が講師をつとめている慶應義塾大学のオンライン講座「The Art of Washi Paper in Japanese Rare Books」(※1)には、「紙の起源はエジプトじゃないの?」とか「パピルスは紙の一種だと思っていた」というコメントが海外の受講生から寄せられます。

そう、パピルスは紙ではありません。パピルスは植物の茎を細長い切片に切って作ります。植物片を縦と横に並べ、バクテリアによる発酵で生じる粘着性を利用して接着したものなのです。

■「料紙観察」ってなにをするの?

次に、連載タイトルである「料紙観察」についてお伝えしたいと思います。

「料紙観察」は紙の質を非破壊で調査する方法です。ルーペやマイクロスコープなどの機器で紙の表面を拡大し、原料である植物繊維の形状を確認します。他にはライトなどの光源を使用して紙を漉く際に使用された簀子(すのこ)の痕を確認します。時代によって紙には特徴がありますから、どういう特徴がある紙なのか、料紙観察は紙全体を詳細に調査します。

とはいえ、その特徴から特定の時代につくられた紙であるという判断はできません。「紙で時代がわかる」という誤解は一般の方でも、研究者でも後を絶ちません。コンピュータに関する知識と能力を指す「コンピュータ・リテラシー」がある一方で、コンピュータよりも長い間人類が利用している紙に関するリテラシーは、実のところ意識されていないのです。

料紙観察はあくまでも形状確認であり、「鑑定」とは異なります。正確な年代は放射性炭素年代測定(C14年代測定)という破壊検査があるものの、現状ではまだ100年前後の誤差があります。

■見えないけれど大事なもの

書医』では妹のさくらに紙の原料が見える能力がある設定です。そういう力が欲しい方もおいででしょう。(私もそうです!)

ただ、原料植物を見分けることができるさくらにも見えない原料があります。それは《粘剤(ねり)》です。粘剤はルーペによる料紙観察では確認できません。粘剤を「ノリ」と呼ぶ地域もありますが、接着作用はありません。製紙工程の中で、原料の植物を白いドロドロの液体状にして水中に入れる前に、トロロアオイの根から抽出した粘液である粘剤を入れておきます。

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【参考図版 国立国会図書館所蔵『造紙説』上〔1〕17コマ目 右上の「蜀葵根」ほか】

粘剤が植物繊維を浮き上がらせる懸浮剤(けんぷざい)となり、簀子で植物繊維をすくい取る際の濾過(ろか)速度を遅くすることで紙の厚さを均一に調節できます。流し漉きという漉き方の際には必ず加えられます。

粘剤に用いられるのは主としてトロロアオイ(黄蜀葵〈おうしょっき〉)の根で、地域や季節によってノリウツギやニレなどの樹皮も用いられます。粘剤を加えて漉いた紙どうしはくっつかないため、重ねておくことができますし、『書医』京都編の其の三「助け舟」に登場する打ち紙にも用いられます。

中国では粘剤を「紙薬(しやく)」と呼び、キウイフルーツの蔓(つた)など多種多様な粘液を抽出できる植物が原料になります。これは地域により植生が異なるためです。

さて、『書医』の表紙・裏表紙にトロロアオイ(黄蜀葵)が描かれていること、お気づきになった方はおいででしょうか。清志さんが「トロロアオイって、和紙にはすごく大事なんだよねぇ」という理由で、お兄ちゃんを「葵」と命名しました。肉眼で見える白い紙は植物繊維だけでできているわけではありません。あづさとさくらを見守る存在として、そして書医・勝のメンバーとして、葵お兄ちゃんを象徴するトロロアオイを芳井アキ先生に描いていただきました。芳井先生、ありがとうございます。

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※1
Future Learn「The Art of Washi Paper in Japanese Rare Books」
https://www.futurelearn.com/courses/japanese-book-paper-j
2021年1月11日からこれまでの内容をリニューアルして日本語版が英語版に先駆けて公開されます。和紙の原料処理、紙漉きから巻子本や袋綴じの本を作る作業、そして多種多様な和紙を使用した書物を動画で紹介しています。『書誌学入門ノベル! 書医あづさの手控〔クロニクル〕』と併せてお楽しみください。


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