【連載】第1回 金を恵む悪党――勧善懲悪という口実『天保怪鼠伝』 | ゆらめく勧善懲悪 2代目松林伯円の講談世界(目時美穂)

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第1回
金を恵む悪党
勧善懲悪という口実『天保怪鼠伝』


■どろぼう伯円

 2代目松林伯円は、幕末、出世作「鬼神のお松」以来、「小猿七之助」「雲霧仁左衛門」ほか、どろぼうを主人公とした世話物を多く読んだ。それがめっぽうに面白く、当時の人々の心を奪った。それで、人々は彼を「どろぼう伯円」と呼んでその芸を讃えた。伯円のどろぼうたちは、金を盗み、人を殺し、女を陵辱したりするまぎれもない悪党である。これから紹介する鼠小僧も、窃盗を常習とし殺人をも犯した人間だ。

 伯円の鼠小僧(伯円講述『天保怪鼠伝(てんぽうかいそでん)』大川屋書店、明治30年をもとにする)は、庚申(こうしん)の日にうまれた子(庚申の夜、眠ってしまうと人間の行動を見張っている三尸の虫が天にのぼって天帝に悪事を知らせてしまうので、集まって徹夜する風習があり、月経や出産はけがれとしてうとまれた)であるとか、謀反人の後胤(こういん)だとかいう生まれもった因果はなく、「唯の下等社会に生まれましたる男」である。

 父親は市村座の木戸番をしてたつきを得ていた。のちに鼠小僧となる治郎吉は、三人兄弟の長男だったが、こどものころから手癖がわるく、昼に父親に弁当を届けにいくたび、芝居小屋の関係者の財布、たばこいれなどを盗んでいく。苦情をうけた父親は、皆様に申し訳なし、と、長男を戸籍から抹消して親子の縁を切ってしまう。こうしたこどもは、乞食になるか生きるために犯罪に手を染めるしかない。治郎吉もご多分に漏れず、すりの仲間入りをした。親に捨てられた恨みも、別離の悲しみもとくに感じ得ない。境遇のために落ちたのではなく、彼はどろぼう家業が楽しくて仕方がないのだ。あっけらかんと犯罪者として成長していく。そして旅先で出会った謎めいた武士に、「隠形五遁」という隠身術のうち鼠形変化という妖術を授けられ、以降、捕縛の恐れなく、本格的などろぼうとして活動するようになる。

■悪党の善意が招いた不幸

 どろぼう稼業を楽しんでいる伯円の鼠小僧だが、気まぐれの善意が仇をなし、良心に苦しむこんな場面がある。

 ある日、旅先で出会った賭けで騙されて窮地に陥っていた男女に盗んだ金を恵んでやった。しかし、その金には盗んだ屋敷の刻印があって、男は捕縛された。

 そして、月日が流れ、ある雪降る朝。一晩じゅう博打をして朝帰りの治郎吉は、舟で家に帰ろうとなじみの船宿に寄った。そして支度を待つあいだ、船宿の女将と船頭あいてに雪景色を肴に一杯飲んでいた。すると雪降り積む通りを蜆売(しじみうり)がやってきた。年端もいかない少年である。少年は、治郎吉たちをみかけて蜆を売りかける。この寒空に幼い身で商売をする少年に哀れをもよおした治郎吉は、売れ残った蜆をみな買ってやり、少年の身の上をたずねた。少年には盲目の母と病気の姉がいて、自分が蜆を売って得る乏しい稼ぎでかろうじて暮らしているという。なぜそのような境遇に陥ったか。少年の話をきくうち、治郎吉は、かつて哀れな境遇にある男女に盗んだ金を恵んでやったことを思いだした。その金には刻印がほどこされており、恵んでやった男に窃盗の嫌疑がかかり投獄されたのだという。少年は連れの女の弟で、男の身を案ずるあまり病にかかったのだという。治郎吉は、少年の不幸をまねいたのは、かつて自分が善意のつもりで恵んでやった金が原因だと知る。

 これは「汐留の蜆売」といって伯円がさんざんに客の涙を絞りとった有名な場である。

■河竹黙阿弥の鼠小僧にはない性質

 この場の印象を同時期に鼠小僧を主人公とした河竹黙阿弥の脚本『鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』との違いを比べてみると面白い。

