【連載】第5回 成功を誇ってはいけないか?――松林伯円 | ゆらめく勧善懲悪 2代目松林伯円の講談世界(目時美穂)

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第5回
成功を誇ってはいけないか?
松林伯円

■大天狗、伯円

 大天狗、小天狗、木葉天狗。天狗にさまざまあれど、謙虚、謙譲が美徳とされる日本社会では、なべて嫌厭されがちだ。成功を誇るような「天狗」は悪役なのだろうか。

 伯円が天狗であったことは、伯円を敬愛していた弟子の円玉でさえ、こんなエピソードを語り残している。

 ある日、伯円はさる文学博士の邸宅に呼ばれた。円玉を連れて出向いたが、まるで友達に対するような軽い態度で、一向にその立場に尊敬を払う様子がない。ひやひやしてみていた円玉は帰り道、「師匠先方は有名な文学博士ではありませんか、今少し遠慮をしたら」というと、伯円は、笑って「博士や学士が其程有難いか。どんな間抜けな人間でも、金を費つて規則通りの学問をしさへすれば、学士にも成れる。博士にもなれる。学士や博士は今後幾人だつて出来るけれども、俺のやうな名人はもう滅多に出来やアしない」(空板生『文芸倶楽部』第5巻5号、明治38年4月)とこたえた。

 前回、山城屋和助の講談について述べたおり、努力の末の成功者に対する伯円の共感を感じるといった。なぜこんなことを書いたかといえば、伯円も同様だったからだ。

 そして伯円はその成功を誇ることを厭わなかった。伯円はつねづねいっていた。「芸人は売れる時は大いに威張れ」という言葉からも感じられる。「老込んで了ふと席亭が門口を通つても寄るものでない、其れを知らない新聞記者などが団十郎は増長して居るといふが俺は其れをエライと思ふ、苦労しない新聞記者如きに何が分かるものかと」(森暁紅「どろぼう伯円」『文芸倶楽部』第十七巻第六号)

 ただの増長ではない。伯円には、苦労に苦労を重ねて成功を勝ち取ったという裏付けがあった。

 生来、訥弁で悪声の伯円が、当世いちの名人となった努力は想像にあまりある。しかし、伯円のいいところは、けして努力や苦労を悲壮に語らないところだ。自身による芸談は、拙著にも紹介したのでご興味ある方は読んでいただきたいが、苦難は軽い自虐を帯びた笑い話に昇華している。

 ただ、苦労のすえ得た、技芸と成功は誇った。それがゆえに伯円の態度には、どこか鼻持ちならないところがあり、嫌う人もあった。

■『明治百話』

 たとえば、『明治百話』(篠田鉱造)に記された「松林伯円の一生」の話者の開口一番は、「伯円さんの一生は浮沈が多うござんした。自分張(じぶんばり)の人ですから、自分一人は威(えら)くなりました」である。あきらかな悪意を感じる。

 べつに話者が悪いのでも、採録者の責任でもない。話者は素直な印象を語ったのであり、採録者は、話者の意図をくみ取ってまっすぐに書き残した。

 しかし、こうした過去を知る人の証言がのちの世での印象を支配する。まして、岩波文庫になっている『明治百話』のインタビューは、演芸分野以外からのアプローチで、伯円の生涯に関していちばん目に触れやすい文章のひとつ。だから、初頭で、伯円はどこか軽薄で厭な男というイメージがついてしまう。

 話者は誰なのだろう。ご存じの方がおられたらお教えいただきたいが、話の内容からして、伯円と個人的な深い付き合いがあったとは思えないが、商売柄係わることがあった同業者や席亭主といったところか。

 「自分一人は威く」なったというが、弟子は立派に育てた。派としての松林派は、彼の次の代、三代目で滅んでしまったが、その原因は伯円にはない。伯円のもとを巣立っていった猫遊軒伯知、悟道軒円玉、大島伯鶴らは、講談界のかなめとして活躍した。

 「松林伯円の一生」では、伯円が博打好きであったことを欠点のように述べているが、人に金を借りて迷惑をかけたわけでもなし、失敗して貧乏になろうが、盛り返して派手に使おうが、べつに自分で稼いだ金をどう使おうと人にとやかくいわれる筋合いのことではない。なにしろ、伯円は人に金を借りるということが大嫌いで、貸しても借りることはけしてしなかった。

 晩年、零落したように語られるが、体で稼ぐ商売である。老いて、まして体を悪くすれば稼ぎが減るのは当然のことだ。それでも、伯円は誰の世話になるでも、金銭の援助をうけるでもなく、終生自力で生きた。

 けちであったとも思われない。飲食などに招かれても、けしてお客にたかることなどせず、払うべきはきちんと支払った。芸人としての義理も人一倍果たしていたように思われる。伯円は、円玉にいった。

芸人と云ふものはもと/\むだな稼業だから、むだを虞(おそ)れてはいけない、それを厭ふ位なら芸人に成らぬがいゝ、人が一円位だと思つた義理は二円出すやう、総べて先方の期待以上に出なければいけぬ
(『円玉情話集』中村書店、大正15年)

 それでも「自分張」といわれてしまう。世間とは実に面倒なものだ。

■俗人の魅力

 実際の伯円は人気に奢って傍若無人な振る舞いなどもなく、身近な人から見れば、実にいずまいのきちんとした人だった。円玉は伯円の日常についてこう記している。

根が厳格な武士の家に産れた人故、何事も几帳面で、朝は五時に起き五六種の新聞を読んで、其れから入浴に行き、昼席があると空板の小僧さんより早く出かけて、目を閉つて弟子の講談を聞いて居ります、其れが何十年となく続いて少しも怠ける事がない、其れに行儀の宜い人で、幾ら暑い日でも肌を脱いだ事もなければ、膝なぞを崩した事はございません
(「鼠小僧」『娯楽世界』第三巻四号、大正四年四月)

 そして、いつも本を読んでいたという。その端然とした姿は、同時代の演芸界の名人、三遊亭円朝とどこか重なる。

円朝は誠に行儀のよい人で、何時見ても机の前に端座して書き物か書見をしてゐて、胡座(あぐら)などをかいたのを見た事もない、髪などもちやんとしてゐて一筋も乱した事はなかつた。
(「円朝遺聞」『円朝全集』巻の13、春陽堂、昭和3年)

 両者の比較としてはくだらないほどに単純だが、こうした日常生活における厳格な姿勢は、自己に対する厳しさに由来するのではないか。それでは、両者の評価の違いはどこからくるのか。

 行い、人柄の万端に禅風がただよい、風流に通じ、他人の悪口をいわず、ものごし優しく、酒はたしなむ程度、弟子たちをよく愛育し、非の打ち所がなかった円朝には聖人の風格がただよっている。

 一方、おなじ名人でも伯円には、俗っぽいところがあった。

 喧嘩早く、気に入らないと高座から客をののしり、流行の尻馬にのり、成功を誇り、愚痴をいう。

 嫌う人もいるだろう。だが、そこに、名人としての厳しさだけでなく、伯円の人間味がある。そこに、たまらない魅力を感じるのだ。

 最終回は作品ではなく、憎まれ役になりがちな伯円を登場させたが、人間の善悪はたやすく決められない。当然、古今東西の人間を語る講談が、すっきり勧善懲悪におさまるはずがない。善人が悪に落ちる苦悩や弱さ、悪人がふと善にめざめる心の揺らめき、善悪きわめなき人間存在の悲喜こもごもを、ぜひ講談で味わっていただきたい。

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