 黙阿弥の主人公の名は稲葉幸蔵という。稲葉幸蔵は、金を盗まれ窮地に陥って心中しようとしている男女を見つけ、大名屋敷から盗んだ金を恵んで救ってやるが、その金には持ち主の刻印がほどこされていて、男は、盗賊の冤罪をおわされて捕らえられてしまう。幸蔵の慈悲の気持ちは、その男女だけではなく、縁つらなる多くの者の運命を狂わせてしまう。そのなかには、蜆売りをして病母と姉を養う女の弟や、金が盗まれた日、門番をしていて嫌疑の対象となった稲葉幸蔵の生き別れになった実の父と弟もいた。自分が自首して出ればこれらの人は助けられる。しかし、幸蔵には縁を切ってはいるが不幸な境遇にある妻子がおり、救ってやりたかった。だから命が惜しかった。最後には妻子への哀憐の情を断ち切って、幸蔵は牢獄へ向かう。この悩める義賊を四代目市川小団次が演じて、大好評を博した。

 伯円の治郎吉も思い悩む。自分が自首して少年を苦境から救ってやろうとも思う。だが、紆余曲折を経て妻にむかえた花魁松山ことお松への愛も捨て難く、娑婆に未練がある。そんな折も折、泥だらけになって治郎吉の家に駆け込んできた男があった。熊三という盗賊で、さんざんに罪を重ね、捕まれば死罪は確実。捕り方の手が回り、まさに捕らえられようというとき、とっさに川に飛び込んで追及を逃れた。死は覚悟のうえながら、死ぬまえに、故郷の両親の顔が見たい、世話になった姉の墓参りに行きたい。それだけが心残りで逃亡し、旧知の治郎吉を頼ったのだ。治郎吉は、この熊三に道中のしたくを与えて、逃亡を幇助(ほうじょ)してやるかわりに、自分の罪を被ってくれと申し出る。熊三は、どうせ捨てた命だから、恩義ある人の役に立てるならとよろこんで罪をかぶる。これで問題は解決である。

 妻子の苦難を打ち捨てて、涙し、苦悩し、悩みぬいたあげく、命を捨てる覚悟で牢獄へ向かう黙阿弥の鼠小僧とはだいぶ違う。伯円の鼠小僧も、人の不幸に心打たれ、涙を流し、苦悩する。だが、その涙は通り雨のようにさっぱりとしたものだ。

■官憲の目をあざむくための方便

 のちに明治になって、どろぼうネタを講演することを役人に牽制されたとき、伯円は、

「仰せではございますが泥棒する処ばかりお聞きになると為にならぬ事でございませうが、毎日聞いてお在(いで)になると終ひには其の泥棒は捕縛されて獄中で苦しんだ上に重き処刑を受けます。さすれば終りまでお聞きになれば風教上の利益にもなります」(悟道軒円玉「私の思ひ出で」『私小説』第三十一年六号)

 とこたえて、勧善懲悪のためとしてかわしているが、治郎吉の最後は、あっさりと叙事的に述べられ、苦しみを感じられない。速記によると、

 治郎吉はお松を本妻とし、小花を改めて妾といたして世の中を面白可笑(おもしろおかし)く暮して居りましたが、天網恢々疎にして漏さず、或時大橋向ふの松平玄蕃守と云ふ、三万石の大名邸へ忍込む、此時不思議や妖術が消へて、尾張屋庄七と云ふ檜物町に居りました有名の手先の手に掛つて遂に捕縛になりましたが、三十七才を一期として江戸中引廻しの上死罪に行はれ、到頭本所回向院の本堂の右の方へ「徳善信士」と云ふ墓標を残しました

 という。この大尾に悪因悪果の恐ろしさを感じえるだろうか。

 伯円の鼠小僧は、犯罪を楽しみ、罪を悔いず、面白おかしく暮らして、あっさり死んだ。そのすがすがしいまでの姿は、犯罪者に対する嫌悪を感じさせず、むしろさわやかで気持ちがいい。もちろんはじめから、伯円も主人公のどろぼうをみじめな犯罪者として描く気などなく、ここでのどろぼう伯円の「勧善懲悪」は、官憲の目をあざむくための方便であったということだ。

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『和泉屋治郎吉』八千代文庫、大川屋書店、大正4年
口絵:治郎吉が悪党の奸計にはまった芸者小花を救出した場面

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